資料室の本棚を大方調べ終わり、残すは後一列というところで、俺はもう一冊重要そうな資料を発見した。基本的に研究員が残したものは装丁がない紙束だったり、或いは大学ノートだったりしたので、そういうものが怪しいとみてよさそうだ。
「これは……魂魄分割実験の記録みたいだ」
「やっぱり、記録している研究員がいたんだね……」
「どんなことが、書かれてるんでしょう」
「ああ……読んでみる」
ノートには文字と図でびっしり埋められている。作成者はよほど几帳面で神経質な性格だったのだろう。
『当初の予定通り集められた被験者たちの監察結果について……
被験者A……ゲノム配列を改造。Aを善寄りへ、A’を悪寄りへ。基本的にオリジナルを逸脱しないが、善悪別れる。Aの大人しさ、A’の荒っぽさ、いずれも二人を接近させた場合、静まることを確認済み。
被験者B。分割後、両魂魄共に消滅を確認。非常に不安定な個体。やはり魂魄分割は成功率の低い実験。革命的な分割法の模索が必要か。
被験者C……分割後、全く異なる体験をさせ、その後C’を破壊。C’が分割後に経験した記憶について、Cに還元されることを確認』
「……生々しい記録ですね。この場所で、実際にそんなことが繰り広げられていたと考えたら……」
「……悪魔の所業だと。そう言われても、仕方のないことだ」
まさに悪魔の所業と言える研究記録。そのページをパラパラと捲るたびに心が抉られるようだった。
そのノートの中程までいったとき、俺は気になる表記を見つける。
「……え?」
「ど、どうしました?」
「……今までは被験者ABCだったんだけど、次が被験者Wになってる。双子って……」
「まさか……」
橘姉妹に刻まれていた聖痕。
そしてこの記録が、結びつく。
「姉の魂魄を分割後、妹の肉体に固着させる。人形の不足、及び……妹の魂魄が消滅したため……?」
「……え……?」
「な……何だって?」
他の二人も一応に驚愕の表情を浮かべる。
当然だ。それは今までの認識がひっくり返される事実だったのだから。
「……これ、間違いなくマコちゃんたちの記録だよな? 二年前、他に双子とか姉妹とかいなかったよな?」
「あ、ああ……いなかった。双子は……姉妹は、あの二人だけだ」
「……だとしたら。二人はあのとき、姉妹じゃなかったってことだ」
「……つまり、ミコちゃんの体には、マコちゃんのもう一つの魂魄が固着されていた……ミコちゃんは、二年前にはすでに死んでいたってことですか……!?」
自らを姉妹と語っていたあの二人。
確かにその肉体は姉妹だったのだろう。
けれど、内なる魂魄は。
全く同じ魂魄が二つに分かたれたものだったのだ……!
「そういえば……なんか変な発言をしていたなと思ってたんだよ。ミコちゃんの死体を見て、そばにいたモエカちゃんに向かって、マコちゃんはこう言ってたよな。『返してよ、ミコの帰る場所』って」
「じゃ、じゃあマコちゃんは……ミコちゃんの魂が、いつか戻ってくることを信じていた?」
「きっとそうだ。マコちゃんたちは何も知らずに待っていたんだ……二年もの間」
「そんなの、酷すぎます……」
望みのない希望だった。
それを知らず、彼女はただ自身の片割れと待ち続けていたのだ。
そう……酷すぎる。
「……そんなマコちゃんたちが、かつて自分たちが実験された場所へ来た理由って何だろうか。招待状に怪しさを感じながらも……それでもここへ、来る理由」
「……もしかして」
「一つだけ思い浮かぶのは。ミコちゃんの魂が戻ってくるチャンスがあると、信じたから……」
トラウマであってもおかしくないこの場所に、勇気を振り絞ってでも来なければならない理由があるとするなら。
それくらいしか、考えられないのだ。
「……ねえ、マキバさん。そろそろ答えてくれませんか。あなたたちをここへ誘った招待状には、何が書かれてたんですか……?」
「それは……」
口ごもるマキバさん。その裏に、重大な理由があることは間違いない。
だから俺は、彼を追い込むために言葉を続けた。
「どうしてあなたは――ここを霊の空間にしたんですか?」
この問いに、マキバさんは明らかに狼狽えた。何のことかと笑って誤魔化すべきか、或いはキッパリと否定すべきか迷い、奇妙な表情を浮かべる。けれど、結局その口からは何を発することもできないようだった。
だから、俺はその焦りを肯定と見做した。
「……そうなんですね。ただのハッタリではあったんですけど」
「あ……」
「ちょっと怪しかったんです。俺たちに対して冷静だね、なんて言いながら、あなたの方もずいぶん冷静でしたし。それがGHOSTの元研究員で、霊の空間に対して自分なりの仮説まで持っている……となれば、それをどうにか発現させる術もあるのでは……って」
マキバさんはしばらくの間、俯いたまま黙り込んでいた。
そして、観念したように一つ小さく息を吐いてから、
「……これも『プロメテウスの火』のおかげさ」
「風見照の降霊術……ですか」
「だけど、僕は何も言えない」
「どうしてなんです!」
「言えないんだッ!」
突然の豹変だった。
何もかもを拒絶するが如く、マキバさんは全力で叫ぶと、予想外の機敏さで俺たちの間をすり抜けるように走り去っていった。資料室の扉は勢いよく開け放たれたまま、ゆらゆらと動き続ける。
一瞬の出来事に、俺もシグレも咄嗟に止めることができずに、それを見ているばかりだった。
「マキバ、さん……」
「くそっ……何だってみんな、命を賭けてまで理由を隠す必要があるんだよ……!」
このままでは誰も生きて帰れない。そう予感していながらも、事情を共有できないのは何故なのか。
少なくとも、信頼されていないからではないと思いたい、けれど。
「……今は孤立するとまずい、追いかけよう!」
「……ですね!」
一人にはすまいと、俺たちもマキバさんの後を追いかける。
――と。
「えっ……?」
見間違いかと思った。
いや、ひょっとしたらそうなのかもしれない。
しかし、視界に映り込んだそれに、俺は一瞬だけ足を止めてしまう。
「ど、どうしました!?」
「いや……な、なんでもない、行こう!」
こんなときに、突拍子もないことを言って更に混乱させるわけにはいかない。
だから、俺は言葉をぐっと飲み込んで、再び走り始めた。
けれど、俺のすぐ隣に存在していたような気がするのだ。
あの姉妹……恐らくはマコちゃんの、仄白い霊魂が。
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