回廊を曲がった先。
さっき逃げ込んだ倉庫の扉が閉まっていた。
確か、抜け出すときは扉が半開きになっていたはずだ。
だから今、そこにあいつがいることは自然に察せられたのだった。
「……ラン」
扉越しに、俺は声を掛ける。
すると、鼻をすする音が聞こえた後、
「……何よ」
という、ランのふて腐れた声が帰ってきた。
「……大丈夫か」
「……もちろんよ。だから、レイジも早く探索に行って。私も私で、調べるから……」
どう考えたって、強がりでしかない言葉。
そんな彼女の台詞に、素直に従うわけにはいかない。
「……馬鹿だな」
「なっ、何が馬鹿よ!」
「何でもないフリをしたって、お前に隠せるわけないんだから。……お前がどんな顔してるかくらい、俺には分かるんだから」
「……レイジ」
涙で目を真っ赤に腫らして。
嗚咽を必死に押し殺そうとしているラン。
そんな彼女の姿が、俺には容易に想像できる。
曲がりなりにも、俺は彼女と長い時間を過ごしてきたのだから。
「……それでいいから、少し……話しますか」
「何をよ」
「何でも。今、話したいことを……とりあえず、話していよう。それでいいからさ」
扉の向こうのランに、優しく投げかける。
向こう側からは、くぐもった声が返ってきた。
「……馬鹿は、あんたよ。レイジの馬鹿……」
その言葉は、決して嫌な響きを持つものではなく。
裏返しの感情が垣間見えるものだった。
だから、少しずつでも心の内を曝け出してくれるよう。
俺はただ静かに、彼女の話を待った。
「……私ね。こう見えて、意外と厳しい家庭に生まれて育てられたんだ。だから、中学生くらいまではアホかってくらい、マジメに生きてたの」
消え入りそうなほど小さな声。だけどその言葉は、ちゃんと俺に届いている。
明るさが取り得だった彼女の、隠してきた過去。
「成績優秀、品行方正。今じゃ寒気のするような言葉だけど、あの頃の私はその言葉に縛られてた。親の期待に応えるために、そうじゃなきゃダメなんだっていつも自分に言い聞かせながら、毎日過ごしてた」
品行方正。ランが寒気のすると表現した通り、今の彼女には似合わないワードだ。
当時の彼女もそう感じながら、けれども親の重圧ゆえ必死に追い求めていたのだとすれば……それは苦渋の日々だったことだろう。
「……高校生になったくらいに、それが耐えきれなくなって。何か変えたい、変わりたいと思ったときにね? あんたが楽しそうに笑ってるのを、偶然見つけたのよ」
「……俺?」
「そうだってば」
ランはそこで力なく笑い、
「何の悩みもなさそうに、誰かと笑って、遊んで、学校生活を満喫してる。そんなあんたが何故か目について、仕方なかった。それで私も、真似してみようとして。せめて外側からだけでも明るく、楽しくいこうって決めたの」
きっと、ただの偶然だったに違いない。
俺以外にも学校生活を楽しんでいる奴は山ほどいるし、むしろそいつらの方が満喫していることだろう。
記憶喪失に苦しんでいた俺なんかよりも。
「……ミス研は、あんたが推理小説を読んでるらしいと聞いて、それを参考に作った部なのよ。尤も、私はオカルト方面しか知らなくて、違う意味のミステリになっちゃったけどね。そこに入り浸るようになって、あんたの目に止まって、話をするようになって……少しずつ、話せる人、遊べる人も増えてった」
「……謎だらけだったからなあ、最初の印象。そもそもそのときは、中身がなかったわけだ」
よもや、ミステリ研究部創設の理由が俺だったとは驚きだし、恥ずかしかったが。
こいつの行動力からすれば、おかしくないなとも思った。
「私は、ミス研を作ったこと、そこで楽しく笑えるようになったことをさ。本当に幸せなことだって、昔の自分ならできなかったことだって誇りに思ってた。……思ってたん、だよ」
それなのに。
ランは声を上ずらせる。
「……どうして、こんなことになっちゃったんだろう。私のワガママのせいで、テンマくんも……アヤちゃんも……!」
「……ラン」
「まぼろしさんなんていなかった。いたのは……恐ろしい霊だけだった……!」
必死に声を押し殺そうとして。
けれども堪え切れずに、漏れ出る嗚咽。
ああ、どうかそんなに嘆かないでくれと思いながら。
扉を開けて、彼女の涙を拭えればと思いながら。
その気持ちをぐっと堪えて、代わりの言葉を送る。
「……ランのせいじゃないよ。お前のせいなんかじゃ、ないから……」
……それから。
俺はしばらくの間、扉を挟んで彼女と話し続けた。
もう大丈夫だからと何度か言われたけれど、それでもその声は震えていて。
それが落ち着くまでの間、俺は彼女のそばに居続けた。
そうして俺たちは、気づけば二十分ほども、様々なことを、懐かしみながら話していたのだった……。
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