来訪者全員と一通り話終わった頃、ちょうど空も茜色へと変わっていた。スマートフォンで確認すると、時刻は午後五時を示している。
もうそろそろ夕食を準備する時間だということで、俺たちは一角荘へと戻ることにした。
食事は恐らく自炊になるだろうと、それぞれインスタント食品を持ち寄っていたのだが、コテージ内には簡単な調理設備もあったし、食材もマキバさんが持ってきていたらしく、俺たちのインスタント食品と合わせて、存外本格的な料理を作れることになった。
調理についても、マキバさんが主導でしてくれるとのことだったので、俺たちは流石に一任はせず、手伝いに回ることにして、四人で参加者全員分の食事を作ったのだった。
「いやー、流石っすね、マキバさん」
温かいビーフシチューを啜りながら、ソウヘイがマキバさんに賞賛の言葉を送る。マキバさんの方は照れながら、
「そんなことないよ。簡単に作れるものしか作ってないから」
「いえいえ。手際、すごく良かったです。見習いたいなあ」
「アオキくんも食材切ったり、色々してくれたね。よく料理を?」
「え、ええ。……まあ、しないとですから」
「そう、なんだね?」
それは不意に踏み込んでしまった、シグレの暗い部分だった。
マキバさんは、シグレの反応に戸惑いながらも何かを察したようで、それ以上は深く訊ねたりしない。大人の対応だ。
もう一年以上、シグレは自炊を続けているのだろう。
一人で生活することを余儀なくされた彼は。
「……それより、他の子はこないのかな。あの姉妹と……それから、モエカちゃん」
「マコちゃんとミコちゃんは部屋で食べるって言ってたなあ。モエカさんは……どこだろうね?」
マキバさんが言い、辺りをキョロキョロと見回しながら、
「というか、君とモエカさん、同じ名字だけど……偶然?」
「……まあ、偶然にも兄妹ですけど」
「えっ? なんだ、やっぱりそうだったんだ。外は暗くなってきたし、ちょっと心配だよね」
「なんですけど、ねえ……」
歯切れの悪いソウヘイの言葉に、何やら複雑な背景を感じ取ったらしく、
「……ううん、君らにも色々事情がありそうだ」
と、マキバさんは再び大人な言葉選びをするのだった。
「……しかし、マキバさんってなんのお仕事してるんです? 料理は上手いですけど、お店開いてるってわけじゃあないですよね」
「当たり前だよ、評価しすぎさ。普段は何の役にも立たないことを考えてるだけの人間。周りの人は【学者】なんて呼ぶけどね」
その説明には、俺もシグレたちも驚いた。彼の風貌からしても、学者というよりは何処にでもいそうなサラリーマンという感じがしていたからだ。
学者という職業にステレオタイプなイメージを持っていることが少し恥ずかしくなる。
「ちなみに、どういう分野なんです?」
「僕の専門は物理学……みたいな感じかな。そうだ、君たちは高校生だよね? どこの学校だい?」
「えと、鈴音学園ですけど」
急に通っている高校の名前を聞かれて戸惑ったが、シグレが答えてくれる。するとマキバさんはパッと破顔して、
「やっぱり。いや実は、僕の師でもある人がそこの創設に関わっていてさ。確か来月あたり、講演に行くんじゃなかったかなあ」
「もしかして……京極秀秋さん、ですか?」
「そう! よく知ってるね。といっても鈴音学園の子なら当然か」
俺たちをここへ誘った、掲示板の貼り紙。学園内の行事やお知らせ等が掲示されるその場所に、そう言えば名前を見た気がしたのだ。京極秀秋、講演会開催と。
「……俺は気にしたことねえや。でも、そういやお前が読んでた本の作者、か」
「ああ。京極氏は確か、量子力学の研究者だったはず……」
ソウヘイの言う通り、京極氏は俺が図書館で読んでいた本の著者でもあった。むしろそれだからこそ、あんな難しい本が高校に置かれていたのだろう。
「あまりメジャーとはいえない分野の研究ではあるんだけど、素晴らしい方でね。ご家族に不幸が続いたのに……ずっと研究を続けて活躍しているんだ」
「不幸……ですか?」
「うん。六年ほど前だったか、奥さんが急病で亡くなられてね。それからすぐ、一人娘も突然いなくなってしまったらしいんだ。誘拐だとかいう噂もあったけれど……」
「へえ……そんなことが」
それは多難な人生だ。奥さんの死は避け得ない病だったと受け入れることはできても、その後に娘の誘拐とは。しかも、マキバさんの口振りからすれば娘さんはまだ見つかっていないということだろうし、人生に絶望したとしてもおかしくない悲劇だった。
その悲劇がむしろ、京極氏を研究へ駆り立てているというのもあり得る。
打ち込んでいる間は、全てを忘れられるのだと。
「まあ、あの人は本当に凄い研究者だから、よければ講演を見に行ってみるといいよ」
「はは……検討しときます」
「まー、俺にゃさっぱり分かんねえだろうけどな」
「そう思うのは早計だよ。高校生向けの講演なら、分かりやすい説明をしてくれるだろうしね」
マキバさんの言うように、高校生レベルまで落とした講演をしてくれるのかは分からないが、ランやアヤちゃんも著書を読んでいたほどの人物だ。何かしら、得るところはあるかもしれない。
「……予定が空いてれば、参加してみることにします」
俺に言葉に、マキバさんは満足気に頷くのだった。
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