人里よりも地下空間を好き勝手使えたのだろう、鏡ヶ原の研究施設は相当な広さがあった。単純な部屋面積の広さというか、部屋同士を繋ぐ廊下がかなり長い。危険な実験を行うための安全策として間隔をとっているのかもしれなかった。
手近な扉を開けようと試みたが、マキバさんの話していたようにロックがかかっていた。カード認証のようだが鍵穴もあったので、俺たちはまず合鍵を探すことにした。
エントランスを抜けてすぐ左手側に、ロッカールームがあった。幸運にもその扉は認証システムが壊れているようで、扉は半開きのままだ。研究員が使っていたロッカーなら何かありそうだと、俺たちは手分けして室内を調べ回る。
「あった。不用心だけど、鍵束が放置されてる」
「……本当ですね」
管理担当だったのか、誰かが使っていたロッカーに数本の鍵が連なった束が入っていた。全部屋を網羅しているかは分からないが、数からして大体の場所は入れそうだ。
「そもそも、侵入されるという危険性を研究員はあんまり考えなかっただろうからね。楽観的だけど、実際一度もそういうことはなかった」
「まあ、教会の地下ですもんね」
黒影館ですら存在を暴かれていなかった研究施設なのだから、ここは尚更だろう。
鍵束を手に、施設の奥へと進んでいく。長い廊下はいくつも枝分かれしていて、壁面にはその先に何があるかの表示板が取り付けられていた。
最初の分岐路に出てきたのは製造室。まずはここからにしようとマキバさんに促され、俺たちはその部屋に入る。そこは製造室という名称の通り、大きな機械装置や工作台などが置かれている部屋だった。
中でも目を引いたのは、工作台の上に放置されたままとなっている、人形。
中学生を想定したであろう姿形の、ボロボロになった人形がそこにはあった。
「……やっぱり、ここに放棄されていたんだな」
「これが……?」
「そう、実験の使われていた人形だ。魂魄を固着させるために試作されていた……人体の代用品」
マキバさんは怖がる様子もなく人形に近づいていき、その腕を優しく掴む。
「あの研究員はゴーレムと呼ぶのを気に入っていたみたいだけど、僕はむしろピグマリオンと呼びたかった。はは……そんなことはどうでもいいけど」
ゴーレムとピグマリオン。どちらも人形に対する名称としておかしくはない。ただ、その意味は全く逆だ。
ゴーレムは作成者の命令に従って動くが、時として暴走してしまうこともある土人形。あくまでもモノ、道具というイメージしかない。
対してピグマリオンとは、自らが作り出した彫像に恋をした王の神話であり、最後には愛の女神アフロディテが彫像に生命を与えたというものだ。こちらは一貫して人形を人間として、愛すべき存在としている。心理学でもこの二つを対比するように、ゴーレム効果とピグマリオン効果があったばずだ。
とにかく、要するにマキバさんは人形を道具でなく、愛すべき人間になるものとして見て欲しかったというわけだ。気持ちはわからないでもない。恐らくこの人形は、彼自身が製作したものなのだろうから……。
「……そう言えばこの人形、教会の女神像とそっくりですよね。あれってこの人形をベースに作られたものなんですか?」
「そうだよ。教会に見せかけて、本当は自分たちが製作していたものを掲げていたんだ」
元々この教会そのものが、研究施設を覆い隠すカムフラージュとして建てられたわけだ。一体GHOSTはどれほど昔から存在し、どれほど資金力を持っているというのだろう。
「……この人形は、使われたりしたんですか?」
躊躇いがちなシグレの問いに、マキバさんは小さく頷く。
「魂魄分割の目的は、主に対比実験だとサクライくんには話したね」
「……ええ」
「じゃあ、一人の人間から魂魄を分割したとして、もう一つの魂の行き先はどうなる?」
帰るべき肉体が一つしかない人間。
その魂が二つに裂かれたとすれば、それは。
「……薄々、気付いてはいました。実は、教会の実験現場を覗いてしまった友人がいたんですよ」
「選ばれなかった参加者の子か……」
「ええ。その子の遺した手紙には、実験時の光景が描写されていた。魂を抜かれ、再び肉体に戻されて。生気のない瞳で立ち上がる子供たち……そんな、光景が」
古野天馬。
モエカちゃんの話でも出てきた、匠暁くんの親友だった。
彼はちょっとした悪戯心から、タクミくんと二人で夜中に教会へ忍び込もうとした。そのときこそ、不運にも魂魄実験を行なっているときであり、きっと予定外の侵入者であったタクミくんも、他の犠牲者と同じように非道な実験を受けてしまったのだった。
テンマくんは、助けにも行けず、震えることしかできなかった。その悲劇をずっとトラウマとして抱え、あの日の黒影館に至ったのだ。
――そう、許されやしないんだ。
テンマくんが最期に遺したメッセージは、今も忘れられない。
「子供たちの魂魄は分割され、一つは元の肉体へ、もう一つは人形に移された。そういうこと……なんですね」
「……ああ。ヴァルハラによって一括でその実験が行われたのだから……アオキくんの言う通り、みんな分割され、片側を人形に移されたんだろうね」
「……恐ろしすぎます……」
思わず身を震わせるシグレに、マキバさんも同感だと頷き、
「あの頃は、誰も彼も麻痺していたんだ。好奇心という熱病に……冒されていた」
ある意味は彼らもまた、ゴーレムのように。
命令に従う土人形のようになっていたのかもしれない。
無論、だからと言って何一つ許されると行いではないけれども。
「……ここにいるのは人形一体だけみたいだね。残りがいるとすれば実験室か」
「実験室……」
「そう。魂魄分割は対比実験に用いられるものだったから、ここには観察用の設備があるんだよ」
言葉からしてもう嫌な想像しかできないが、研究の内容を知るためには向かわざるを得ない。
これは俺個人の思いでもあるが、人造魂魄としてGHOSTについて知らなければいけないと感じているから。
「実験室は施設の南端にあったはずだ。一番スペースの必要な場所だから少し歩くけど、先に行ってみるべきだろう」
「そうですね。案内してください、マキバさん」
「うん。……行こうか」
一瞬だけ、マキバさんは申し訳なさそうに人形に視線を向けてから、未練を断ち切るように部屋を出ていくのだった。
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