静寂の高原に、それは本当に突如として聞こえた声だった。
名前を呼ばれたシグレはびくりと見を震わせ、怯えながらも周囲を見回す。
果たして誰が、自分の名前を呼んだのだろうと。
そこで、光が弾ける。
一瞬の眩しさの後、俺たちの視界には先ほどまでいなかった者たちの姿が現れていた。
半透明な姿が。
「……やほー、お二人とも」
気さくに手を振るのは、洞窟前で死亡していたマコちゃんだった。その体は僅かに透けており、向こう側の景色が映っている。
これは……霊体というものなのか。
「ふふ……びっくりしてる」
「……ゆ、幽霊……」
「はは……シグレくん、それは今更だけどね」
マコちゃんの隣にいたマキバさんも、そう言って笑う。彼の姿もまた、蜃気楼のように実体のないものだ。
二人とも、俺たちとは線の引かれた向こう側にいる。
「こう……ホンモノを見ると、やっぱりびっくりしますよ」
「はは、確かにそうかもねー」
そう言えば、黒影館では明確に幽霊を見たりはしなかった。ただ、ランの使役していた魂魄に動きを止められたくらいで、その姿も確認はできていない。
霊をはっきりこの目で見たのは、シグレの言う通り初めてだ。
「二人は、どうしてここに」
「それは……まあ、死んでしまったからだと答えるしかないけども。因果的なことを言えば、僕がここを霊の空間にしてしまったからだね」
「確かに……黒影館のときは、皆改造後の副作用で死んでたから魂も消滅してたけど、二人はそういうわけじゃないんだもんな」
「風見照氏の空間ほどじゃないから、すぐに離れてしまうとは思うけれども」
プロメテウスの火、か。
黒影館を鎖したのも今回のことも、その風見という研究者の技術が用いられているわけだ。
どうもGHOSTの研究員ではなかったようだが、彼の詳細はいずれ調べてみたい。
「ええと……そういえばマコちゃん、私たちじゃないって僕に言ってたけど」
「少なくとも、私もマキバさんも、誰かを殺しちゃったりはしてないってこと。死んじゃった人が言うんだから本当のことですよ!」
「あはは……そう言うとかえって胡散臭くなっちゃうかもしれないけど、僕からも念押しする。僕とマコちゃんは、誰も手にかけてはいないんだ」
二人の言葉に偽りはないように思う。
そも、事件は三度起きたが、被害者は実質マコちゃんとマキバさんの二人であり、マキバさんの死亡時にマコちゃんは死亡していたのだ。
……けれど。
「それを素直に信じるとしたら、犯人の可能性があるのは一人になってしまう。でも、そんなことあるのか? ソウヘイまで俺たちにウソをついて……」
第一の事件発生時、唯一外にいて明確なアリバイのなかったモエカちゃん。いや、彼女の体を借りた人造魂魄。
もしかすればソウヘイは、モエカちゃんの肉体を人質にとられるような形で殺人に協力させられているのかもしれないが……果たしてあの人造魂魄が、そんなことをするだろうか?
ソウヘイと、体の持ち主であるモエカちゃんのためだと言うなら、むしろ二人が悲しむような手段まではとらない気がする。
「……僕らはね、探し物をしていたんだ」
マキバさんが、教会の方へ視線を向けながらぽつりと呟く。
「ええ……人質にとられている人のために、パーツを探してたんですよね」
「そう。悔しいことに、もうゲームオーバーになってしまったけど……そもそも僕らに救いがあったとは思えないけど。でもね、きっと君たちの役に立つと思うから、伝えておこうとここへ来たんだ」
「実は……私たちは教会で殺されたみたいなんです」
「え……!?」
それは、全く想定外の情報だった。
確かに現場の状況は、果たしてこの場で死んだのか分からないというものばかりだったが、教会で殺されていただなんて。
「どういうことなんだ、それは」
「マコちゃんは、教会のどこかにパーツがあると目星をつけて必死に探していたんだ。そしてその途中、いきなり襲われ殺された。僕もまた然りだ。マコちゃんに聞いたところ、同じ場所を探しているときに襲われたのが分かった。君たちから逃げ、施設から出てすぐに……だね」
「じゃあ……おかしいじゃないですか。なんで全員、教会から遠く離れた場所で死体が見つかってるんです?」
俺の問いに、マキバさんは答える代わりにマコちゃんの方を見た。
「おかしいのは、それだけじゃないんですよ」
「……と言うと?」
「だって、ミコの体に入っていた私はあのとき……零時になった瞬間に殺されたみたいだから」
「え……!?」
そう言われても、ミコちゃんは十一時四十分過ぎに一角荘内でグラスを割っていた。俺たちが駆けつけて片付けを済ませ、戻っていくまでに数分はあったはずだから……相当急がないと教会には辿り着けなさそうだが。
「探し物をしてるってバレたくなかったから、本物の方が一人二役をして、二人いるように見せかけたのよ。だから、あのときもうミコの体の方は、教会でそのパーツとかいうものを探してたの」
「……なるほど」
つまり、彼女たちは見た目がそっくりなことを利用して替玉トリックを使ったわけだ。服や髪型を取り替えてしまえば、俺たちならほぼ絶対に気付かないと踏んだのだろう。確かに、あのとき全員が双子のどちらもコテージ内にいると思い込んでしまった。だが、本当はマコちゃんの一人二役だったのだ。
「そして、零時になったときにミコちゃんの方は誰かに殺されて……その記憶が全部、マコちゃんに戻った?」
「そういうこと」
シグレの言葉を、マコちゃんは肯定する。
分割された魂魄の記憶が一方に戻るというのは真実らしい。
「だから、私が一番びっくりしちゃったのよ。ミコの体が一角荘の前にあったことに」
「そりゃあそうですよね。まるで魔法みたいに現れたわけですから」
「そうなの。だから、あのときは気が動転してモエカちゃんを責めたけど……もしモエカちゃんが犯人だったとしても、どうやったのかは全然分からないんだよ」
教会と一角荘は徒歩十分ほど離れた場所にある。マコちゃんが片割れの死を察知し、外へ飛び出すまでに五分も掛からなかったのだから、ミコちゃんの体は五分以内に教会から一角荘前に移動したことになるのだ。
そんな方法が……あるのか?
「……あ。もうそろそろ、切れちゃうみたい」
もう少し質問をしたい。そう思ったところで、ふいにマコちゃんがそう呟く。俺もシグレも首を傾げ、
「……切れる?」
「接続がね。要するに、違うブレーンに移ってしまう、みたいな」
「うん。そろそろ時間みたい」
「……そう、ですか」
タイムアップというわけだ。怪物や悪霊なら違うのかもしれないが、気持ちに整理のついた霊は向こう側の世界へ移動してしまう。
……彼らの場合は、諦めるしかなかっただけなのだろうけれど。
「私には何も分からなかった。どうにもならないまま死んじゃった。でもね? レイジさんたちはどうにかできるって思ってるから。だから……頑張って」
「ん。ありがとうな、マコちゃん」
俺が感謝の言葉を返すと、彼女は優しく微笑んだ。
「……それにしても、君たちにはどうして僕の睡……いや、今更いいか」
マキバさんの方は若干気になることを言い掛けて、しかし咳払いを一つすると、
「僕も応援してるよ、ここから生きて帰れるのを。敗者からの、せめてものエールだ」
「……じゃあね。ばいばい、レイジくん、シグレくん――」
こちらも別れの挨拶を告げて、手を振り返そうとしたけれど。
それよりも前に、光は全てを飲み込んでいってしまった。
現れたときと同じように、世界が元通りになった後には。
もう俺たち以外の誰も、周囲には存在しなかった。
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