「飛彩がいない?」
素っ頓狂な声をあげたのは本部の司令室でメイと黒斗の前に佇む蘭華だった。
その後ろについてきていたカクリも不安そうな表情を浮かべる。
「第四誘導区域……全てが廃墟となっているあの場所で異世化の兆候が出ている。先遣隊に飛彩を向かわせたかったんだが、訓練後に姿を消したらしい」
「飛彩さん……」
「はいはいお嬢さんたち、不安そうな顔しないの」
宥めるように笑いかけたメイは白衣のポケットから自身の通信端末を取り出す。
「飛彩の通信端末は電源切ってても私の連絡に反応して電源がつくようになっててねぇ〜。強制的に呼び出すことができるんだ〜」
「なんですかそれ! 私のにもやってください!」
「か、カクリにも!」
「いいからさっさと飛彩を呼び出せ! 蘭華も先遣隊で出発する準備をしろ!」
女子たちの騒ぎに痺れを切らした黒斗は怒号を飛ばす。
しかしそれよりもメイの険しい表情がその場を戦慄させた。
「——出ない」
技術開発において右に出るものはいないメイの作ったものに不備がある可能性は極めて低い。
しかもその機能にはインジェクターと同じく展開力が使われており、電波がつながらないなどの弊害は発生しないのだ。
そうなると、残された可能性はただ一つ。
「通信機が壊されてる?」
その可能性にすかさず黒斗はヒーロー本部へと連絡を飛ばした。
そこの上層部に届いた通話で端的に要件だけを話す。
「絡繰英人局長はいるか?」
そして帰ってきた返事は否定。
素早く通話を切った黒斗は悔しそうに歯噛みするメイに視線を向ける。
「やつが……動き出した」
「隠しきれなかったみたいね……」
「ちょ、ちょっとどういうこと?」
「さらわれたのよ、よりにもよって一番厄介な相手に」
厄介なことになった、そう感じていたのは春嶺も同じだった。
いち早く変身することが出来るが、ここには他のヒーローも護利隊もやってくる。
そうなってしまえばこの地下施設の存在に気づかれる可能性が僅かでも上がってしまうからだ。
一人通信機に耳を傾けた春嶺は英人の短く呟かれた命令に瞳を輝かせる。
「中継はやめさせた。能力リミッターを解除する」
「それでは……」
「護利隊の連中はどれだけ早くても十分はかかるはずだ。それまでに片付けろ」
「お任せください」
通信機の向こう側で聞こえる飛彩の悲鳴。
どんな実験を行なっているかなどに一切興味を示さない春嶺は地上へと戻り、荒廃した廃墟で小さく世界展開(リアライズ)と呟いた。
光の柱が出ることもなく、春嶺の足元に円形に展開が広がっていく。
誰もいない死の世界にふさわしい黒装束のスカートの中に潜ませていた二丁のハンドガンを引き抜き、次元の裂け目へと歩いていく。
「世界展開マニュアルモード」
その頃、飛彩は抗うこともできずに縛り付けられた椅子にもたれかかる事しか出来なかった。
「君も、その昔はヒーローが疎ましかったんだろう?」
「はぁー……はぁー……それがどうした……」
強化ガラス越しに見える英人へ唾を吐き捨てる飛彩は左腕への集中を切らさぬように言葉を紡いだ。
会話も時間稼ぎの一環になり得ると思ったのだろう。
「私も君と同じでねぇ」
「おいおい、ヒーロー本部の局長さんが何言ってんだよ?」
「考えてもみろ」
不遜な態度を取ったまま研究室へのドアを開いて中に英人は踏み込んでくる。
「ヒーローの技術はメイの作った技術でもある……私は結局お飾り研究者、というところさ」
「なるほどな。プライドの高さだけは一人前らしい」
挑発を一切気にする事なく英人はオールバックの髪型を整えながら直接機材を調整していく。
「だが、私には私なりのヒーロー像があるんだ」
だらりと下がっている飛彩の左腕を掴む英人の笑みはおぞましく、まさにマッドサイエンティストの名がふさわしい。
「メイの作った人工展開の技術は素晴らしい。だが……ヒーローは想像の産物と同じく瞬時に変身できなければならない」
「お前が護利隊のトップはった方がいいんじゃねーか?」
「はっ、守られて変身するヒーローなんてファンが見たら悲しむだろう? だから私の求めるヒーローは完全無欠でなければならない」
「話が通じねぇ野郎だ……」
次々に飛彩の左腕に様々な装置をつなげていく英人。
飛彩は自身の変身能力を手に入れようという狙いを察するが、そんなことが出来るはずがないと頭を混乱させた。
「君の変身は素晴らしい! 誰もが羨む即時変身だ!」
尊大な話し方を聞けば聞くほど気に入らないという感情が湧き上がる。左腕の展開に集中する思考がどんどん乱されていった。
「だが、左腕だけじゃあ完璧じゃない」
薄暗い室内に鈍い音が響く。
刹那、飛彩は何が起こったのかわからなかった。
だが瞳はありえない方向に曲がっている自分の左腕に釘付けとなる。
「ぐっ、ぐあぁぁぁぁぁぁ!」
「君、ずっと世界展開しようとしてるだろ? そういうのは計器の反応でわかるんだよ」
肘を起点にあらぬ方向に曲がった腕を庇うこともできず、ただただ痛みに喘ぎ続ける。
もはや能力の展開どころか憎しみの視線を送ることもままならない。
「飛彩くん、君は完璧じゃない。いくら一瞬で変身できても一部分だけじゃあねぇ〜」
「ざけやがって……」
「ふざけてなんかないさ。昔、口だけ隠れていないヒーローが出てた番組があったんだが、僕はそのヒーローが嫌いでねぇ……とにかく、私の想像する完璧なヒーローにしなきゃ気が済まない」
狂気じみた男を前に、飛彩はヴィランに対して抱くことのなかった謎の恐怖を味わされた。
おかげで痛みが少し薄れたものの、どちらにしろ変身に対する集中力は維持できない。
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