……そして、時刻は午後十一時五十五分。
後五分もすれば時計の針は頂点で重なり、日付が変わる。
何かが起きるタイミング。せめてそのときくらいは気を引き締めておきたいところだ。
「……それにしても」
ソウヘイが、また欠伸をしながら呟く。
「マキバさんが学者ねえ。ホント、一見どこにでもいそうな、家庭を愛するサラリーマンって感じがするんだけど」
「まあ、家族愛が強そうなのは分かりますよ」
マキバさん自身も家族を大事にしたいという風に語っていたし、それは事実だろう。まあ、それと学者というステレオタイプなイメージがしっくり合わないのは分からなくもない。
……ただ。
「……なあ、二人とも」
「どうしたよ、レイジ」
「今更なんだけどさ。やっぱり俺……マキバさんの名前をどこかで見た気がするんだよ」
記憶はハッキリとしない。それは多分、マキバさんの名前をまだ音としてしか認識できていないからか。免許証や名刺を見るような場面もなかったし、彼がどういう漢字の名前なのかも曖昧だ。
「……僕はまあ、前に一度会ってるので見覚えはありますけどね」
「俺やレイジは面識ないはずだよな。それでもレイジが見覚えあるって言うと……?」
恐らく、手掛かりは学者だ。彼が自分の職業を告げたとき、或いは京極秀秋氏の話題を出したときに既視感を抱いたから。
「……学者なんだ。京極秀秋という人と同じ……物理学の学者」
俺が最近目にした、物理学関係のものは? 手掛かりはかなり限られている。
そう、たとえば図書館でパラパラ捲っていた本とか……。
「そうか、本か……!?」
記憶の底から、急速に浮上してきたものがあった。それは、暗き地下室での探索。謎めいた機関の研究資料の背表紙。
「あれは確か……黒影館の図書室にあった、魂魄改造の」
カチリ。
時計の針が、一度だけ大きな音を立てる。
それは、長針と短針が重なったことを示す音。
一日が終わり、そして始まることを示す音――。
――零時零分。
世界が、変わる。
「なっ……!?」
その変化は一瞬で理解できた。
何故なら、俺たちには経験があったからだ。
目に映る色は薄まり、空気は重くなり。
人によっては、ただいるだけで息苦しさを感じるであろう、世界。
直前まで点いていた明かりは全て消え去り、互いの顔すら確りとは捉えられなくなる。
「こ、これって」
シグレがぎゅっと胸を押さえる。
「……黒影館のときと、同じ……!」
そうだ、と同意しようとしたところで、今度は別の異常が起きる。黒影館ではなかった、新たな事象。
響き渡る轟音と振動の襲来。これは……地震だ。
「い、今揺れましたよね……!?」
「ああ! 突然何が始まったってんだ……!」
「分からない! とにかく周囲に気を付けてくれ!」
二人には最大限の警戒を呼び掛けるが、そんな俺も頭の中は酷く混乱していて、警戒しているとはお世辞にも言えなかった。
そんな混沌の中。
つんざくような悲鳴が一つ、高原に響き渡った。
甲高い、女の子の声。
命果てんばかりの、それは絶叫だった。
「い、今のは……!」
「マコちゃんか……ミコちゃんの声だ! 全然どっちか分かんねえけど……!」
悲鳴はかなり遠く、一角荘の外から聞こえてきた気がする。正確な位置は分からないが、とにかく外へ出る必要がありそうだ。細心の注意を払いながら、俺たちは部屋を出て階下へ向かった。
ドアノブに手を掛け、外へ駆け出そうとしたところで、背後から声がかかる。
「ねえ皆! ミ、ミコがいないの! どこかで見なかった!?」
「な、何だって……!?」
焦燥しきった様子で問いかけてくるのはマコちゃんだ。片割れの不在。つまり、十中八九さっきの悲鳴はミコちゃんということになる。
彼女の身に一体何が起きたというのか。あの悲鳴は、一体どこから聞こえてきたというのか……!
「今度はどうしたんだい!?」
少し遅れてマキバさんも出てくる。悲鳴は恐らく、全員が聞き取っていたようだ。しかも電気が消えたり地震が起きたり、超常的なことが次々起こっている。それはもちろん、部屋でのんびりなどしていられないだろう。
……いやしかし、モエカちゃんだけは来ていないようだが。
「ミコが……ミコがッ!」
「え? ど、どういう……」
極限状態のマコちゃんは、ミコちゃんの名前を連呼しながら、俺たちよりも先に外へと飛び出していった。
「悲鳴が聞こえたからってのは分かるが、滅茶苦茶な怯え様だよな……」
「何か知ってることがあるのかもしれないけど……とにかく今は後を追おう!」
無事なら無事で、安心して終わりだ。
もしも何かが起きていたら……そのときに話を聞くしかない。
俺たちは一角荘から、真っ暗闇に近い外へと飛び出す。
そして走り出そうとしたところで……すぐ目の前にマコちゃんが立ち尽くしているのを発見した。
「……あ……ああ……」
震える声を洩らして、マコちゃんはくずおれる。
その膝が地面に付き、彼女の前方にある光景が俺たちの視界にも映る。
彼女と瓜二つの顔をした、双子の片割れ。
冷たい地面の上に……ミコちゃんが仰向けに倒れていた。
「……ミ、コ……」
縋るように。
最後にもう一度彼女の名を呼ぶけれど、その声が届くことはない。
ミコちゃんは、赤い血溜まりの中で既に物言わぬ骸と化していた。
不自然に折れ曲がった四肢。所々に見える打撲痕。
そして、今もじわりじわりと滲んでくる、真っ赤な血……。
「いや……嫌ああああああああああッ!」
そんな馬鹿な。
俺は黒影館の中で何度、その言葉を思い浮かべただろう?
けれど、この事件に人間の常識など通用するわけがない。
俺たちが巻き込まれた陰謀とは、そういう人知を超えたものなのだから……。
「……駄目だ」
動けない俺たちの代わりに、ミコちゃんの体を調べていたマキバさんが首を振る。
もうその体に、彼女の魂が存在しない事実を、静かに告げる。
「全身を強く打ってる。血は頭や背中から出ているみたいだ。生死は……言わなくても分かるだろうけど」
「酷過ぎる……どうしてこんなことに……」
ほんの数十分前には、元気な姿を見せていた彼女が。
どうして今この場所で、このような惨い死に方をしているというのか。
全身打撲? 多量の出血?
俺の頭では到底理解など追いつかなかった。
「……モエカ?」
そこで信じられないものを目にしたかのように、ソウヘイがポツリと呟く。
彼の視線の先……ミコちゃんの死体の向こうには、確かにソウヘイの言う通り、モエカちゃんが立っていた。
そう。彼が驚くのも無理はない、それは奇妙な話だ。
モエカちゃんは今まで外にいて、一角荘の前まで戻ってきたことになるのだから。
「お前……どうしてそこに」
「それは……」
「何か見なかったのか?」
「……私がここへ来たら、もう」
「嘘ッ!」
刹那、想像もできないスピードで、マコちゃんはモエカちゃんに掴みかかった。泣き腫らした顔を鬼のように怒らせ、彼女に訴える。
「あんたが……あんたが殺したんだ! 返してよ! ミコを……ミコの帰る場所……」
「私は……」
「私が……私があんたを殺してやる!」
「やめるんだ、マコちゃん!」
殴りかかろうとしたマコちゃんを、間一髪のところでマキバさんが止める。引き離されてからもマコちゃんは、必死の形相で腕を振り回していた。
「気持ちは分かるが、モエカさんが犯人だと決まったわけじゃない。どうしてこうなったか、何一つ分かってないんだ……!」
「……うう……!」
マキバさんの言葉は至極当然だ。
モエカちゃんが死体のそばに居たとはいえ、ならどうやってミコちゃんを殺したのか、どうすればあのような殺し方ができるのかは分からない。
これが人知を超えた事件だとしても、原因の果てに結果があるのなら、まだその原因は闇の中にあるのだ。
限りなく、モエカちゃんが疑わしいにしても。
「……ごめんなさい、マコちゃん」
マコちゃんの剣幕に圧されていたモエカちゃんは、掠れた声でそれだけを絞り出す。
そして、糸が切れたように突然、丘の上の方へ逃げ去っていった。
「モエカ!」
「おい、ソウヘイ!」
俺の制止も聞かず、ソウヘイは夢中で彼女の後を追い、夜闇に消えていく。普段なら冷静な判断ができる彼も、妹が関わっていては感情を抑えられないようだった。
そして、四人が取り残される。
去っていった仲間の背中を情けなく見つめるしかない二人。
大切な片割れの喪失に肩を震わせ泣き続ける一人。
そして、それを慰める一人。
「……ミコ……ごめん、なさい……」
泣きじゃくる少女に居た堪れず、目を逸らしながら。
「……畜生。結局また、こんなことになるのかよ……」
呟いた俺の言葉は、夜の闇へと吸い込まれていく。
こうしてまた、悲痛極まる死とともに、救いなきゲームの幕が開けたのだった。
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