――私は、その女の子を恨んでいたわけではない。
ただ、私は私の成すべきことを、守り続けようとしているだけなのだ。
その結果、誰かが傷つくのだとしても、私はこの生き方を止めるわけにはいかない。
これが私に残された、ただ一つの生き方なのだから。
これが私の決めた、ただ一つの生き方なのだから。
だから、私は守り続ける。
この体が動かなくなるまで、ずっと。
この魂が朽ち果てるまで、ずっと――。
いつの間にやら、あれほど吹き荒んでいた風はピタリと止んでいた。それもまた、世界が隔絶された証なのかもしれない。
俺たちが閉じ込められたのは、霊の存在する空間。ただ離れるだけでは、ここから脱出することは叶わないのだ。
意図的に作られた霊空間。
本来ならば別条件があるのだろうが、ここでの脱出条件は結局、術者の望む条件を達成することに違いない。
或いは、その術者を屈服させられでもすれば解除してくれるかもしれないが。
「……さて、出てきたもののどうしようか」
「マキバさん。俺は正直ここが初めてなんで、付近に何があるか知ってれば教えてもらえるとありがたいんですが」
「とは言っても、教会とコテージ以外は殺風景な丘だけどね」
まあ、一角荘に到着するまで建物は見なかったし、それは教会までの道中も同じだ。大半が手付かずの自然、という雰囲気はある。
「教会のほかに調べられる場所というと、少し下にある物置小屋と、小さな洞窟みたいなものはあったはずかな」
「下は確かに、まだ行ってないですね。教会も詳しくは調べてないんで気になりますけど、まずは下から行きますか」
「分かった。あてもないし、ここはサクライくんに従うよ」
こちらも上手く動けている自信はないが、事件がいつ進行するか分からない以上、迷って立ち止まるのが一番まずいはずだ。とりあえずは目的を決めて、一つ一つ潰していかなければ。
「……ん?」
下り坂を進もうとしたところで、視界の端に怪しいものを捉えた。それは燃やした後の細い薪だった。
コテージにはバーベキューセットが用意されていたので、それに使うため備蓄されていたものの一部だろうが、五本ほどの薪は何故かそれだけ使用済の状態で地面に転がっていた。
「誰かが使ったんですかね?」
「さあ……僕は見てないな。君たちでなければ、あの姉妹かモエカちゃんのどちらかだろうけど」
「何かを燃やした跡はありますね」
木炭に混じり、何かの燃え滓のようなものが辛うじて確認できる。火を熾すために使ったものではなさそうだし、多分これを燃やしたかったのかもしれない。
「事件の手掛かりだったりするのか……」
「もう、元は判別できそうもないなあ……」
ミコちゃんが殺された事件の糸口であれば良かったのだが、最早どんなものだったかも不明だ。流石に凶器を燃やした、というわけではないだろうが。
「マコちゃんかモエカちゃん、どちらかに聞けば答えが返ってくるかもしれない。今はそれに期待しておこう」
「……そうですね。これ以上は調べがつかなさそうだ」
考えても答えが出ないことなので、俺は見切りをつけて立ち上がった。今は謎だが、こういう小さな謎を繋げたら意外に答えは浮かんでくるものだったりするのだ。
黒影館でも、俺は探偵見習い程度の役割は担えていただろう。
無風の丘を、俺たちはゆっくりと下っていく。昼間に歩んできた道を半ばまで戻ったところで現れた十字路を右に曲がり、そのまま道なりに進むとボロボロの小屋が見えてきた。
「ここが物置小屋だね。一角荘に置き切れないものは小屋に保管されてたりするみたいだ。ほら、薪も沢山積まれてる」
マキバさんが指差す小屋の横手には、なるほど綺麗に割られた薪が束になっていくつも置かれていた。一角荘で使い切ってしまったり、或いはこの近辺で火を焚いて調理したりするときには使われるのだろう。
「いつもなら鍵が掛かっていたとは思うけど……」
言いながら、マキバさんは小屋の扉に手を掛ける。そのまま引っ張ると、扉はなんの抵抗もなくするりと開いた。
「……開いてるんだね」
不用心な管理人がいた、というわけではないはずだ。きっとこれも、意図的に開放されているに違いない。
参加者に探索をさせるために。
「……探索、ね」
「どうかしたかい?」
「いえ、何でも」
薄らと、黒影館での記憶が蘇る。
あのときと根本が同じだとすれば……微かに事件の構図が見えた気がした。
「とにかく入ってみましょうか。注意はしてください」
「ああ。殺人犯がいるかもしれないしね……」
殺人犯。
マキバさんはその定義をどう考えているのか。
「……誰もいないな」
慎重に扉を開けていったが、中には誰も潜んでいなかった。というより、人が潜むには物が多すぎる。色々な物が乱雑に押し込まれていて、隠れられそうなスペースはほぼなかった。
「昔からこんなだったんですか?」
「まあ、ね。管理の行き届いている場所じゃあなかったみたいだし。あの事故以降、処分に困ったものがここに持ってこられた印象はあるけれど……」
つまりは不要物が多い、ということか。調べ物をするのは面倒そうだ。
事件現場からは遠い場所にあるし、ミコちゃん殺害の手掛かりになるようなものはありそうにない。ただ、あちら側が仕掛けた謎解き要素が今回も置かれている可能性は十分あるし、他にもここへ来た目的はある。
適当に物をひっくり返しながら、俺はマキバさんに話しかけた。
「……マキバさんは物理学者なんですよね」
「ん? ああ、一応はね」
「物理学者の目から見て、この状況は何が起こってるんだと思いますか」
「学者の目から……か」
彼はしばらく唸った後、
「あまり非科学的なことを話しても恐怖を煽るだけだろうから……少なくとも、誰かが大掛かりな計画を実行に移しているだろうということは言える」
「それは、殺人の?」
「見る限りは」
突如現れた、全身に打撲痕のある無残な死体。あの事件を突発的に起こしたというのは、確かに無理があるが。
「非科学的なことを、考えてみてはいるんですか?」
「……それは」
「どんなことなんでしょう」
口籠るマキバさんに、俺は間髪を容れずに言葉を重ねる。
「……ねえ、マキバさん。俺、事件が起きるちょっと前にようやく思い出したんですよ。あなたの名前……牧場智の名前をどこで見たのか」
「……僕の、名前?」
「ええ」
牧場智。当初音のイメージでしかなかったものは今、明確な漢字となって脳裏に浮かんでいる。
暗闇の情景とともに。
「そこは……黒影館という館の図書室でした」
彼の表情が、そこで一気に強張る。
「あなたは確か、こんな題の論文を書いてましたよね。【霊体と肉体の乖離に関する研究】……」
「それは……」
物理学の範疇を超え、霊魂の領域に踏み込んだ学者。
人類の進化を掲げる組織への入組者……。
「……教えてください、マキバさん。あなたは一体、何者なんですか? あなたの目的は……何なんですか?」
俯いたまま黙りこくっているマキバさんに、俺は刃を向けるように言葉を突きつけた。
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