「まぼろしさんって知ってる?」
何の前置きもなく、彼女はそう問い掛けてきた。まるで今夜の献立でも訊ねるかのように。
俺は席に着いたまま視線だけをこちらへ向ける彼女に、呆れ気味に返事をする。
「まぼろしさん? ……また変なウワサ聞きつけて来たのか、ラン」
「失礼なっ、変なウワサじゃないわよ、レイジ。あれはホンモノよ、絶対出会えるスポットなのよ!」
――絶対出会えるって、ヤバい謳い文句だろ。
心の中でツッコミを入れてから、
「……まあ? お前のそういうのは今日に始まったことじゃあないんだろうけど」
俺はそう呟いて鼻で笑った。
**県の中央からやや外れたところに位置する鈴音町。この町唯一の高等学校がここ、鈴音学園だ。
俺――桜井令士がこうして駄弁っている場所は別館にある小さな部室。今は放課後で、時刻的には一応部活動の時間なのであった。
その部長というのが、突然怪しげな話題を投げかけてきたこいつ、安藤蘭。やや短めの髪に飾り気の無いシンプルな服装で、男勝りという言葉が似合う少女だ。一見不真面目な発言をしているようにも思えるが、実は彼女が一番この部活に相応しいことを話していたりする。
ここは鈴音学園ミステリ研究部。謎を追い求める、ロマン溢れる部活動である。
「あーんもう。レイジはいつも冷めてるわねえ。ねー、アヤちゃん」
俺がつれない態度なので、ランは部屋の隅でネットサーフィンに勤しんでいるもう一人の部員に声を掛けた。話を振られた黒髪おかっぱ頭の少女――刀城亜耶ちゃんは、半ば独り言のようにこう呟いた。
「……霊を信じぬのは愚か者だ」
「ほらっ、アヤちゃんもそう言ってるわよ」
「……ほらってな」
まるで鬼の首を取ったように言うが、アヤちゃんはオカルトガチ勢なんだから一般人の総意と思うんじゃない。
「……オカルト否定派はナンセンス、京極博士は視野が狭い、と……よしよし」
ほら、アヤちゃんは今もネットのオカルト板に書き込みをしているようだ。
京極博士というのは結構有名な学者だったはずだが、どうも心霊現象を信じない人らしいな。
「……で、今回のネタはどんなお話で?」
どうせ聞いてやるまで騒がしいだろうし、俺はランに続きを促す。すると案の定彼女の表情はパッと晴れやかになって、
「よくぞ聞いてくれました。……アヤちゃん、説明よろしく」
「って、お前じゃないのかよ」
……振られたアヤちゃんも若干面倒臭そうな顔してるじゃないか。
「この町のはずれに建つ館、黒影館。そこに夜な夜な幽霊が現れるという話だ。深夜零時を過ぎたとき、霊に会いたいと願えば。そこに死者のまぼろしが現れる……らしい」
「以上っ」
さも自分が発表したかのようにランが元気よく言うので、
「はいはい、サンキュ、アヤちゃん」
と、俺はアヤちゃんを名指しで労ってやる。彼女は相変わらずパソコンの画面を凝視したままながらこくりと頷いた。
「そんなわけで。我らミステリ研究部――ミス研としては、追いかけずにはいられないでしょ?」
「俺はミス研とやらじゃないぞ」
「だから、今週末に黒影館へ、探検に行ってみなくちゃならないわけなの」
「……こいつ……」
俺の訂正は何事もなかったかのようにスルーされ、ランは自分勝手に話を進める。
そう。今更ながら、実のところ俺はミステリ研究部のメンバーではないのだ。ただちょっとばかり仲良くなってしまったこのお天馬娘に連行されたのがきっかけで、ここに集まるようになったのである。
そもそも多少なりとも興味が沸いたのは、ミス研という響きのせいだ。推理小説でも読むのかと思いきやオカルトの追っかけが活動内容なのだから悪い意味で想像を裏切られる。
普通はオカルト研究部とかにしないだろうか。いや、それだと多分部活動の申請が通らなかったのかもしれないが。
「レイジはここに入り浸ってんだから、その対価くらい払いなさい。メンバーだって足りなさすぎるんだし」
「ココの活動内容が馬鹿らしいから、集まる奴が次々抜けてってるんだろ?」
「酷い! そんなことないわよねー、アヤちゃん」
「……大抵はミステリ研究会と勘違いしている」
ほら、部員が言うのだからそれは間違いない。憧れのEMCはいずこ、だ。
「しかし……黒影館ねえ」
「なによ?」
「いや、別に……」
よもやあの場所に、そんな噂が立っているとは思わなかったけれど。
古い記憶がチクリと痛むようだ。
「ま、とにかく」
俺の気持ちは最後まで無視されたまま、ランは締め括りとばかりに宣言する。
「今週土曜の昼三時から、黒影館探索ツアーを始めるからね。参加強制、それではお待ちしております!」
「……はあ」
まったく、災難な話だ。
それを拒絶しない俺の心も含めて全部。
*
「なーんか暗そうな顔してんな、レイジ」
部室を出て、廊下を歩き始めたところで声がかかった。
よく見知った男の声だ。
「おう、ソウヘイか」
西条創平。同級生の中でも特によく連んでいる奴だ。派手な金髪で見た目は近寄り難いが、軽薄な言葉にも気遣いがある、意外と好かれやすい男。俺もこいつといるのが気楽なので、自然と仲良くなった。
「俺はちょうど休日出勤のお達しが出たところだよ」
「マジで? そうか……おめでとう、レイジ」
「まさか勘違いしてないよな?」
デートという三文字はあり得ないものとして頭から消去してほしい。
あるのは休みを食い潰すツアーという名の強制連行だ。
「はは、冗談、冗談。どうもお前のアレはじゃじゃ馬らしいな」
「アレ、が何なのかは知らないが、そういうんじゃないから」
何故かしょっちゅう絡まれるようにはなったが、別に青春を謳歌するような関係性はない。正直なところ、一緒にいたがる理由を知りたいくらいだ。
「ふう、俺は疲れたしもう帰るよ」
「そ? じゃあ、またな」
「はいはい、また明日」
ランたちはいつまで不毛な部活を続けるんだろうな、などと考えつつ、俺は廊下を歩いていく。
その背に、どういうわけかソウヘイの視線がずっと向けられているような気がした。
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