エントランスから各方角に廊下が続いていたが、大体の扉が施錠されていた。開いていたのはアヤちゃんがやってきた西方向の扉だけだ。
基本的にはパスワードを入力するタイプの電子認証で、緊急時用に鍵が用意されていたらしく、認証が機能していない今は鍵を探すほかないようだった。
霊体は扉をすり抜けられるとのことで、アヤちゃんはある程度先導してくれる。施設内に徘徊する人形は、地上よりも少ないそうだ。こんな暗く逃げ道の少ない場所で襲われると大変なので、そこは少し安心できた。
「内鍵がサムターン式なら、中に入って回せるんだがな。そう甘くはなかった」
「内と外、どっちも鍵が必要なわけだ。……しかし、霊体でも干渉できるんだな?」
「エネルギーは発生させられる、ということかな。すまない、私も詳しくは知らないんだよ」
「ま、そりゃ仕方ない」
霊の仕組みについて科学的に語るのは、俺たちには到底無理な話だ。ヒデアキさんなどは頭ごなしに否定しているくらいなのだから、現代では誰一人として具体的に論ずることなどできないだろう。
オカルト好きなアヤちゃんも、まさか自身が幽霊になってしまうとは思っていなかったことだろうし。
「……さて。開いている部屋と言えば、まずはここかな」
「コンピュータルーム、か」
エントランスから比較的近い場所に、その部屋はあった。名前からするとパソコンが沢山置かれているような、学校で言うところの情報教室みたいなイメージが浮かぶが。
「そう違ってはいないよ。モニタールームも兼ねているが、ここで研究員がパソコンを利用したりしていた」
「なるほど」
「このコンピュータルームで、私は自分のアドレスにメールを送ったんだよ」
さっきの会話から差出人は分かっていたが、アヤちゃんのパソコンにメールが送られてきたのはそういう経緯だったらしい。
来たるべき日に備え、アヤちゃんは施設へ入るための七不思議を紐解いてくれていたわけだ。そして霊空間になるとともに、メールを俺たちに届くよう送信した……。
「……おや」
室内に入ったところで、すぐに俺たちは異常に気付く。
等間隔に机が配置され、そこにパソコンが置かれているのだが、全てのモニタが赤く光っているのだ。
エラーが発生しているのかと、近くにあったパソコンの画面を見てみると、そこには謎の単語が表示されていた。
『隠者』
「何だこれ……」
「強制的にこの画面を表示するようになってるみたいですね……」
マウスを動かしてみても、キーボードを操作してみても画面は変わらない。シグレの言う通り、この画面に固定されているようだ。
「こちらは別の文字が表示されているようだな」
アヤちゃんが指差しているもう一つのモニタを見てみると、そこにはこんな単語が。
『将棋』
「……もしかして、だが」
「ここに来てまでも……なんでしょうか」
嫌な予感がした。
アツカはこの場所でも俺たちに謎解きをさせたいのだろうか。
だとすれば、その目的は何だろう? 黒影館のように別の暗号を解かせようとしているのか、或いは足止めでもしたいのか。
状況的には、後者の印象が強いとは思うが。
「アツカの目的達成には、時間が必要なのかもしれない」
「まあ、俺たちに会いたいならそのまま招待してくれればいいだけの話だしな」
とにかく、このふざけたなぞなぞをまずは解かなくてはならないようだ。
ざっと見る限り、単語が表示されているモニタの数は九つ。一通り見ていくと、後の七つは『無花果』、『龍』、『冥王星』、『妖狐』、『麻雀』、『交響曲』、『弗』と表示されていた。この一見バラバラな単語に、共通点を見出せばいいというような問題だろう。
手掛かりとして提示されるのが三つか四つくらいなら難しかったかもしれないが、九つもあれば共通点は絞りやすい。……まあ、九つあったことにも意味はあるわけだ。
「ふむ。これなら簡単だな」
「アヤちゃんも分かったか」
俺が聞くと、アヤちゃんは当然だとばかりにニヤリと笑いながら頷いた。
「導かれる単語はたった一つの数字だ。モニタに表示されている全てに共通するのは『九』という数字しかない」
「……だな」
「ど、どういうことです?」
説明を求めるシグレに、俺は簡単にではあるが解法を伝える。
「ここに表示されてるものには、九という共通項があるんだよ。たとえば隠者というのは、タロットで九番目のカードだ。将棋はマス目が縦横九列で八十一マスだし、無花果は日本人の苗字で九(いちじく)というのがある」
他にも龍は九頭龍伝承というものがあり、冥王星は昔九つ目の惑星とされていて、妖狐は九つの尾を持つとされている。単語について連想されるものに、必ず九という数字が表れてくるわけだ。
部屋の前方の壁には、小型の認証モニタがとりつけられている。電卓のような数字のパネルで、特定の数字を入力すればいいタイプだったが、今導き出した解から入力すべきものは明白だった。
「……九、か」
タッチ一つで入力を終え、無事に装置が起動したのを確認してから、アヤちゃんはぽつりと呟く。
「どうしたのかな、アヤちゃん」
「いや……ふと、思い出したことがあってな。この施設のどこかで目にしたのだが……GHOSTの前身には、陸軍科学研究所の研究者が関与していたらしいのだ」
「……ってのは?」
「戦時中の、科学兵器を研究開発していたところだよ。確か、霧夏邸事件の霧夏という劇物も科学研究所の出だったか……まあいい。そこは何度か名前が変わっているのだが、第九陸軍技術研究所という名称のときもあったんだ」
「へえ……戦時中ね。古い話だな……」
アヤちゃんの話が事実だとすると、GHOSTという組織は相当歴史ある組織ということになる。無論、それは俺たちの認識からすれば悪の組織であるわけだが。
「それに……彼らのリーダー的人物の名に、九の字が入っているという情報も目にしたな。一研究員のメモ書きのようなものだったから、真偽は不明だが」
「リーダー……か」
そう、今尚GHOSTは世界で暗躍を続けている組織だ。ならば構成員を取りまとめるリーダーはいてもおかしくない。
仮にGHOSTとの関わり……戦いが続くのだとすれば、いずれは対峙する相手なのだろうか。
「まあ、何にせよ実体の分からない組織だよ。大きな組織だ」
アヤちゃんはそう言って話を締め括った。しかし、その目には探究心の火が確かに宿っていて、彼女がGHOSTについてもっと知らなければと考えていることは容易に分かった。
「……日本は平和ってわけでもないんだな。身をもって体験してきたわけだが」
「はは……それはそうですね」
シグレが苦笑する。黒影館に鏡ヶ原、俺たちは二度も危険に身を投じ、平和とは程遠い真実を知ってきたのだ。
だから、たとえ僅かだとしても、隠されてきた悲劇を終わらせ、平和を取り戻す力になれればと思う。
「さ、行くか。雑談ばかりもしていられない」
「うむ。今の認証で非常階段のロックが解除されたはずだ。階段は施設の北西に位置している」
「よし……急ごう」
エレベータでなくとも、解散が使えるなら探索範囲がかなり広まる。まずは一歩前進だ。
焦りは禁物と気持ちを落ち着けながらも、足取りはなるべく早く、俺たちは非常階段を目指して進んでいった。
*
非常階段の扉も自動式になっていて、ロックが外れた今は俺たちの動きを感知して開いてくれた。ただ、ここは電気系統が老朽化しているせいか、ライトが明滅して少し視界が悪い。
「結構ありそうだな……」
「一フロアがそれなりに高さのある施設だからな。何せ実験を行う施設だ。他もそうだったんじゃないか?」
黒影館はエレベータを移動手段とする二階層の構造だったが、鏡ヶ原は階段のある三階層ほどの施設だった。アヤちゃんの言う通り、人形の製造室や実験室等、天井は高い位置にあったはずだ。
「足元に気を付けて下りよう」
アヤちゃんには関係ないかもしれないが、一応注意を促してから、俺は階段に足を下ろす。
そのとき、後ろからアヤちゃんの囁き声が聞こえた。
「……待て」
どうした、と返そうとして俺も気が付いた。
俺たちがやってきた方向から近づいてくる、硬質な足音に。
「……人形か……!」
アヤちゃん以降、怪しい人影などは見ていなかったので気が緩んでいた。校内よりこの施設内の方が危険なのは、最初から分かっていたはずなのに。
足音は一つではない。少なくとも、三体以上の人形がこちらへ向かってきているようだ。記念ホールで対峙した人形たちのように、暴走状態だとしたら非常に危険だった。
どうするべきか。時間はなく、このままでは追いかけられ続けるのはほぼ確実だった。それを承知で、とりあえず階段を急ぎ下りるしかないのだろうか……。
「ほら、二人とも……時間がないんだ、行ってくれ」
「アヤちゃん……?」
彼女は当然のように、扉の前に立ち塞がる。それは自らが壁になると言う意思を示すもので。
「この事件を終わらせられるのはお前たちしかいないだろう。だから……行くんだ」
「で、でも!」
そんなのは駄目だとシグレは抗議する。
しかし、アヤちゃんの決意は頑なだった。
「……ありがとう、アヤちゃん!」
「あッ――」
彼女の目を見て。
俺は一つ頷き、シグレの腕を掴む。
最後に一言、届くことを期待していたかは分からないけれど、彼女はこう呟いた。
「レイジのおかげで、私は強くなれたよ」
後には、激しい衝突音だけが幾度か響いただけだった。
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