「お母さん、ただいまーっ」
リビングに、少女の若い声が響く。
時刻は午後六時前。キッチンからは食欲を誘う香りが漂っていて、慣れた動作で料理を作っていた彼女の母親がそこからひょっこりと顔を出した。
「あら、おかえりアツカ。今日は元気ね。いつも学校で元気は使い果たしてくるのに」
「そりゃあ今日は、コレをもらってきたんだもの」
少女――京極敦花はそう言うと、背中に隠していたあるものを取り出した。
それは、三十センチほどの高さがある金色のトロフィーだった。
「ああ……この間のコンテストの」
「そうそう! ようやくこれを、隣に置けるんだなーって」
リビングには木製のショーケースが置かれており、その中や上に、幾つもの記念盾が収まっている。
まだ僅かに空いたスペースに、アツカは自身が貰ったトロフィーを誇らしげに置いてみせたのだった。
「へへ、どう?」
「良い眺めね。……目標達成した気持ちは?」
「うん、悪くないかな」
「それは良かったわ」
母がにっこりと笑むのに、アツカはしかし首を振る。
「でも、この盾に比べたら私のトロフィーなんてまだまだだよ。……うん、次なる目標を早く設定せねば!」
「もう? ちょっとは満足する時間も持てばいいのに」
「もう十分満足したよ。こうやって、隣にトロフィー置けたもん。次はこのトロフィーを、もっとすごいのにするんだ」
頑張らなくちゃ、とアツカは拳を握り締め、とりあえず満足したのか部屋に戻っていこうとする。
その最後に、ちらと母の方を見ると、
「お父さん帰ってきたら言ってね?」
「はいはい、分かってるわよ」
「ありがとー、じゃ!」
姿が見えなくなってから、母――千鶴は口元を緩ませる。
本当にあの子は、嵐のような子だと思いながら。
――やっぱり、親子は似るのね。
いつだって、アツカも、そして夫も上を目指して頑張ろうとしている。
それはとても誇らしく、ありがたいことなのだった。
*
「はーっ、疲れた!」
二階の自室へと戻ったアツカは、鞄を放り投げるとベッドへ倒れ込む。
母の前では張り切っていたが、実のところ既に疲労困憊なのだった。
中学生レベルとは言っても、一応は関東全域から参加者の集まるコンテストだ。規模は相当なものになるし、結果に関わらず式典で体力を使い果たすのは必定だった。
参加組数は確か三十組だったか。アツカは学校名が並んだリストを記憶から呼び起こしてみたが、恐らくはそれくらいの数が書かれていたはずだった。
科学部コンテスト優勝。総勢三十組の中で最も優れているとの評価を貰えたことは、自身にとって非常にプラスとなる経験だった。これがきっと将来に向けての足掛かりになるだろうという思いも少なからずある。
……けれど、あの記念盾の数々。
父の背中は未だアツカにとって、遠すぎるものには違いなかった。
「まだまだ、お父さんには遠いなあ。大人と子供じゃ当たり前かもしれないけれど……」
それでも、頑張らなくては。
少しずつでも差を縮めていかないと、決して父には追いつけない。アツカにはそんな確信がった。
彼女が必死になって父の背中を追う理由。そこには勿論、父に認めてもらいたいという欲求もあるわけだが、もっと大きく切実な理由が他にあった。
母の願いを叶えるため、である。
チズの父親、つまりアツカの祖父にあたる人物は、高名な学者だった。しかし、その祖父が続けていた研究は資金難と、そして彼を蝕んだ病によって頓挫してしまった。
祖父はある日突然倒れ、医師から余命半年と宣告された。その宣言通りに半年後、彼は夢半ばにして亡くなってしまったのである。
祖父は死の間際に病床で、同じ学者であるヒデアキに願いを託した。
どうか、自分に代わって世界に名を残してくれ、と。
ヒデアキは、その願いを引き継いで自らの夢とし、今もひたすらに追い続けている。
そしてアツカもまた、その力になれればとひたすら追いすがっているのだ。
二人の頑張りが自分のためだと分かっているからこそ、多忙で家にいる時間が少なくなったとしても、チズは毎日笑顔で二人の帰りを待っている。
いつか、夢の成就がどちらかの口からもたらされる日を信じて。
以前、チズはアツカにこう語ったことがある。
夫は父が叶えられなかった夢を叶えてくれる人だ。
だから、その隣に自分がいられることが幸せなのだと。
アツカはその話に、母も父も羨ましいと心底感じていた。お互いへの信頼と愛情。それがとても当たり前のように伝わったから。
その信頼と愛情の中に、自分も在りたい。
アツカの研鑽は、そのために重ねられている。
「もっと、頑張ろう」
寝転んだまま片腕を突き上げ、アツカは自らにそう言い聞かせる。
――そう、夢の成就まで。
結局、それが叶うことはついになかったのだが。
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