南西の廊下には音楽室があった。中に入ろうとしても鍵が掛かっていて徒労に終わったが、代わりに廊下の端でチホちゃんが絵画を見つめているところに遭遇した。
「音楽室に興味が?」
「ああ、レイジさんにシグレさん。私、習い事でピアノを弾くこともあるので少しだけ。……それにしても広いお屋敷ですよね。ヒカゲさんって人が個人で持ってた館だとは思えませんよ。そういうことは何か知ってたりしないんですか?」
「悪いけど俺も詳しいことは何にも。ただ持ち主の名前を偶然知ってたってくらいさ」
ランでなくとも、俺と館の関連性に興味を持つ奴は出てきて当然だ。
多分ソウヘイも気になってるだろうし、アヤちゃんなんかは目を光らせて聞いてきそうな感じがする。何とか上手く躱すとしよう。
「ところでさ、チホちゃんは誰に会えればと思ってここへ来たんだ?」
「え? ……ああ、やっぱり分かっちゃいますよね」
チホちゃんは悪戯が見つかった子どものようにはにかみ、
「私が……というより私たちが会いたいのは、昔の友達なんです。……二年前に亡くなった」
「……そりゃ、まぼろしさんとして会いたいわけだし故人だよな。その人は、どうして」
「事故です。当時ニュースにもなったんですけど、鏡ヶ原という所で起きたことで」
鏡ヶ原という地名は記憶にある。
チホちゃんが言うようにニュースにもなっていたのは、俺も知っていた。
リアルタイムで見たわけではなかったが、酷い事故だったことは印象に残っている。
「……それって」
「はい。ボーイスカウト体験で山に来ていた中学生が、崖崩れに巻き込まれたというあれです」
頷いて、チホちゃんは事故の概要を説明してくれた。
「鏡ヶ原は比較的安全な場所だったはずなんですが、夜の内に崖が一部崩落して……体験活動だったためか好きに出歩いていた子もいたようで、死者三名、行方不明者一名の事故になってしまった。その犠牲者の一人が、私とテンマくんの友達だったんです。匠くんっていう、とても優しい男の子……」
タクミくんという少年について話すチホちゃんの表情は、彼を単なる友人として考えている風には見えなかった。邪推かもしれないが、恐らく彼女は、タクミくんに対して恋心を抱いていたんじゃないだろうか。
今も尚、なのかは分からないけれど。
「……そう、だったんだ」
そこで躊躇いがちに口を開いたのは、シグレくんだった。
「ボクも、実はそれに参加してたんです」
「え、そうなのか?」
「僕だけじゃなく、他にも確かアヤちゃんが。当時はボクとアヤちゃん、まだ仲良くしてはなかったんですけど。そっか……確かにタクミって名前には聞き覚えがあります」
「はい。テンマくんも参加していたんですけど、泣きながら帰ってきて、事故のことを私に。……そのときは信じられなかったですけど、でもニュースで報道されて、事実なんだって突き付けられて。それから何日も泣き通しでした」
シグレくんもそうだが、突如として降りかかる不幸に堪えられる者などいないだろう。これからの未来が一瞬にして失われる瞬間。想像するだに胸が締め付けられる思いだ。
「今では気持ちの整理も、ある程度はついたんですけど。もしもう一度タクミくんと話ができるのなら、私も聞きたいことがあるし、テンマくんも……聞きたいことがあるみたいだから」
「なるほど。それで眉唾だけど、まぼろしさんの噂にひかれて、テンマくんは君を誘ったんだな」
はい、とチホちゃんは肯定する。彼女が元々まぼろしさんの噂を知っていたかは定かでないが、とにかく願ってもないチャンスと思ったのだろう。
そのチャンスがどれだけ小さなものだとしても。
「きっとチホちゃん、その子が好きだったりしたんだろ? テンマくんが本当のことを言わなかったのも分かるな」
「……レイジさん、鋭いですね。まあ、今だから素直に言えますけど、その通りです。だからこそ……私は聞きたいんですよ。私がこれから選ぶ道について……」
何の挨拶も出来なかった生者と死者。
彼らがきちんと清算するために、必要なこと。
前に進んで行くための、告白。
明確な答えは聞かなかったけれど、チホちゃんが何を望んでいるのかを理解するのはそう難しいことではなかった。
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