「飛彩! 早く!」
右手に握っていたスマートフォンから聞こえるか細いメイの声は飛彩には届かない。ララクの数歩手前に着地した飛彩は怯えた様子でララクを見上げた。
「——あいつらに何した?」
「私の国に連れてったの。飛彩ちゃんも蘭華ちゃんたちと一緒に行こう?」
「何言ってんだお前? まさかヴィラン共のいる異世に……?」
怯えた視線や敵意を向けられるようなことはしていないと、ララクは飛彩に歩み寄り涙目になりつつも手を差し伸べる。
「さぁ、早く」
心が揺れる。護るべき仲間、狩るべき仇敵。その二つの性質を併せ持ったララクに飛彩を握った拳を向けることが出来ず、手を払うことしか出来なかった。
「え……飛彩ちゃん?」
「あいつらをここに戻せ。話はそれからだ」
冷静な状態を保ちながら話せたのはそれだけだった。
敵意も何も向けたくない、ララクへの気持ちに嘘をつけない飛彩の甘さがここで垣間見える。
だが、ララクがその心情を汲めるかどうかは話が別だ。
「な、なんで嫌なの? 飛彩ちゃんとララク、友達だよね? ね?」
頷きたい気持ちを必死で堪えるしかなかった。
ここで情を出してしまえば、絶対に蘭華達を救えないような気がしてならないのだろう。
本当はここで捕らえて、ララクに対して拷問なり何なりおこなってでも蘭華たちを助けなければならない。そんな強い使命があるというのに、飛彩は拳を握ることが出来なかった。
「飛彩! 相手は受肉してる存在なのよ! 早く!」
だらりと下げていた右腕から聞こえた声に従い、迷いを払うように雄叫びをあげた飛彩はララクの首についている黒光するチョーカー目掛けて手刀を放つ。
「なんで、なんでなの!?」
そんなララクの怒りの声に反応してチョーカーが黒い光を放ち、辺りを包んだかと思えば一瞬で収縮する。手刀を止めた飛彩の先には、黒いロングドレスに似た薄い装甲を纏うララクが佇んでいた。
「ヴィランは、俺たちの敵だ……!」
迷いつつも己の使命を優先するべく声を絞り出した飛彩は、漆黒の鎧に身を包みながらも自分たちと同じように涙していたララクを見て後悔の二文字が頭の中に過ぎらせてしまう。
追撃しようと力を込めた足が言うことを聞かず、地面に震えを伝えることしかできない飛彩は己の右足を叩いた。
「ララク……蘭華達をどこへやった? 早くここへ戻すんだ!」
「守ってくれるって……言ったのに!」
「それは……」
幕切れはまるで喧嘩別れのようなあっさりとしたものだった。涙をこぼしたララクは溢れ出た異世の展開を自分の真横へと収縮させて次元の裂け目を作り上げる。
「飛彩ちゃんの嘘つき!」
「ま、待て!」
手を伸ばした頃には次元の裂け目へと身投げした後ですぐに入り口も塞がってしまう。
茫然と飛彩が立ち尽くす中、ゆっくりと広場にも人が戻り始めた。
その場にたった一人取り残された飛彩は大きな過ちを犯してしまったような気分のまま伸ばしていた左腕を下げた。
「飛彩! 返事をして! 何が起きたの?」
微かに聞こえてきた声に反応し、右手を重いものを持つような気怠さで耳まで持ち上げる。
そのまま何も言えなかった飛彩は、メイの呼びかけを何度も聞き流した後に歯が鳴るほど力強く食いしばった。
「悪い、メイさん……逃がしちまった」
そして陽が落ちる。まるで希望の灯火が消えてしまったかのような不吉な闇が世界を覆い始めた。
次の奪還作戦を行う前に戦況は戦わずして最悪という状況に陥る。
後方支援の拠点とも言えるカクリと蘭華、そして勝負を決定付ける未来確定の力を持つホリィの両翼がもがれたのだ。
そのことが公になっていないとは言え、護利隊の司令室は非常に重い空気に包まれている。
「悪い、黒斗、メイさん……全員連れてかれちまった」
「受肉した存在が計器に悟られず闊歩していたのだ……予想外な状況ゆえ過度に責める気はない」
ソファーにうなだれて座り込む飛彩と、司令の机に行儀悪くもたれかかるメイを背後に窓の外を眺める黒斗は苦々しい苦々しい表情を浮かべつつも、珍しく叱責することはなかった。
(黒斗司令官、飛彩の扱いがわかってるわね……頭ごなしに叱ってたら、飛び出して行っちゃうもの)
片目を閉じて黒斗の後ろ姿を眺めたメイは、無闇に飛彩が単独行動をしてララクに連れ去られることを危惧しているのだろう。
とはいえ護利隊のセキュリティを軽々と抜けてきたララクに対して安全な場所など存在しないのかもしれないが。
「黒斗、何でもいい。手がかりがあるなら俺を送り込んでくれ」
「迷うものを戦場には送り出せん。蘭華達の捜索は俺とメイが主導して行う」
「待てよ……俺のせいで皆いなくなったのに、一人でお留守番してろってか!」
「ならば、次にララクというヴィランと対峙した時にお前は戦えるのか?」
「——っ!」
沈黙は肯定でしかない。再び床に視線を落とした飛彩はそのまま頭を抱えた。
ララクが蘭華達を危険な目に合わせるはずがないと友情を信じる気持ちと、所詮はヴィランが化けの皮をかぶっていただけだという恐れる気持ちがせめぎ合い、心が押し潰されそうな気持ちへと陥った。
「——ララクの行き先には目星がついてるわ」
「何?」
振り向く黒斗は今の飛彩の前で話すなという苛立った視線が含まれているが、あまりにも早い初動に感心せざるを得ない。
「本当か! メイさん!」
「異世への入り口が開いた時点で計器に反応が出る。でも今回のララクのは発生していないわ。そして、観測出来る侵略区域でも目立った何かは起きていない……」
「で、でもララクが出した次元の裂け目は完全にヴィランが行き来するやつで……」
「だからこそ、私たちが把握出来ない場所が一つだけある」
その言葉に全ての得心がいった黒斗は、一つの情報をタブレット端末上に浮かび上がらせた。
「ここか……第零侵略区域」
「第、零……?」
一通りの情報を頭に入れている飛彩ですら聞いたことのない情報に、タブレットを奪い隅々まで目を走らせる。
「なんだこの場所……逆にヴィランが内側から封印を張った場所、だってのか?」
「順番としては初めじゃないんだが……あまりにも異質な場所かつ、こちらが防衛する必要がないため普通の権限では知ることすら叶わない」
焦る飛彩は新しい情報とララクが消えた先について結び付かず、すぐにタブレットから起こした視線をメイへと向ける。
「その場所だけよ。私たちが監視出来ていない場所は」
「じゃあ、ララクが瞬間移動したのは……ここだってのか?」
「ええ……最悪のパターンだわ」
不健康そうな表情を浮かべていることが多いメイだが、いつにない苦渋の表情となっていることが飛彩にも不安となって伝わっていく。
「見たと思うが、この場所は逆にヴィラン側がこれ以上広がらないように内側から奴らが封印している。こちらも一般人が入れないようにドーム状の建物を作ったが、それは結局ただの蓋だ」
「侵略のチャンスを捨ててまでヴィランがその場所を作った理由……それは異世でも手に負えない存在を収監する場所と考えるのが妥当ね」
「待てよ、待ってくれよ。それがララクだってのか!?」
「可能性は高いわ」
短い返事だが、今まで感じていた得体の知れない恐怖に全て納得がいってしまう。
ララクから感じたそこ知れぬ何かの正体が、受肉したヴィランであればもはや疑いの余地はない。
「あいつが……そんなヤベェやつな、わけが……」
今となって飛彩の頭の中を巡るは恐怖よりも楽しそうに笑顔を浮かべるララクの姿だ。
だからこそ飛彩の拳はララクを射抜けなかった。
「……なぁ、黒斗。メイさん。頼む。やっぱり俺に行かせてくれ」
「もう一度聞くがララクとかいうヴィランを討伐できるのか、飛彩?」
たった一日二日の出会いだが、濃密な思い出は慄くようなものもあれば楽しさに溢れるようなものもたくさんだ。
そんなララクを飛彩はどう考えても憎むことが出来ず、他のヴィランやリージェのように全力で戦う想像など出来ないようで、黒斗の問いを静かに自分の中で考えいく。
自分はララクと会ってどうしたいのか、と。
仲間を助けるのは当たり前ながらも最強のヴィランの一角である受肉した存在をどうすべきか答えを出せなかった。
人々を脅かす存在にもなり得るララク、人々と手を取り合うことができるララク。
その二つを心の中で天秤にかけた瞬間、飛彩はハッと吐き捨てるように笑いながら顔を上げる。
「さっきは突然のことで迷っちまったが……それは会ってから決める」
「ヴィランと手を結べると?」
「あいつを仲間に出来たら、ヴィランにとっちゃ大打撃ってことだもんなぁ〜?」
「——飛彩、それは本気で言ってる?」
いつもならば飛彩の意見に何でも好意的な態度を示しているメイですら訝しむような視線を飛彩へとぶつける。
腕を組んだことで形を変えた大きな胸に照れることもなく、飛彩はいつもの調子を取り戻したように笑っていた。
「まぁ、まだ何も決めてねぇ。俺はイカした主人公じゃねぇーし、少し覚悟決めただけで突っ走れるような素質は持ってねぇよ」
「よく言うわ」
一番の無鉄砲なのは誰だと思っている、とメイはやれやれと笑った。
悩んでいる飛彩がいなくなっただけでも頼もしさから何でも達成出来るような気もしてくる。
「まずは蘭華達を救出する。ララクのことは正直簡単には決められねぇ。だったら考えるのは後回しだ」
答えを先送りにする。そう決めただけで吹っ切れた様子の飛彩は決意を新たに両拳を鳴らすのであった。
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