黒影館事件から十日経った、二〇一六年十月十八日。
鈴音学園、ミステリ研究部内。
俺は窓から僅かに顔を出し、そよ風を受けながら外の様子をぼんやり眺めていた。
最近は、そんなことばかりしている。
ミステリ研究部は事実上、部員が一人もいなくなってしまったために廃部が決まっていた。
俺が知らないだけで、ひょっとするともうなっているのかもしれない。
けれど、特にここを使う部活動ができたわけでもないので、俺は無断で居座らせてもらっているのだ。
かつてミス研に足繁く通っていた者として。
「……よ」
ガラリと扉が開き、声が投げかけられる。
振り向くとそこにはソウヘイの姿があった。
「やっぱり、ここだったか」
「……ソウヘイ」
「最近元気ないって聞いたからよ。様子を見に来たわけ。……どうやら、まだ引き摺ってそうだな」
あえて明るく振舞って元気づけようとしてくれているのだろう。ソウヘイの表情はやや硬い。
けれど、こうして様子を伺いにきてくれるのは素直に嬉しい事だった。
「ここにいるのが、考え事をするには静かでいいんだ。それだけだよ」
「……ふうん……?」
ソウヘイは俺の強がりを見透かして笑うと、
「……意地っ張りだよな? シグレくん」
「そんなこと言っちゃだめですよ」
扉の影からひょっこりと現れたのは、事件以降入院していたはずのシグレくんだった。
「だ……大丈夫なのか? シグレくん」
突然の登場に俺は慌てて、窓辺からずり落ちるように離れる。
シグレくんはその驚き様が面白かったようで、遠慮がちに笑ってから、
「はい。レイジさんのおかげで」
「いや……俺は、何も」
「事件を解いてくれたじゃないですか。そのおかげで、ボクらは助かったんですよ」
助かった。シグレくんはそう言ってくれるものの、実際には勝利と程遠い結果だ。
黒影館に誘い込まれた俺たちは半数の三人が殺され、そしてシグレくんは背中に大怪我をした。
多分、シグレくんは退院してすぐにここへ来てくれたのだろう。まだ、背中は相当痛むはずだ。
あんなに酷く、傷付けられていたのだから。
「多分あいつは……ランは、気に入らなければ俺たちのことなんかあっさり殺してたはずだ。そうならなかったのは……お前がしっかりしてたからだよ」
「でもな、ソウヘイ。殺されたみんなにとっては何の意味もない言葉だ」
「……それは」
「テンマくんにチホちゃん。そしてアヤちゃん。もっと賢い解決だって、きっとできたんだろうな……」
俯く俺の肩に、そっとソウヘイが手を置く。
「……仕方ねえよ。お前は全知全能じゃねえんだ。何が起きるかなんて、分かるわけがねえ。一人で抱え込んで、苦しまないでくれ。……それだけ、言いに来たんだ」
「……ありがとな」
「おう」
やっぱりこいつは、できた人間だ。
しっかりしていたのは俺じゃなく、ソウヘイの方だろうと思う。
こいつがいなければ、俺たちはきっと黒影館で死んでいる。
或いはランに、実験対象として連れ去られていたかもしれない。
人造魂魄という珍しい実験対象として。
「そんじゃ、俺は先に失礼させてもらうぜ。何でも、シグレくんはもっとちゃんとお礼がいいたいそうだからさ」
「え、えっと……お邪魔じゃなければ」
「いいよいいよ。座ってくれ。……じゃ、またな。ソウヘイ」
「ああ。また」
ひらひらと手を振り、ソウヘイは先に部屋を出ていった。
そこからは、俺とシグレくんの二人きりになった。
少しだけ気まずくはあったが、さっきのソウヘイの言葉を思いだし。
自分のせいだと深く考えないようにして、話を切り出す。
「もう、傷は大丈夫なんだな?」
「ええ。あれくらいの怪我、どうってことないですよ」
「はは……強いな」
「いえ……」
そんなことはないと首を振り、シグレくんはこちらを見つめる。
「レイジさんは、大丈夫ですか?」
「……俺はもう大丈夫だよ。二人して、そんなに元気ないように見えるか?」
「あはは……結構」
取り繕ってはいるつもりだが、隠しきれないものらしい。
シグレくんの目に、俺はどのように映っているのだろうか。
「でも、良かったです」
「良かった?」
「レイジさん、ここからいなくなっちゃわないかって。一人で思い詰めて、どこかへ行っちゃうんじゃないかって……それが心配で」
「……シグレくん」
彼は、俺が部室にいるかどうか怯えながら、今日ここまでやって来たのか。
あの笑顔は、俺がここにいることの安堵も含まれていたと。
「……ボクは、二年前に両親を亡くしてから、アヤちゃんだけが味方だったんです。学校で除け者にされて、その寂しさや辛さを共有するような。そんなアヤちゃんに連れられていったあの館で、ボクはひととき、寂しさを忘れられた。ボクは、あそこで友達になったソウヘイさんやレイジさんと離れたくない。優しくしてくれたレイジさんに……どこかへいってほしくないんです」
自らの思いを一息に吐き出したシグレくんは、俺が黙ったままなせいで恥ずかしさを感じたらしく、
「……こ、子供っぽいワガママですよね。でも、その。ボクはそう思ったんです。友達として傍にいたいって……」
「友達……」
「え、えとえと! 変なこと言ってごめんなさい。何だか人と話すのも苦手で、言葉も変で……」
余程自信が無いのか、必死になって弁解するシグレくんの仕草に俺は思わず噴き出してしまう。
何だか、久々に笑った気がする。
「……お前、素直だな」
「え?」
「いや、そんな素直に自分の気持ちを言えるのがすごいと思ってさ」
「そうでしょうか……? 迷惑じゃなくて?」
「どこがだよ。むしろ……ありがたいんだ」
気詰まりだった人生。
記憶を失って――いや、記憶が始まってからずっと、どこか薄い膜のようなものがあると感じていた世界。
ほとんどの人間と、心から接することのできなかった俺だけれど。
不思議とシグレくんだけは、すぐに打ち解けられたような気がする。
「俺は素直になれない人間だ。……そういう風に作られたのかもしれないけど」
「レイジさん……」
「だから、素直にぶつかってきてくれるのが楽なんだろう」
不器用に造られたものだ。
受け身にしか、他者と真剣に接することができないなんて。
向こうから気にかけてくれたソウヘイや……偽りの関係ではあったけれど、ランも。
ぶつかられてようやく反応を返せたような間柄だった。
「……ボクは」
俺の目をじっと見つめて。
シグレくんが、口を開く。
「支えにはならないかもしれない……ランさんの代わりには、ならないかもしれない。でも、ボクに少しでいいからレイジさんの気持ちを分けてほしいです。それが、恩返しになるかは分からないけど……」
……不思議なものだ。
代わりにはならなくても、十分に。
その言葉は俺の支えになってくれた。
「……俺の方からも頼むよ。これからもミス研に顔を出してほしい」
「……あ」
そこでシグレくんの顔がぱあっと輝いて、
「わ、分かりました! どうかよろしくお願いします!」
「ははは……かしこまらなくてもいいんだってば」
「……よろしくな。シグレ」
「はい……レイジくん」
流石に、がらりと話し方を変えることは難しかったようだが。
呼び方が変わっただけでも、大きな一歩だった。
青木時雨。共に死地を生き延びた、大事な友人。
喪ったものは沢山あるけれど、得られたものに今は感謝しよう。
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