幻影回忌 ーTrilogy of GHOSTー【ゴーストサーガ】

観劇者への挑戦状付、変格ホラーミステリ三部作。
至堂文斗
至堂文斗

18.紡いだ縁の重なる場所③

公開日時: 2021年11月2日(火) 20:02
文字数:4,433

 階段で下りられる最下層まで、俺たちは駆け下りた。

 人形たちの足音は聞こえてこない。暫くの時間稼ぎができたことは間違いなかったが、その代償はとても大きい。


「……行こう」

「でも、アヤちゃんが……!」

「……それでも、行かなきゃいけない。そうアヤちゃんも思ってくれたから……先へ進めって行ってくれたんだろ」

「……また会えたのに、僕らは結局……」


 その魂すら、救済することができないのか。

 シグレの胸の内は、俺にも痛いほどよく理解できた。

 けれど。それでも、なんだ。


「終わらせるしかないさ。絶対にあいつを……アツカを止めるんだ」

「……はい」


 この悔しさを、踏み出す力に変えて。

 最後まで進み続けるしかない。それが救いの代わりになると信じて。

 下層は事故でも起きたのか、外壁の一部が剥落していたり、天井に穴が空いていたりと酷い有様だった。人が通り抜けられそうな穴もあり、下手をすると人形がそこから落ちてくる危険性も考えられる。警戒を怠らず、俺たちは廊下を歩いていく。

 やがて、扉が半壊してそのまま入れそうな場所を見つけた。プレートには『特殊実験室』と刻まれている。この研究施設で、特別でないものなどあるのだろうかと首を傾げたくなったが、そんな皮肉を浮かべても仕方がない。


「……入るか」

「ええ。気を付けて」


 狭い隙間に体を捻じ込むようにして、実験室内へ入る。すぐに周囲を見回したが、人形がいるような気配や隠れられそうな場所はなかった。

 ただ、室内には異様なモノが無数に並んでいて、俺もシグレもその光景には驚かされた。


「これは……」


 長テーブルのような台が部屋の左右にあり、その上には薄緑の液体で満たされた怪しげな装置がずらりと並んでいた。

 SFなんかでよくある培養装置のようではあったが、肝心の中身が入っていないように見える。装置の下部には数字が彫り込まれていて、手前から奥に向かって『0』から『9』までが存在していた。

 これがどういうモノなのか、詳細の記されているものがどこかにないかと探してみると、一番奥に研究資料がまとめられているらしい棚があり、一冊を抜き出して読んでみると、やがて目当ての部分に辿り着いた。


「……なるほど。これが魂魄ゲノムとやらか」


 該当ページには、魂の性質を表すとされる魂魄ゲノムについて記されている。黒影館の資料にも同様のことが書かれていたが、この特殊実験室ではゲノムそのものの保存が試みられていたらしい。

 つまり、培養装置の中にあるのは魂魄ゲノム……というより、特定のゲノム配列で保存された魂魄なのだろう。

 対応する数字について説明を見てみると、簡潔ではあるものの以下のような内容が記されていた。


 0……善。利他的な意思決定の傾向。

 1……体。積極的な行動。身体能力向上の意欲。

 2……知。慎重な姿勢。知識への興味。

 3……応。適応能力。状況把握に秀でる。

 4……健。傷病等への耐性。長寿の傾向。

 5……陽。ポジティブな思考。他者に好かれ易い。

 6……悪。暴力的衝動。他者のみならず自身に対しても。

 7……技。技術力、集中力への影響。俗に言う職人気質。

 8……魅。魅力。他者からの好意を受けやすい傾向。

 9……愛。愛情。求めること、求められることに喜びを感じる。


「それなりに種類があるみたいだな……どうも暫定的に決められているらしいが」

「ゲノムにはこの数字が示す性質があって、沢山あるものに影響されるということですかね」

「ああ。確か、カルマナンバーとマスターナンバーというのもあったな」


 カルマナンバーは人間性の核となる数字で一つだけ、マスターナンバーは補助的な役割を持ち両隣に二つ。そういう仕組みになっているらしい。


「……ん?」


 培養装置の数は、魂魄ゲノムの数と同じ十だったのだが、部屋の隅に同じくらいの大きさをした装置が置かれている。外側は金属製で中身は全く見えないものの、他の装置と寸分違わぬ場所に何か文章が彫り込まれていた。


「……一時保存?」


 一番上はそのような文章となっており、下には注釈としてか、カルマナンバーとマスターナンバー、それに比率の多いゲノムの番号が記されている。ここに魂魄が保存されているのだとすれば、その性質は善、愛、魅、陽という人当たりのよさそうなものになっているが。


「……レイジくん、これ」


 すぐ近くで周囲を探ってくれていたシグレも何かを発見する。彼が見つけたのは、装置に入っている魂魄の詳細のようだった。恐らくは装置の側面にでも貼られていたのだろう手のひら大のラベルで、簡潔な説明が記されている。

 ……その内容は、驚くべきものだった。


「おい、被験体M、人造魂魄と取替済……って」

「……僕も、一人しか思い浮かびません」


 だとすれば、偶然にも俺たちは。

 ソウヘイの願いを叶えてやれるかもしれない。

 装置には開放ボタンが付いており、特に鍵やパスワードも無しに操作できるようになっていた。

 ならば、試さないわけがない。

 俺は躊躇うことなく、装置の開放ボタンを押し込んだ。


「あっ……」


 ふわりと何かが浮かび上がるような揺らぎ。それに反応して、シグレが声を上げる。

 やがて揺らぎは存在を形作り、俺たちの目の前に半透明の霊体が現れた。

 ああ――それはまさしく鏡ヶ原で出会った少女と同じ姿。

 ソウヘイの妹、西条萌絵香ちゃんの霊なのだった。


「……モエカちゃん」


 名前を呼ぶと、まるであちら側からこちら側へと戻ってきたかのように、虚ろな目が生気を帯びる。

 そして、ぱちりと瞬きをすると、


「……わ、私……あれ?」

「君も、ずっとここに閉じ込められていたわけだ」

「あ、あのお……あなたたちは? どうして私の名前を……」

「……僕たちも、モエカちゃんと同じようにGHOSTの魂魄研究に巻き込まれた被害者なんです。そして……お兄さん、ソウヘイさんの親友でもあるんですよ」

「お……お兄ちゃんの!?」


 ソウヘイの名前を告げると、途端に何もかもを思い出したようで、目まぐるしく表情を変え、最後には深刻な顔つきになり、


「ああ……お兄ちゃんに謝らなきゃ。お母さんにもお父さんにも……こんなことになっちゃって」


 少なくとも、自分がどのような状態かは理解できているようで、彼女は透き通った腕を悲しげにそっと撫でていた。


「お兄ちゃんは……私のこと、探してくれてた? だからその、貴方たちが……?」

「……ええ。僕らは、託されましたから」

「……託された?」


 その言葉の違和感に、モエカちゃんは聞き返す。沈んだ表情が更に陰を濃くしているようだった。

 だが、その陰に光を当ててやることはできない。

 彼女の望む人物はもう、遠い彼方へ旅立ってしまっているのだから。


「恰好良かったよ。あいつも……君の帰る場所を、守ろうとしてたんだ」

「それって……」


 俺たちは、彼女にこれまでの経緯を語った。長い旅路だ、それなりに省略もせざるを得なかったが、ソウヘイに関する部分はなるべく事細かに伝えられるよう努力した。

 黒影館のこと、鏡ヶ原のこと。あいつがどのように活躍し、何を為し遂げたか……最後まで語り終えたとき、モエカちゃんの目からは静かに涙が零れ落ちていた。


「……お兄ちゃん、私なんかを探して、危ないことに首突っ込んで。それで死んじゃったら、意味ないじゃん……バカ」


 悔しげに、唇を嚙みしめて。拳をぐっと握りしめて。

 でも、と彼女は言葉を続ける。


「恰好良かったん……だね。最後までお兄ちゃんは、お兄ちゃんらしかった……のかな」

「もちろん。あいつは最後まで、妹思いの良いお兄ちゃんだった。それどころか……目に映る全部を救おうとしてるみたいな、凄え奴だったさ」


 俺がそう告げると、モエカちゃんはか細い指で涙を拭い、


「……えへへ、そうだよね。それでこそソウヘイお兄ちゃんだ」


 無理矢理にではあるけれど、兄の為にと笑顔を浮かべた。


「……行ってあげなきゃ、だな。もう二年も待たせちゃったから……」

「ああ……行ってやってくれ」

「うん」


 彼女は悪霊ではない。

 だから、装置から解き放たれた今、彼女を縛るものは何もなかった。

 現世で再会することは結局、叶わなかったけれど……せめて向こう側の世界で、兄妹が仲良く過ごせるのなら。

 俺はそれを切に願う。


「あ……そうだ」

「どうかしたかな?」

「お兄ちゃんのところへ行く前に、せめて何か二人の役に立てることがないかなと思って……この施設に関して知ってる情報、とりあえず教えておくね」

「情報か、それは嬉しい」


 如何に黒幕から誘われているらしいとはいっても、謎解きに詰まることは有り得る。

 あいつの元に辿り着けるよう、少しでも手掛かりは欲しかった。


「この研究施設は、幾つかのドアに電子ロックが掛けられていたみたい。私はもう長いこと眠ってて、今の状態がよく分からないけれど。二人は来るまでに見てるかもしれないね」

「上階では幾つか見ましたけど、多分全部壊れてしまってましたね……」

「この階の資料室もそういうタイプだったと思う。生きてればいいんだけどなあ」


 資料室、か。これまでの研究施設でも、そこで研究資料を読み込んで、意外な事実を発見してきた。

 この場所でも同様に、資料を通して何かを知ることができるかもしれない。


「情報というのはね。毎週研究員が一人ずつ変えていくってルールだったみたいで、どこかにそのメモ書きとかがあるかもしれないかなっていう」

「なるほど。ひょっとしたらアナログな人間は、紙に書いて残してるかもしれないな」

「その資料室には、色んな研究の成果とかがあったから、きっと二人の役に立つんじゃないかなあ……」


 せっかく教えてもらったのだし、そこで役立つ情報を見つけたいものだ。

 とにかく、パスワードを探すところから始めないといけないな。


「……よし。それじゃあ私は、ここから旅立ちます」


 ふう、と大きく息を吐いて、モエカちゃんはそう宣言した。

 先ほどまでの涙はようやく止まり、表情も和らいでいる。

 優しく、魅力的で、愛される、明るい少女。それがモエカちゃんだ。

 

「あなたたちは……あなたたちの目的、果たせるといいね」

「……はい。必ず」

「果たすさ。……でなきゃ無意味になっちまうんだからな」


 彼女は微笑んで、それからゆっくりと頷いてくれる。


「じゃあね。……出してくれてありがとう。きっとすぐ、お兄ちゃんにただいまって言うから――」


 白い、何もかもを包み込むような光が溢れて。

 その光の中に、モエカちゃんは消えていく。

 耳鳴りのような音と、美しい光とが失われたときにはもう、彼女の姿もまたこの世界から消え去っていた。


「すぐに会えるといいな。きっと、おかえりって行ってくれるさ……なあ、ソウヘイ」

「……ですね」


 これで、約束は守ったからな。

 後は兄妹仲良く、俺たちの結末を見守っていてくれ。


「……行きますか、レイジくん。モエカちゃんも後押しをしてくれたし、止まらずに進んでいきましょう」

「そうだな。もう時間は、きっと少ない……行こう」


 暖かな気持ちで胸を満たしながら。

 俺たちは実験室を抜け、再び施設の探索へ戻るのだった。

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