そんな二人の攻防をホリィが止められるわけもなく、戸惑っていると手に持った通信機からか細い叫び声が届いた。
「ちょっと飛彩! 何が起こってるの?」
わずかに聞こえた声に導かれるように、手に持っていた小型の通信機を耳にはめたホリィは聞こえてきた蘭華の声に安堵してしまう。
「蘭華ちゃん……」
「ホリィ!? 無事だったのね! 飛彩はどうしたの!?」
「飛彩くんは今家のボディーガードの人と戦って……そうよ、惚けてる場合じゃないわ! 止めないと!」
「二人に何が起きてるんですかぁ〜!?」
視覚情報のない蘭華とカクリは時折聞こえてくる殴打音や家具を打ち壊す音に心臓を冷やす。
防犯カメラなどや何か視覚的にハッキングできるものはないか懸命に調べる蘭華だが、プライベートな空間にそれに準ずるものはなく。
「もう、飛彩とホリィに任せるしかないわ……」
歯噛みする蘭華の想いを汲み取るが如く、駆け出したホリィは無謀にも二人の間に割って入る。
めちゃくちゃになったエントランスにやっと静寂が訪れた。
「お嬢様、何故賊を庇うのです?」
「——スティージェン。やりすぎです。殺す気ですか?」
「ええ」
何の悪びれもしない使用人の目は、料理を運んでくるのと同じような疲れた目をしている。
今まで殺し屋のような男に世話をされていたのかと驚きを隠しきれなかった。
「そのヒーロー本部の男が貴方に迷いを与えたのですか? ならばやはり始末したほうがよさそうだ」
「何をっ……」
「彼を殺せば、お嬢様は永遠にカエザール様の駒になる」
にこやかに微笑みをホリィに向けた瞬間、離れて耳を傾けていたはずの飛彩の両足が硬い床を蹴り抜いて爆ぜた。
動かないはずの左手がスティージェンの右頬を打ち抜き、ホリィの私室ががある西側へと吹き飛ばしていく。
「テメェ、人を何だと思ってやがるッ!」
動かないと高を括っていた左腕の一撃は本調子と変わらない重さのままでスティージェンの動揺を誘う。
素早く起き上がったものの片膝をついて冷静に回復を待った。
「ホリィ、もう止めるな。ここであいつをぶっ潰さない限り未来はねぇ」
自分がホリィにとってどれだけ大切かを自覚していない飛彩だが、ここで飛彩が殺されようものなら間違いなくホリィは家の傀儡になるだろう。
飛彩が姿を晒してしまった時点で、スティージェンを倒さないことには、もはやどうにもならないのだ。
「でも……」
「話は後だ。まずはお前を馬鹿にしたアイツをぶっ潰さねぇと気がすまねぇ!」
立ち上がったスティージェンもまた、カエザールの使命を全うするには飛彩を潰さなければ意味がないと理解した。
明言はされていないが確固たる絆を感じ、飛彩がいる限りホリィはまたヒーローの使命と家柄のどちらかを選ぶべきか悩むだろう、と。
「潰すだけでいいのか? 私は君を殺すよ?」
「ハッ、面白ぇやってみろ!」
互いに長い廊下を駆け抜けていく中、脳内では幾多の攻防が繰り広げられていく。
隙を見せない相手に対して飛彩が先手を取った。
「タラタラしてんじゃねぇよ!」
「荒々しい怪盗気取りだ」
壁を走りながらスティージェンの側面に左足の飛び蹴りをお見舞いするも、上半身を仰け反らせて攻撃を回避されてしまう。
回転しながら着地した飛彩は痛みを無視して両手で殴り続ける。
苛烈な拳の雨を顔色ひとつ変えずに応戦するスティージェンは腕の側面を弾いて悠々と押し返していく。
「やはり左腕は痩せ我慢だね?」
拳速の違いに気付いたスティージェンに飛彩の左拳が受け止められてしまう。
そのまま両手で絡みつかれそうになった瞬間、英人にやられた時と同じく折られるという直感を感じた飛彩はあえて肩を突き出してタックルをかます。
「どらぁッ!」
「考えたな」
しかし、左腕を折るという気迫も撒餌。
飛彩よりも早く後ろへ下がったスティージェン目掛けて突き出した右肩がすぐには止められないほどの勢いとなって迫っている。
「だが、まだまだ若い」
充分な間合いを先んじて取ったスティージェンは、その長い足を飛彩の顔面目掛けて振り上げた。
踏み出してしまった一歩が遠い、そんなことを考えてしまうほどに追い詰められた飛彩は顔を何とか逸らすものの右肩に踵落としを叩き込まれ膝から崩れ落ちる。
「ぐうっ!?」
「眠れ」
右肩に叩き込まれた左足を軸に、スティージェンはその場で後方宙返りを披露する。
勢いよく床を蹴った右足が弧を描いて飛彩の顎へと吸い込まれた。
「ああっ!」
硬い革靴が顎に打ち込まれる鈍い音と、飛彩の歯と歯がぶつかり合う甲高い音が二重奏を響き渡らせる。
名前を呼ぶわけにはいかないホリィは悲鳴を上げることしか出来ない。
「ぐっ……ふうっ……?!」
宙を舞う飛彩は脳内で火花が散ったような感覚から抜け出せず、揺らぐ視界が天井を映していることで自分が倒れたことに気付いた。
「がっ、がはっ……!」
「まだ息があったか……面倒な賊だ」
重い上半身を起こす飛彩は肩に繰り出された攻撃を受けた瞬間に、相手の二撃目を理解しあえて顎を突き出したのだ。
避けられないのであれば威力が乗り切る前に攻撃を受けるというのは飛彩も何度か披露している。
それでも顎が砕けたかのような衝撃に対し、未だに鈍痛と脳の揺れからは解放されていない。
「さて、あとはその首を捻るだけ……」
もはや勝負は決したと言わんばかりのスティージェンに対し、飛彩は床にへたり込んだ状況のままだ。
今の飛彩にとってインジェクターもなければ展開力を使うわけにもいかない。
一撃必殺の力を生身の人間に向けられない以上、自力のみで戦うしかないのである。
「まだ、こんなに強い人間がいるなんて驚きだぜ……」
「私もヒーローがこの程度だとは思いませんでしたよ。これなら私にも務まりそうです」
冗談めいた笑みを浮かべるスティージェンは早くも勝利の余韻に浸っているようで、未だに立ち上がることの出来ない飛彩を見下ろすように歩いていた。
「待ちなさいスティージェン、ここで殺人など許すわけが」
「黙りなさい。貴方に命令される筋合いはないのです。顔を傷付けなければ少々痛めつけてもカエザール様はお怒りになることはないでしょう」
気怠そうな男から放たれる願力にホリィは再び言葉を失いそうになったが、気丈に歩み寄りスティージェンの腕を引こうとする。
「聞き分けのないお嬢様だ」
「きゃあっ!」
突き飛ばされたホリィはヒールを履いていたこともあり、簡単にバランスを崩してしまう。
唯一自分を見下さない使用人と考えていたホリィはそもそも自分が眼中になかった事を悟る。
見上げた相手はカエザールにのみ従う最強の暗殺者だと理解して。
「お嬢様から先に眠ってもらいましょうか。起きたらこの男の亡骸を見せて差し上げますから、絶望に包まれてお眠りください」
歩む先を変え、飛彩へ背中を向けた瞬間スティージェンの全身が悪寒に包まれた。
振り返るよりも先に足首が腐り落ちたかのような恐怖が神経を這い上がってくる。
「っ!?」
倒れていた飛彩は這いずりながらスティージェンの足を握りしめ、仮面越しに鋭い眼光を迸らせている。
「テメェみたいなゴミがヒーローなんて出来るかよ」
怒りを燃やす瞳が痛みを無視させて、動かないはずの四肢を動かしていく。
展開が外付けではない飛彩は常日頃から展開力を内に秘めていることになる。
その点では力を解放しなくとも一部展開力を引き出せるということかもしれない。
そうでなければ飛彩も身体の奥底から湧き上がる力の正体が何なのか説明がつけられなかった。
「何ぃ!」
掴んだ足首を引き、勢いをつけて立ち上がった飛彩は膝裏に拳を突き立ててスティージェンのバランスを奪い去った後、腰に両腕を回しそのままバックドロップの要領で脳天を地面へと叩きつけた。
「寝るのはテメェだ!」
「がはぁぁぁっ!?」
先ほどまで脳が揺れていたとは思えない動きで形勢逆転した飛彩は素早く起き上がるも、息を荒くして立っているのもやっとという様子だ。
怒りが展開力と結びつき、一時的に身体を動かしたに過ぎないということは飛彩本人にも理解できており、今ので倒れてくれと祈らざるを得なかった。
「くそっ……随分と荒っぽいやり方だな……」
だが祈った時は大体思惑通りに進むことはない。
受け身をとっていたスティージェンもまたよろよろと立ち上がる。
お互い頭部に大きなダメージを負っているが歴戦の経験が戦場に何度でも立ち上がらせるのだ。
「派手な戦い方は嫌いなんだ……敵を殺すには静かに最低限の力でいい」
「んなもん相手を潰せるならどんなやり方でも構わねぇよ。そんなもん選んでる限り二流だぜ?」
舌戦は引き分けというところだが、互いに限界に近い負傷度合いだ。
乱打戦に持ち込むのは体力的に厳しいはずだが飛彩はあえて前に出る。
「なっ!? 馬鹿かお前は!?」
「嫌がると思ってたぜ!」
距離を取り、蹴りを中心にした攻撃を奏でる飛彩は振った足の勢いで相手の防御を何度も剥がしていく。
防御に回す余力も奪うためのインファイトで風向きは完全に飛彩へと変わる。
「強い……」
脳天を揺らしていたにも関わらず、すぐに立ち上がり攻勢へと戻した飛彩に対してホリィは軽く突き飛ばされただけなのに倒れたままだった。
痛みよりも父親の自分に対する気持ちを知ってしまったことがどうしても立ち上がる気力を奪っていく。
「——何考えてるの。飛彩くんを止めないと……」
仮に飛彩がスティージェンを倒したとしてもカエザールにより権力を振るわれればその身に何が起こるか分からない。
そんなことになってしまうくらいなら父親に従い、飛彩を見逃してもらった方が何倍も良いと口を開こうとした。
「やめろ!」
「!?」
何かを感じ取ったのか飛彩は、攻撃の手をやめてまで飛彩は背後にいるホリィへと叫んだ。
「お前に助けられるためにここに来たんじゃねぇ」
息を深く吸い込み、湧き上がる力を全身へと駆け巡らせていく。スティージェンもまたこの隙に乱れた息を整えた。
「お前を助けたくてここに来たんだ」
「なんで……」
利益も何も関係なくただ仲間のために戦うことの出来る飛彩は正義の心に輝いていた。
ヒーローとはこのような人物であるべきなのだろうとホリィの心に影を落としてしまうほどの。
「助けたくて? ホリィお嬢様は家に従うことこそ至上の喜びと感じられている。いや、そう感じなければならない! お前なんぞに邪魔されてたまるものか!」
二人の会話を遮るように特攻するスティージェンと飛彩の攻防が再び火花を散らす。
足払い、掌底、前蹴りと流れるような乱打を躱し続けた飛彩は動作の終わりを見切って足を一気に殴りつける。
「どうぞ?」
挑発的な言葉を吐かれた瞬間、飛彩は目の前の相手を見失う。
振り下ろしていた拳の勢いが時の流れが変わったかのように緩まった。
(んだよ、これ……!)
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