――零号?
「……なん、だって?」
ついさっき、目にしたことのある言葉。
それは、人造魂魄と題された記録にあった言葉。
意味するところは、人の手により造られた魂魄。
ランは、他でもない俺にその名称を告げた。
プロト。
「あ……ああ……」
突然、頭痛が襲ってくる。
鍵を掛けた記憶が無理矢理こじ開けられるような。
ヒカゲさんの顔と、そして声とが勝手に蘇ってくる。
目を閉じても耳を塞いでも、決して消えることなく。
「やっと思い出したかい? 君が人造魂魄のプロトタイプだということを。日下敏郎が逃がした、大切な研究成果の片割れだということを」
「や、やめ……ろ」
「だから君はこの研究施設を覚えているはずだし、聖痕のことも知っている。その体の見えない部分、恐らくは背中にでも刻まれているのだろうからね」
聞きたくない。
でも、既に遅かった。
認識した途端、それは記憶の一片として嵌まり。
眠っていた記憶たちの全てが、呼び起こされていく。
割れるような頭痛に、立っていられなくなった俺はがくりと膝をつく。
容赦ない声と痛みが、脳内を埋め尽くす。
「やめてくれええええッ!」
声。
水底に漂う俺に、投げかけられる優しい言葉。
目覚めよと呼ぶ声。
ヒカゲさんの。
――いいかい。今日から君は、桜井令士だよ――。
今日から君は。
封印された記憶の中の、ただ一つの真実がそこにあった。
「……君が何一つ知らされていないことには驚いたが。それでも、日下敏郎の思いに応えてくれて助かったよ」
「……ヒカゲさんの……思い……?」
「ああ」
ヒカゲさんの残した暗号。
それを追って辿り着いたのが、この結末なのか。
隠されたパーツとやらは、結局のところランに奪われ。
駒のように動かされた俺は、ただ哀れにも翻訳機のように使われただけで……。
「パーツの傍に、君に宛てた手紙もあった。これは私にはいらないものだし、君にあげよう」
ランは俺の隣を通り過ぎざまに、一枚の手紙を滑り落とした。
ひらひらと舞ったそれは、俺の眼前の床にするりと落ちる。
「……さて。私はそろそろ失礼しよう。君たちには楽しませてもらったよ」
楽しませてもらった。
あんなに長く思い出を築いてきた俺たちに、たったそれだけの言葉を残して。
ランは、歩いていく。
「また会おう。そう……魄法が沈む頃にでも」
高笑いとともに。
白衣をひらつかせながら。
「ふふふ……はははは……ッ」
「て、てめえ! 待ちやが――」
ソウヘイがランを捕まえようと手を伸ばす。
しかしその手は見えない壁に阻まれたように、ある所でピンと動かなくなった。
「ぐうッ……!?」
「ああ。言い忘れていたけど、霊に協力してもらっているから、動くのは難しいと思うよ」
「……この……クズ野郎が……ッ!」
目に見えない霊魂。
恐らくは使役されるためだけに改造された、霊と呼んでよいものかも分からない存在が。
ランの首吊りを演出してみせたように今、ソウヘイの腕を掴んでいる。
後を追うことはできず。
俺たちは、とことん無力で。
「……ちくしょおおぉぉおッ!」
二人きりになった地下空間に。
ソウヘイの虚しい叫びだけが、響き渡るのだった。
*
そして俺たちは。
黒影館から脱出し、夜明けの光を浴びた。
その夜明けは、目がくらむほどに眩しくて。
その光を、たった三人でしか見ることができなかったことを、ただただ嘆くほかなかった。
……なあ。
お前は、本当に全てを偽っていたのだろうか。
時折見せる笑顔や翳り、その全てが、仮面でしかなかったのだろうか。
俺は……お前にとって、何だったのだろうか。
その答えは、最早遠い遠い彼方へ行ってしまった……。
事件は、俺たち生存者の証言によって、安藤蘭によるものだと警察も結論付けたが。
彼女に関する全ての情報がねつ造されたものだと気付かされるのに、そう時間はかからなかった。
鈴音学園も、警察によってその事実が暴かれるまで、彼女の偽りの情報をそのまま信じていたようで。
安藤蘭という存在は、黒影館事件の後、跡形もなく消え失せてしまったのだった。
そう。幻影のように。
あの日の惨劇は、今でも悪い夢だったのではないかと思えてくる。
けれど、それが夢でないという証に。
あの日消えた命は戻らず、あの日残された傷も癒えることはなかった。
……なあ、ラン。
お前は、結局何者だったんだ? 何を為したかったんだ?
その名前すら、きっと幻影にしか過ぎないのだろうけど。
そう、せめてそれくらいは。
歩む道の分かたれる前に、知りたかった。
……さよなら。
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