その場を去った飛彩は怪しまれるのを防ぐためにパーティー会場へと足を運ぶ。
適当な飲み物を受け取り、人混みの中をとにかく目立たないように歩いた。
そもそも顔を覚えられてしまう危険性の高い会場の中に潜入する予定はなく、完全に出鼻から予定が狂ってしまっている。
立食形式になっていた会場は絢爛な食事と飲み物が所狭しと並べられている。
その中を縫うように歩いていた飛彩はスティージェンに差し向けられた監視の気配を察知した。
「——マジかよ」
正直にいえば平和な日本に本拠を構えている会社の警備を甘く見ていた節があったのは間違いない。
しかし、わずかに見せた動揺だけで監視をつけられるとは思ってもいなかった飛彩は雑踏の声など耳に届かず、自身の心臓の音だけが耳にへばりついていた。
もしかすると通信機を使った会話も傍受される危険性があると感じた飛彩は個室での連絡が傍受されていないことを祈りながら、会場の人混みの中を練り歩き続ける。
「飛彩、傍受の心配はしないで」
「!?」
その場で肩を震わせてしまう飛彩は、再び冷静を装って誰とも目を合わせないようにして会場を歩いていく。
あまりにも巨大な会場はいくら歩いても端にたどり着くことが出来ないような錯覚すら与えてくる。
人混みを避けながら、少しでも人がいないところを目指していると再び蘭華の声がぼそぼそと届いた。
「私たちの通信にはカクリのワープを使用しているわ。ずっと繋ぎっぱなしには出来ないけど、喋るたびに通信機の中にワープゲートを作って、声を送受信してるの」
「——それを聞いて安心したぜ」
「詳しく説明しても理解できないと思ったから端折ったけど……ずっと喋れない状況が続いたの?」
黙り続けていた飛彩に何かあったのでは、と蘭華から恐る恐る通信が入ったことで飛彩はこの上なく安堵した。
傍受の心配がないということで現状を軽く説明する。
「悪い。勘付かれた」
「えっ!? どういうこと!?」
「ボディーガードみたいな連中に手練がいる……ちょっと警戒しただけでマークされちまった。今はパーティーを楽しんでるぜ」
想定外の出来事の連続に離れた場所に隠れている蘭華とカクリも息を飲む。
自分たちは想像以上にまずい相手と戦ってしまっているのではないか、と。
「今日は撤退するしかないのでは?」
不安そうなカクリの声。
しかしここで撤退しては次の作戦もまた一からやり直しということを示している。
人を隠すなら人の中、このやり方ができる今回だからこそ監視も少数で済んでいるのだ。
「せめて……ホリィの部屋を見つける。カクリのワープで移動出来るようにな」
「そうね。まだ怪しまれてる段階なら、今のうちに作戦を考え直す。それにホリィもパーティに出てくるかもしれないし」
「最近どこにも姿を現してねぇことを考えると、その線は薄いけどな」
せめて監視を振り解くことが出来たなら、そう考えるも相手を撒くことも気絶させることも許されない。
警戒を説いて監視をやめさせるか、別の外的要因が働かなければ切り抜けることは難しい。
「蘭華、何かいい方法はねぇか?」
「飛彩に人畜無害な演技をさせるのは不可能……荒っぽいけど、警報鳴らしちゃいましょう」
遠隔ですでにパーティー会場の機能を掌握していた蘭華は有事の際にビルの中に流れる警報などを起動する。
けたたましい警報の後に地震を告げる案内が流れ、会場が軽くパニック状態にまで陥った。
見事監視は剥がれて出入り口に招待客が殺到していく。
給仕たちが誤報だと説明して回る中、飛彩は人混みの波に乗って回廊へと戻る。
「剥がれた。下に行く方法を調べる」
「一筋縄じゃいかない……次、何か起きたら完全にアウトよ」
届くはずもないが小さく頷いた飛彩は、人混みに押し出された振りをして回廊を見渡した。
招待客が使えるのは直通のエレベーターのみで、従業員たちが利用しているエレベーターがどこかにあるはずと隠された通路を探し回って。
リード・ヘヴン三十五階層。
通称「天の間」は中央が巨大なパーティ会場になっており、それを囲むように回廊が存在している。
東側にエレベーターなどが存在している中、一般客人には見つからない出入り口が反対側にあると踏んだ飛彩はスティージェンの気配を探りながら慎重に回廊を進んでいた。
未だに会場内のざわめきが聞こえる中、従業員通路は未だに見つからず巨大なガラス越しに見える都会の風景を楽しむことしかできない。
「ちっ……」
西側に差し掛かったところで、ちょうど曲がり角になっている回廊の向こう側から微かな音が耳に届く。
足音を消して歩く者の足音、言葉にすれば矛盾が生じるが手練れだけが感じることができる闘気を押し殺している気配を察知した飛彩は先ほど相対した相手がやってきていると直感する。
(こいつ、あの騒動を囮だとでも考えてんのか……!?)
焦る飛彩の逃げ道はカクリによる緊急脱出しかなく、真っ向からボディーガードに挑んでも分が悪いことは間違いなかった。
(——だが、ここで逃げたら二度とホリィに会えねぇ気がするんだよ……!)
謎の直感とも言える確信に飛彩は短くカクリへと連絡を飛ばす。
相手に気づかれないように後退りながら窓際へと近づいた。
「カクリ、俺のすぐ側から水平に右側一メートルくらい離れた場所にワープゲート作れるか? 今すぐにだ」
「わ、わかりました!」
飛彩の具体的な場所まで理解していないカクリは言われるがままに異空間への入り口を作り出す。
窓ガラス越しではない外の風景が飛び込んできたことで、一瞬だけ気後れしたが後に引くのも地獄ゆえに一歩を踏み出す。
「消せ! カクリ!」
宙を舞う。
飛彩は一瞬だけ右足の力を解放して空を蹴り、一階層分だけ高度を下げながら階層ごとに存在していた縁(へり)の部分を掴む。
高層階を吹く風は飛彩の身体を引き裂くように吹き荒ぶ。
それにより通信機も風を拾い、飛彩が外へ飛び出したことが二人にも伝わった。
「馬鹿! 何やってるのよ!」
「悪い……これしか思いつかなくてな」
飛彩の膂力を持ってすれば掴まり続けることなど可能だが、この方法で外側からホリィを探す方が危険極まりないため同じ方法で三十四階へと侵入することに成功する。
入り込んだ場所は最悪なことに誰かの寝室のようで、接触の可能性は未だに高いままだ。
「な、なんでそんな危険な真似を!?」
「さっき話したヤバそうなやつと鉢合わせそうになっちまってな……さっきから行き当たりばったりだが、結果よければ全て良しだな」
下の階層に降りられたことよりも、異様な闘気を纏っているボディーガードに出会わなくて済むと思っている精神的余裕は大きかった。
「ホリィがいないか探してみる……蘭華は上の階にカメラとかあったら頭にパーマかけた気怠そうな感じの男を警戒しててくれ。特にそいつが下に降りてくるようなことがあれば……」
「撤退?」
「——そうだな。展開を使えばどうってことないだろうが、それ抜きじゃ厳しい相手だ」
真剣な声音に飛彩にここまで言わせる相手なのかと、より撤退の文字が浮かんだ。
ならば尚更パーティー会場に縫い付けておかなければならない相手だと警戒心が高まる。
「やっぱ金持ちだな……バケモノ飼ってやがる」
「そうね。ヴィランと比べればって少しナメてたかもしれない」
「こいつぁ、ランクEのヴィランとやってた方が楽かもしれねぇな」
どんどん吊り上がっていく難易度に非戦闘員のカクリは息をのみ、ただただ飛彩の無事を祈るしか出来なかった。
「ふむ……過敏になっていたか」
その頃三十五階ではスティージェンが回廊を見渡していた。
飛彩の読み通り、エレベーター側へと誘導した反対側で何か画策している者はいないか監視にやってきたのだ。
窓の外をじっと眺めた後、ここを通り抜けられなければ間違いなく逃げられないなどと絵空事を浮かべる。
「まあ、幽霊ではカエザール様たちをどうすることも出来まい」
自分の思考を一笑に付したスティージェンだが、何かが起こりそうな胸騒ぎがしてならなかった。
臆病さが自分の取り柄だとも思っているが故にすかしも多いのだが、仕事柄用心に越したことはないはずだ。
「スティージェン様。あの警報は誤作動でした。会場の混乱もおさまっております」
耳元に届く一報。
予想通りの通達にすぐに会場の運営に戻れと短く言葉を押し付け、謎の相手の痕跡を探し続ける。
「カエザール様が表に出る機会……危険が及ぶようなことになってはならない」
時計を見るとカエザールの演説時間が刻一刻と迫っていた。
それまでに不安の芽が摘み取れなかったとしても直接近くで護衛すれば良いと割り切ることも出来るがそれはスティージェンにとって最終防衛線とも言うべきやり方でスマートな方法ではなかった。
「各人員に告ぐ。小型金属探知機、火薬反応装置を用いて会場内にいる人間を全て洗え。カエザール様の話が始まる前にな」
一部の指揮者が後は部下に全て伝えてくれると考えた瞬間、カエザール本人からの通信が入る。
「いかがなされましたか?」
「ホリィへの計画だが、今日実行してもらいたい」
「……何故です、時間は私に一任されたはずでは」
「今日のパーティにホリィは連れて行けないからなぁ。効率を求めるなら今しかあるまい」
適当な言い訳だ、とスティージェンは顔をしかめた。
結局はヒーローとして認められたと考えている矢先に今まで通りの扱いを与えることで心を傷付けさせるということかと認識する。
以前は口答えをしなかったがスティージェンだが、親の考える計画なのかと少しばかり怪訝な気持ちになった。
しかし、それよりも嫌な気分になったのは演説中に会場から離れなければならないことが決定する。
不安の芽がある状態で何故、どうでもいい娘に時間を割くことがとにかく癪だった。
それと同時に疑問も身体の内から湧き上ってくる。
「……」
「——不満か? スティージェン」
「いや、不思議なんですよ」
夢や目標、何かを成し遂げる喜びなどはスティージェンには存在しない。
ただカエザールの目的を遂げるために拳や動かせるものを全て使い、道を拓くことこそが至上の喜びと考えて生きている。
そしてそれをカエザールに求められている限り尽くすべきだとも感じていた。
それが故にカエザールの願い通りに動こうとしないホリィが不思議で仕方ないという気持ちになっていた。
「このセンテイアに従う者や貴方のご家族全て、貴方の意志のままに動くことを至上とするはず……故にホリィ様に迷いがあることが私には不思議でならないのです」
「お前にしては詩的な物言いだな。認められていないこともあいまって、迷いも生じるであろう」
その言葉に一理あるものの、ヒーローという特異な生業がホリィに家のため以外の意志を植えつけてしまっているのではないかとスティージェンは危惧する。
そして家に従わないという選択肢を抱くということそのものに腹立たしさを覚えた。
「とにかく頼んだぞ。ホリィはお前に心を許している節があるからな」
「……私は何もしていないだけです。貴方たちや他の使用人と違って」
「ははっ、そうか。では頼んだぞ」
一方的に切られた通信。
狂い出した警備の計画に辟易しつつ、珍しく足音を響かせて北側へと進んでいく。
苛立った気持ちを素直にぶつけてやろうと従業員専用の入り口にカードキーをかざして進んでいく。
飛彩が一番警戒している相手もまた、下の階へと歩み出すのであった。
「この階にホリィはいない。下に降りる」
最初に侵入した寝室のような場所の他にも広大な階層の中には様々な部屋があったが、それら全てが一人のために与えられたものだと悟る。
「金持ちの考えることはわからねぇぜ」
「飛彩さん、マスクはちゃんとつけてますか?」
「ああ。おかげでクソ目立ってるぜ」
怪盗のような目の当たりを隠す装飾品と髪を後ろにまとめた程度の雑な変装を披露する飛彩だが、一応姿を見られても言い逃れをする時間ぐらいは稼げるだろう。
時代錯誤な格好をした姿は怪盗というよりかは間抜けな泥棒だと飛彩は嘆息した。
むしろ殺気を放つボディーガードが馬鹿が来たと油断してくれるのではないかと思ってしまうほどの。
三十四階層を調べていく中でクローゼットと呼んで良いものかわからない巨大な一室が何個も何個も現れた。
ホリィが着ているところを見たことのない大人びた服やフォーマルなスーツなどが大量にあったことから、長女の階層であると推測することが出来る。
「気持ち悪いがクローゼットの部屋を調べるのが一番楽そうだな。俺の部屋よりデカかったけどよ」
「む〜、目を瞑るしかないわね」
「飛彩さん、下着盗んだりしないでくださいよ?」
「俺をなんだと思ってんだお前ら……」
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