「やめておきなよ」
黒い液体にほとんど沈んだリージェは僅かに覗かせる顔と右手で飛彩を指し示す。
その瞬間、飛び込もうとした飛彩がその場に押し留められる。
「死にかけのくせにふざけやがって……」
「君がこちらに来るのを拒絶した……だが、これでいいんだ。勝者へのプレゼントということで」
発言の意図を汲み取れずにいた飛彩は目を細めつつ、腕や足で雷を弾く。
それでも穴の中へ飛び込む一歩が踏み出せなかった。
「君、自分がなんて言ったか覚えてないの?」
「——なんだって?」
「会ってどうするんだい? 話し合いに応じるわけなんかないのに……僕を負かした相手をむざむざ死なせるわけにはいかない」
少しだけ間をおいて、リージェは友人に笑いかけるように悪戯っぽく微笑みかける。
「だから、これはプレゼントってわけさ」
その言葉に、飛彩は先ほどまで考えていたことがよぎった。
対峙した先のことを考えられなかった、明確な勝利のビジョンも見えなかった。
「月並みな言葉だけど、君を殺すのは僕だ……じゃあね、隠雅飛彩」
黒い液体のようなものの中にリージェは沈み消え、波紋だけが広がった。
刹那、近くにあった異世への入り口は全て消え去る。
「奪われた世界を取り返した、か」
その光景を感慨深く呟く黒斗。
ドームから飛び出してきたメイもまた通信機に手を添えて、そうねと短く返す。
二人の心は人類史上初の世界奪還よりも飛彩が一つ成長してくれたことの方が大きな喜びになっている。
「飛彩が飛び込んだりしちゃうかと思ってヒヤヒヤしたわ」
「はっ……私もだ」
気がつけば雲ひとつない月夜が優しくヒーローたちを照らしている。
黒が祓われたことに喜んでいるかのように月も柔らかな光をいつにも増して降り注がせた。
史上最強の敵に見事勝利を収めた飛彩だが、その顔は晴れないままだった。
結果的に戦いは飛彩の圧勝とも言えるが、後味の悪い去り方をされたことでどうにも心が曇る。
「ちっ、見透かしやがって」
あれだけ拳を交えれば、互いの人となりも何となく理解できる。
そう飛彩は考え、リージェもまた飛彩のことを理解したのだろう。
だが、それゆえに何度も無謀なことをしでかそうとした自身に嫌気がさしたのもまた事実である。
「飛彩……あいつが止めなくても私が行かせなかったから」
そんな飛彩の心を誰よりも読むことのできる少女が背後から隣へと一歩を踏み出す。
並んで戦えると言わんばかりに強く凛とした眼差しで見つめられた飛彩は、自分の悩みも忘れ別人のようになった蘭華に見惚れた。
「そうですよ。何が何でも止めてました」
反対側から飛彩の顔を覗き込むホリィ。
そして振り返れば駆け寄ってくる仲間たち。その光景を見て、やっと飛彩は自身の能力を解除した。
「——そうだよな、やめだやめ」
侵略されていた区域を支配していたヴィランは取り逃がしたものの、奪われた世界を取り返すという前人未到の功績を打ち立てたのだ。
それに至る経緯と助けにきた仲間たちの罰則も数多の問題だらけという状態だが。
「お前らの言う通り、今日のところは引き上げる。さぁ、お偉いさんに謝りに行くかぁ」
「謝るだけで済めばいいけどねぇ」
ヒーローと違って立場の低い護利隊員である蘭華は呆れつつも、後悔はしていない様子だ。
ホリィも大事にしていた一族から認められることすら放棄して飛彩を守るために駆けつけている。
誰もが損得感情なしに動いて飛彩を救おうと集まっているのだ。
「カクリ、ディフェンスフォースをおろせそうな場所まで移動して」
「了解でーす」
素早くメイが連絡を飛ばすと、上空へ一気の輸送船が姿を現す。
ありえない財源に飛彩は乾いた笑いが出てしまった。
百人は輸送できるであろう巨大な輸送船は巨大な影を作り、その場に姿を現す。
幅は四十メートルは超えるであろう力強いフォルムを見れば、ちょっとやそっとの被弾では墜ちることはないだろう。
さらに空軍の輸送機と同じような見た目になっているのはヒーロー本部などへのカモフラージュのためだろうか。
「どいつもこいつも……俺なんかのためにどーかしてるぜ」
轟々と響く飛行機の移動音があったにも関わらず、その呟きを聞き逃さなかったら蘭華は飛彩の左手をそっと掴んだ。
「この捻くれ者。ここにいる皆はアンタのためなら死ねる覚悟なんだからね」
正面に回り込み、言っている途中で恥ずかしくなった蘭華は急に顔を伏せた。
潤んだ瞳を見られたくないということもあるのだろう。
「ああ、それがよ〜く分かったよ」
いつになく素直な飛彩は左手を振り解き、蘭華の頭を軽く撫でる。
精神的に大きく成長した様子の飛彩は続々と集まってくる仲間たちに目を向ける。
「ったく汚ねぇくらいボロボロになりやがって」
エレナに肩を借りながら足を引きずる春嶺。
翔香をおんぶした状態でよろよろと歩み寄る熱太。
黒斗もメイの応急処置を受けながらやってきた。
飛彩の能力で回復したとはいえ、その時に遠くにいたヒーローたちは完全回復というわけにはいかなかったのだろう。
「ボロボロになるのはお前らじゃなくて俺の仕事だろ」
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