――私には、守らなくてはならないものがある。
そのために、私は何度でも、この冷たい手を血に染めるだろう。
きっと、この冷たい夜はまだ終わらない。
だから、私はまだ、この手で誰かの命を奪わなければならないのだ。
保たれている安寧を乱そうとする者を。
私は、許すわけにはいかない。
それこそが、契約だ。
それこそが、約束なのだ――。
マコちゃんを発見した現場にある洞窟。
さっき物を隠せそうだと思っていたその場所に、どうやら本当に鍵が隠されているようだった。
俺たちは急ぎ引き返し、苔だらけの洞窟に入る。想像よりも短い、長さ十メートルに満たない横穴の最奥には、窪みに嵌った赤い玉がちゃんとあった。
「これで、キーは手に入った。あとは入口に向かうだけだね」
「……その入口はどこに?」
「教会だ。そこに、玉を置く場所がある」
「了解です。さっそく行きましょう」
洞窟内はジメジメしていて居心地が悪く、一刻も早く出ていきたかった。それはシグレやマキバさんも同じだったようで、俺たちは逃げるように洞窟を後にした。
丘の下から上へ。体感にして二十分ほどをかけ、この寒い時期に汗すら流しながら教会跡へと向かう。探索場所の位置がバラバラで移動距離は必然的に長くなり、黒影館が生温く思えてくるほどだった。
「……ふう。それで、設置場所はどこに?」
教会前までなんとか上りきったところで、俺はマキバさんに訊ねる。彼は二つの玉をポケットから取り出しながら、
「東側の部屋に小さな女神像が二つ並んでる。その像の手に収まるように嵌め込めば、認証されるようになっているんだ」
「……なるほど」
知っている人以外にはほぼ確実に使えない手段だろう。まず玉を見つけることがノーヒントだと絶望的だし、それを教会の女神像に供えるなんて発想に至るはずもない。
ただ、研究員も実際にこの手段をとったことはないだろうし、本当にお遊び要素くらいの考えだったかもしれないが。
「じゃあ、行こうか」
「あ、マキバさん。ちょっと待ってください」
歩き出そうとするマキバさんを止めたのはシグレだった。怪訝そうな顔をしながら、女神像の前の床辺りを見つめている。
「……何かあったか?」
「レイジくん……あの辺、ちょっと汚れてませんか?」
「汚れ?」
遠くから、しかも光源も頼りない中ではよく分からなかったが、確かに床が黒ずんでいるようには見える。
よく気付いたなと感心しつつ、俺はその床を確認するために近づいていった。
「……これは……」
「……血痕、みたいだね」
マキバさんの言う通り、床に付着しているのは血の痕だった。
乾いているものもあれば、まだ微妙に粘度をもつものもある。昼間に訪れた際には無かったので、少なくとも昼以降に付着したものとみて間違いはないだろう。
「……誰のなんだろうな。マコちゃんか、ミコちゃんか」
「……ソウヘイさんたちじゃないと思いたいですけど」
「あいつ、ずっとモエカちゃんといるんだよな。無事ならいいんだが……」
自分たちの知らないところで、ソウヘイたちまで毒牙にかかっていたら。想像するだけでも恐ろしい。
「とにかく今は研究施設へ急ごう。事件を解決しさえすりゃ、きっと殺人は止められる」
あのとき間一髪にでもシグレを救えたように。
事件を暴けば、これ以上誰かが犠牲になることも食い止められるはずなのだ。
教会の身廊から右手側に伸びる細い廊下を進み、破損した木の扉を無理やりこじ開けて小部屋の中へ。奥行き五、六メートルほどの小さな室内には、なるほど俺たちとほぼ変わらぬ背丈の女神像が置かれていた。
「こっちはただの石像なんですね」
「ああ。認証装置を組み込んである都合上、人形のような関節はついていない」
中央の巨大な女神像は、そういう複雑な仕組みのないただの像だから関節人形のようにできた、ということか。
それでも、わざわざ動かせるように造らなくともよかったのではないかと思ってしまうが。
余計な考えはさておき、俺とマキバさんは一つずつ玉を持ち、左右の女神像の手にそれを置いた。
少しだけタイムラグがあって、教会全体に揺れが生じる。そこまで大きくは無いはずだったが、静かな堂内に響く音はやけに耳についた。
「……揺れましたね」
「ああ。これで地下への入り口が開いているよ」
「……地下が好きなんだなあ、研究者って」
「はは……秘密にしておけるからね」
臭い物には蓋を、というわけではないが、蓋さえしっかり閉めておけばまずバレることはないのだろう。
まさか教会の下に人体実験の施設があるなどとは誰も思うまい。
「……今の揺れは、これまでに起きたのとはちょっと違う感じだったな」
「そうですね、今のは規模が小さい気がしました。地下室への扉が開いただけでしょうし。それに……もし同じだったとしたら怖いですよ」
「……そうだね」
これまでに起きた二度の揺れの後、必ず事件が起きていた。最初はミコちゃん、次はマコちゃん。揺れが起きたときに誰かが殺されているような気がしてならない。
もしも研究施設の扉を開閉するのが揺れの原因だったとしたら、関連性は不明としても、誰かの命が狙われる危険性もあるのだ……。
あの揺れは何なのか。翻って言えば、その正体が判明すれば殺人のカラクリもまた明らかになるような、そんな予感がする。
部屋を出た廊下の隅に、人一人がようやく通れそうな細い下り階段が現れていた。埃っぽい階段を、スマホのライトを頼りに何とか下っていった俺たちは、ようやく鏡ヶ原に秘匿されていた地下研究所へと辿り着く。
自然あふれる高原の景色から、極めて人工的な地下空間へ。あまりの変わりように目が回りそうだ。
ここはエントランスなのだろう、小さめだがカウンターらしき机があり、研究員や来訪者はここでチェックを受けてから中へ入っていたように思われた。
「ここが、鏡ヶ原の研究所か……」
「やっぱり、黒影館と同じ雰囲気ですね」
「まあ、同じGHOSTの研究施設だから。カードキーがなくちゃ殆どの部屋に入れないんだけど、非常用の鍵もあったはずだし、それを探して先へ進んでいこう」
「了解」
ここからは、前回と似た探索になりそうだ。GHOSTの残した資料を調べながら、脱出と事件解決の糸口を探す。
そう、この先は黒影館と同じ……。
「……どうか、しました?」
「いや、何でもないよ」
……一瞬だけ呆けてしまった俺に、シグレが心配して声をかけてくる。
取り繕うように返事をしながらも、俺は一つの疑問に駆られていた。
――別に、見覚えがあってもおかしくはない。ここは黒影館と同じように作られた、同じ機関の研究施設なんだから。
……けれども、何故だろう。
この場所を黒影館以上に意識している自分がいるのは。
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