「ぐっ!?」
伸びた口吻が途中で方向を変えて、飛彩を背後から襲ったのだ。
後頭部を串刺しにしようとしていた一撃を何とか回避したものの飛彩の左肩がその餌食となる。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「隠雅!」
誰しもが息を呑む中、翔香の悲鳴だけが通信機の中を行き交った。
「気に入りましたよ。君はメインディッシュにします」
肩をおさえて苦しむ飛彩のことなど気にかけず、一気に口吻を引き抜くミューパ。
それに付いていた血をすすり、身震いしながら再びヒーローの元へ歩き出す。
「……おい、待てよ。俺はまだやれるぜ?」
背を向けて再び歩き出していたミューパへと飛彩は向き直る。
だらりと下がった飛彩の左腕は肩の部分に大きな空洞が出来てしまっていた。
「飛彩! 世界展開を使え! 傷の応急処置にもなる!」
焦る黒斗からの通信に対し、朦朧とした返事を返す飛彩。
思考が定まらないのは痛みだけでなく毒か何かを注入させられた、とゆっくり理解し始める。
「くっ……そ……がっ……!」
封印されていた左腕を纏おうにも、集中力が足りず世界展開をその身に纏うことは叶わなかった。
緊急事態に応急処置道具を持った蘭華がカクリだけに通信を入れる。
応急処置のために自分だけにあの場所に送り込め、と。
カクリも納得し世界展開を発動しようとするがよろよろと歩き出した飛彩によって二人の動きは固まる。
「待ち……やがれ……!」
おぼつかない足取りでミューパを追いかける飛彩。
肩から流れる血がアスファルトによろめいた軌跡を作っていく。
変身が不可能と悟った時点で、回復することを捨てたのだ。
「何を考えている! 実験は中止だ! 射撃部隊、飛彩のフォローを急げ!」
「やめ、とけ……余計な死人を増やすだけだ」
蝶と同じような複眼を隠し持っているミューパにとって銃弾はいかようにも対処できるものだった。
ただの射撃部隊では一瞬で無力化されると飛彩は戦いの中で確信を得ている。
「だ、だからって、一人だけ犠牲になるつもり!? バカじゃないの!?」
インカムめがけて叫ぶ蘭華は、まるで毒の効果が伝播したように混乱していた。
ハイドアウターやギャブランの時以上に大きな外傷を受けて死にかけている飛彩を見てしまった以上、冷静さを保てるはずがない。
「へっ……毒食らって左腕使えねぇだけだ。丁度いいハンデだよ」
「ふむ、もう少し痛めつけた方がよろしいですか?」
一瞬で飛彩の眼前に移動したミューパは踏み抜くように飛彩の左肩を蹴り飛ばした。
「っ〜〜〜〜〜〜〜!?!!?」
頭の奥で火花が散ったような錯覚。激しい痛みに飛彩は今度こそ地面にうずくまった。
「せっかくメインディッシュにしてあげたんです。光栄に思いなさい」
再び背を向けて歩き出そうとするミューパの足首を飛彩は懸命に掴んだ。
「黒斗ぉ……あと何分守りゃいいんだ? とっくに二分なんて経ってるだろ?」
息も絶え絶えといった様子の飛彩に、どんどん変身所要時間が伸びているなんていう事実は告げられなかった。
「しつこいですよッ!」
「ぐっ!? ぐあっ!?」
背中を何度も踏みつけられる飛彩だが、決してミューパの足を放すことはなかった。
射撃部隊は使用不可、頼みの綱のヒーローの変身時間はどんどん伸びている。
黒斗ですら息を呑む絶望的な状況を打開できるのは、翔香ただ一人だった。
「はぁ……くっ……!」
しかし、翔香は自身の呼吸を整えるだけで精一杯。
恐れていた光景が広がったことで完全に戦意を喪失している。
「隠雅……」
翔香は思った。
かつて飛彩に言われた「ヒーローになったことを後悔する日が来る」という予言が今日だったと。
自分がヒーローにならず、飛彩がレスキューイエローとして活躍していれば少なくともヴィランにいいようにされている護利隊員はいなかったかもしれない。
「やめて、やめてよ……もう守らなくていいから!」
ヒーローらしからぬ懇願の声。誰も傷ついて欲しくないという優しい少女は戦士にはなれなかったのだ。
「守るに決まってんだろ!」
続けて飛彩はホリィへと向けた言葉を再び紡いだ。
「ヒーローがみんなを守るなら、誰がヒーローを守るんだよ? 自分たちが助ける側だなんて決めるな!」
言葉の一つ一つが翔香の心へと浸透していく。
一度聞いたはずの言葉でも、自分は理解出来ていなかったのだと言葉を反芻していく。
「俺は決めたんだよ……誰もヒーローを守らねぇなら俺が守るってな!」
満身創痍のはずの飛彩から発せられた怒号は、ミューパすら怯ませた。
攻撃の手を緩めてしまうミューパは足蹴にしていた人物から発せられた覇気に息を呑む。
「走駆ぇ。テメェはキモいくらい甘ちゃんなんだよ」
「え……?」
「カメラの向こうにいるパンピー共なんて、お前らが傷ついたって何とも思ってねぇぞ? むしろ面白がってるだろうよ」
ヒーローとヴィランの戦い、それは最高の娯楽として世間一般に広まっている。
戦場に想像以上の血が流れていることなど、誰も想像していないだろう。
「誰も傷ついて欲しくない? そんなこと考えてるのはお前くらいなもんだぜ」
「お、おやおや、あなたを救えないヒーローへの苦言ですか?」
たじろぐミューパは嘲るように飛彩の頭を踏みつけ直した。
自分が慄いたことを帳消するかのごとく、飛彩をめり込ませていく
「くっ、飛彩ぉ!」
「翔香ちゃん、ホリィちゃん。一時的に熱太くんに展開力を集めましょう。不完全かもしれないけど、一人だけでも変身出来るはず」
それはヴィランに好き勝手させるわけにはいかないという悪足掻きに違いない。
出来るかどうかよりも気持ちが先に動いている熱太たちを翔香は逆に冷静に観察できた。出来るはずもない方法に縋ろうとしているだけだ、と。
「いつまでビビってんだ? お前が望んでたように、誰も死んじゃいねぇぞ走駆(はしがけ)」
「そんなボロボロになってまで……なに言ってるのよ! 私が傷つくのは構わない! でも、そのために誰かが傷つくなんて、私は耐えられないんだよ!」
優しさ、それはヒーローになるための資質の一つだ。
だが、それが多ければいいというわけでもない。
少なくともこの世界では、犠牲を受け入れることもヒーローに求められる資質の一つだった。
「誰も傷つかない……ありえねぇ話だ。戦う以上、絶対に誰かが傷つく」
「クックク、そんな当たり前のことで悩むヒーローがいるんですか? それは面白い! そのヒーローにはデザートになってもらいましょう」
「だけどな。そんな夢物語を……叶えてやりてぇと思ったんだよ!」
もはや飛彩を敵とすら認識していないミューパは子供の駄々に付き合うようにしてしゃがみこんだ。
「私の気が長くて良かったですねぇ。さあ、好きなだけ吠えてくださいよ」
「俺は死なねぇ。あいつらの変身時間も守る……ヒーローの心が潰れちまうんなら、それも俺が守ってやる!」
その言葉は翔香の曇っていた心に一筋の光明となった。
「じゃあ、何? 誰も傷つけさせないように、一人で戦ってたってわけ? よ、余計なお世話だよ……」
言葉とは裏腹に変身所要時間がどんどん短くなっていく。歪んでいたはずの世界展開(リアライズ)がより洗練されたものになっていった。
——ああ、そうだったのか。
何故、悩んでいたのだろう。翔香は心の中で自分に問いかけた。
傷つく人を見たくなかったから? 自分のために人が死ぬのが耐えられないから?
未だ無自覚な理由も存在している筈だ。
それでも翔香は飛彩の声に応えたいと思えたのだ。
ヒーローとは、何を守り戦うのか、翔香はずっと平和のためだと思っていた。
遠い国の出来事のように漠然とした理念では覚悟を生み出すことが出来なかった。
「そっか……私に足りなかったのは覚悟じゃない。『理由』なんだ」
熱太と同じ、エレナと同じ、誰かと同じようにではヒーローにはなれないと翔香は気付く。
ならば何のために戦うべきなのか、その答えは視界の中にあった。
「ありがとう、隠雅」
その呟きと同時に、光の柱が一気に収縮して世界展開が発動する。
光の柱を吹き飛ばし、ミューパの張っている展開を大きく押し戻す。
「というか……隠雅がボロボロになってたら意味ないんだけど?」
「ああ、ちょっと計算外だったんでな」
飛彩の返答を置き去りにする黄色い閃光は誰にも近くすることが出来ず、一瞬にしてミューパを吹き飛ばした。
「がふっ!? ……な、何だ貴様!?」
「楽しい意志で世界を救う! 元気な魂! レスキューイエロー!」
現れた翔香はいつもと変わらぬ快活とした状態だった。
それを見た飛彩はやっと目を覚ましたか、と口角を上げる。
「身体張った甲斐があったみてぇだな」
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