表向きはただのマンション。その実は、護利隊の宿舎となっている。
いくらか寂れているこの寮は、人の入れ替わりが絶えない。数ヶ月生き残っている飛彩と蘭華には晴れて個室が与えられていた。
普段ならまだ起きている時間だが、飛彩はすでにベッドの上にいた。
「新しいヒーローが誕生か……」
寝転がり、月明かりに照らされる飛彩は無気力感に覆われ、帰宅してからずっとこうだ。
「逆立ちしても俺はヒーローになれねぇってのによぉ……」
実戦には自信がある。しかし、それより前の適性検査や適合する世界展開が存在しない、などの理由で落ちている。
黒斗が許可を出してくれるのは現実を見せるためなのかもしれない。
寝転んだままの飛彩はいつしか夢の中で、再び「あの日」へと戻っていく。
「大丈夫か、少年……!」
今と違って、異世からやってくる敵を誘導できなかった頃。
攻めてきたヴィランが、とある小学校に降り立つという痛ましい事件があった。
「あ、あぁ……」
また、この夢か。飛彩は第三者の視点で夢を見ている。いや、自責の念がそれを見せつけているのかもしれない。
激しい戦闘が行われた学校は、ほとんどが倒壊していた。
迅速な避難行動で、子供は残っていない、飛彩を庇ったヒーローは、そう聞かされていた。
だが、唯一逃げ遅れた飛彩が、ヴィランと戦うヒーローの運命の別れ道になってしまった。
「運が悪かったな強者よ」
騎士のような鎧をまとったヴィランの声音には若干の悲しみが混ざっていた。
それはおそらく真剣勝負がこんな決着を迎えてしまったことに対してだろう。
「何を言っている。運が良かった、の間違いだろう?」
放たれた手刀により串刺しになっていたヒーローは不敵に笑っていた。
恐怖もさることながら、飛彩は涙を流せなかった。子供ながら理解していたのだ。
自分のせいで、一人のヒーローを死なせてしまったことを。
「あ、あの……」
「こんな傷、どうということはないさ。君が無事なら、それで良い」
何が大丈夫なものか、飛彩はそう叫びたかった。
自分の中でほのかに芽生えた感情を押し込め、とにかく謝りたかったが、溢れる想いを具現化することは叶わなかった。
そのまま飛彩は透明な姿の何かに保護される。
口を抑えられ、喚くことも出来ず、ヒーローの首が刎ねられるのを見ている事しかできなかった。
ヴィランは透明な何かに襲われながら、異世の闇へと消えて行った。
侵略を打ち切るくらいの興醒めしたのだろうか。今となっては何もわからない。
ただ、この日。世界は『NO.1 ヒーロー』を失った。そして、救われた少年は、秘密裏の組織へと消えていくことになる。
息を荒くして跳ね起きる飛彩。何度もこの夢に苦しめられている今もぐっしょりと寝汗をかいている。
昔は何度も涙したことから考えれば、少しはマシかと苦笑した。
「また、この夢か」
淡々と呟く割には、人類の希望を死なせた。いや、殺した、と嫌でも自覚させられた。
「……俺はヒーローに、人類の希望にならねぇと……」
自分が希望を奪ったなら、自分がこの身を持って希望になるしかない。これが弱いヒーローを憎み、自分がヒーローとして活躍したい理由。
黄色い声援も、名声も、金も必要ない。奪ってしまった希望になる、飛彩の頭の中にはそれしかなかった。そうでもしないと死んでいったヒーローが報われない。己の弱さに対する復讐が、ずっと続いていた。
翌日。
「飛彩ー! 学校行くわよー!」という蘭華の声と痛みが無理やり覚醒を促した。
「あいててててて!」
寝ている飛彩の足を掴みベットから引きずり下ろす蘭華。幼馴染にが起こしにくる行為にしてはだいぶ荒っぽい。そのおかげが先日の悪夢が少し薄れた。
「ったく、勝手に入ってくんなよ」
「だったら窓は閉めておきなさい。隣の部屋なんだから簡単に入れるのよ?」
「忍者かよ、いや、泥棒の方が良いか……」
「どーでもいいから早く着替えてよね!」
可愛らしい幼馴染であることは間違いないが、残念なことに家事的な女子力ゼロの蘭華は護利隊から支給される携帯食料を飛彩へと投げつける。
「今日はテストなんだから! さっさとするっ」
背面キャッチを華麗に披露するところだったが、テストという単語に全ての動きが止まる。
「マジか」
「だから遅れるわけにはいかないの!」
慌ただしく動き回る蘭華。女子力があるわけではないのだが、不器用なりに家を片付ける。
「はぁー、緊急出動にでもならねーかなぁ」
思わず漏れ出た呟きは、蘭華の不謹慎だというツッコミでかき消された。
都立勇傑高等学校。ここはアスリートの育成や戦闘技術を高める武闘派の高校である。
そして、飛彩たちの母校でもあった。寮から歩いて十分程度の好立地な事もあり、護利隊やヒーロー本部の関係者が多い。というかズブズブに繋がっている。
「おい、熱太先輩のバトル見たか?」
「エレナ先輩が可愛すぎる。マジでやばい」
「それよりもホーリーフォーチュン見たよな?」
「ああ! 俺なんて戦闘シーンの切り抜き動画作ってるぜ!」
「めっちゃいいじゃん!」
登校時、そんな級友の姿を見ながら飛彩はため息ばかりをつく。ヒーローの戦闘は基本的に生放送で全国に流されるのだ。
放送される何よりの理由はスポンサーの意向やカネを稼ぐためにある。
ヒーローが使う武器をおもちゃにして売る。などのビジネスのために勝ち方を限定することもあるくらいだ。個人領域の透明化能力などはこのような背景から生まれている。
「どいつもこいつもレスキューワールドやホーリーフォーチュンの話ばっかりだな。テスト前だってのに余裕かよ」
「飛彩だって、昔はそうだったでしょ?」
「が、ガキの頃の話は卑怯だぞっ」
美少女に連れられる形での登校は、やはり羨望の眼差しを浴びてしまう。濡羽色の髪をなびかせる蘭華は間違いなくクラスの人気者だった。逆に捻くれている飛彩は蘭華以外の友達がほとんど存在しない。
「お二人とも、よろしいかしら?」
昇降口で、声をかけられることなど滅多にない二人は肩を跳ねさせる。待ち伏せをしていた金髪の少女を見るやいなや、蘭華は目が飛び出す勢いだった。
「はじめまして。本日転校してきましたホリィ・センテイアと申します。お見知り置きを」
ヒーロー関係者が集められる学校ゆえ遅かれ早かれこうなるだろうとは思っていた蘭華だが、ここまで早いとは思っておらず、悪いこともしていないのに目が泳ぐ。
あまりにも早い邂逅に驚きが隠しきれなかった。
「私は弓月蘭華。こっちの目付きが悪いのが隠雅飛彩。そ、それで……何の用でしょう?」
「あ? 新人雑魚っぱヒーローじゃねぇか」
場が凍りついた。蘭華は今すぐにでも殴り殺したくなった。守秘義務も何も考えない、直情的な馬鹿を。護利隊ということがバレる、それは追放に近い刑を与えられるだろう。
(出来る出来る、私は頭脳プレーで生き残ってきたんだから、言い訳の一つや二つ!)
飛彩の口を塞ぎながら逡巡しているとホリィが口火を切った。
「や、やはり最強のヒーローオタクというわけですか。じょ、情報が早い」
雑魚と呼ばれたことを気にしているのか、声がわなわなと震えている。
しかし、それを飲み込んでまで二人に話したいことがあるのだろうか。
ただ、蘭華は勘違いしている今がチャンスだ、と言いくるめようと口を開くが、飛彩の反論の方が早い。
「誰がヒーローオタクだ! 喧嘩売ってんのか!?」
「あーもう黙ってて飛彩ぉ……」
「あら、貴方と旧知の仲というレスキューレッド先輩がそう仰っていたのだけれど?」
怒りの矛先は簡単に先輩へと変わった。飛彩と幼馴染のお節介ヒーローが余計なことを言ったのか、とため息をつく。
「そ、それでこの生粋のヒーローオタクに何の用ですか?」
「蘭華、テメェ……」
「姿を消せる忍者のヒーローについて何かご存じないですか? 私はヒーローについて疎くて……私の知り合いでは誰も知らないそうなのです」
そんなものは存在しないのだから当たり前だろう、と飛彩は顔をしかめる。
そもそも飛彩自身なのだから、と。ヒーローについて詳しくなくても才能があるだけでヒーローになったタイプか、と勝手に結論づけた。
「んなもんいるわけねーだろ」
「なっ、全ヒーローの名前と能力、その全てを話せる、ってレスキューレッド先輩も頼りにしていたんですよ?」
「子供の頃の話だよ! つーか、アイツいつの事話してんだ!」
孫が子供の頃好きだったものは大人になっても好き、のような勘違いをしている旧知の仲の友人レスキューレッドを絶対殴る、と決めながら飛彩はホリィに顔を近づける。
「いいか、お前がヒーローだと思ってる奴は……」
「調査調査! 調査しまーす! ね? 飛彩?」
柔和な態度で二人の間に割って入る蘭華。飛彩の口を塞ぐのも忘れない。ホリィには勘違いしてもらったままの方が、護利隊としては好都合だ。
「このヒーロー大好きイキりオタクに任せてもらえれば、そのうち答えが……」
「誰がイキリオタクだぁー!? 実力ないのにイキってるからイキリオタクなんだろ? 俺の場合は実力があるからガチりオタクじゃねーか!」
「そんなことはどうでもいいでしょ! 何よ、ガチりオタクって!?」
置いてけぼりになったホリィは戸惑いながら、飛彩へと歩み寄った。
「ガチりオタクの飛彩? 君?」
「何だよ」
イキってなければいいのか、と蘭華は独り言ちる。
「この際、雑魚呼ばわりは水に流しましょう……どうかあの方のお話を!」
そのまま真剣な眼差しで飛彩の手を握るホリィ。ギョッとする蘭華。
驚きつつも赤面する飛彩。三者三様の反応が通学路を歩く人々の注目を引いた。
主に美少女二人に言い寄られているような飛彩への羨望と嫉妬の眼差しだが。
「む、無理だな……」
「何故です?」
「い、いやぁ……なんていうか……俺にもわからないことはあるし……」
そう言いながら、無理やり握られた手から離れる。しかしホリィはすぐさま飛彩の手を掴む。
「っ!?」
「お願いします! あの人にお礼を言わなければ私の気が済みません!」
「おおおおお、俺だって万能じゃねー! む、無理なもんは無理!」
「そこをどうか!」
顔がぐいっと飛彩へと近づき、豊満な胸が暴れるように揺れた。
飛彩の赤面レベルが異常に高まっていく。
いつも厭世的に振る舞い、クールを気取る飛彩の仮面が何枚も剥がされていった。
「お願いします!」
無垢な視線を向けられた飛彩はホリィの手を振り払い、そっぽを向く。
「何かわかったら連絡してやるよ……」
「あ、ありがとうございます! こちら私の連絡先ですので!」
半ば強引に飛彩のスマートフォンを奪い取り、連絡先やSNSを追加していく。
大富豪のお嬢様かと思いきや、俗世にもこなれているようだ。
「あら? もうこんな時間! 私、転校初日なのでやること盛りだくさんなんです! いい情報を期待してますねっ!」
一方的な要求だけを伝え、嵐のように金髪の美少女は去っていった。しかし飛彩の側には、もう一つの嵐が誕生していた。
「おい、ガチりオタク」
「な、何だよ蘭華っ」
「随分とデレデレしてたわねぇ。それに可愛い子の連絡先もゲットってわけ?」
話を遮るように、学校へ歩き出す飛彩。ポーカーフェイスは完全に崩れている。
「待てよっ、成り行き的に仕方ないだろ?」
何故、蘭華がへそを曲げているのかを理解できない飛彩は自分の羞恥心を優先した。
これ以上、詰め寄らないでくれ、という懇願も加えて。
「あんなに真っ赤になってる飛彩久しぶりに見たわ。ていうか最初は『あん時の雑魚じゃねぇか』的な態度だったのに、恐ろしい豹変ね」
「し、仕方ねぇだろ! あんまり人とはなさねぇんだからよ!」
すでに仲のいい女子と話す分には問題ないが、初対面の女子にはめっぽう弱い。思春期の男子あるあるは飛彩にも当てはまっている。
「はぁー、ヴィラン相手に刀振り回してる男がこのザマねぇー」
人間らしい部分を見せたが、蘭華は非常に不服だった。
自分のことは意識しないのか、ということになるからだ。
「私やメイ技術本部長には普通に話すのにねぇ」
「まぁ……お前は特別だからな」
「とっ! とくっ!? 特別!?」
朴念仁のクロスカウンターを受けた蘭華は大きく仰け反った。
特別ってなに? 夫婦くらいの付き合いだから、何でも通じ合っているってこと? と、妄想を膨らませていく。
残念ながら、ここで言っている飛彩の特別は、特別なほど一緒にいるから別に恥ずかしくない的なニュアンスが多く含まれている。というかほとんど。
「よぉ〜し、蘭華ちゃんがテスト勉強でも教えてあげますかっ」
「えぇ……何で機嫌直ってんの?」
やはり女子はよくわからない、と飛彩は頭をもやつかせるのだった。
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