「あれ?蓮見くん?」
冬休みが近づいてきたある日曜日の夕方、図書館での勉強を終えた菜緒が自宅に向かっていると、淳人が向こう側から歩いてくるのが見えた。淳人も菜緒に気づいて微笑みながら手を振った。
「マサくんち行ってたの?」
「うん、そう。部活休みで暇だからって」
淳人は菜緒の自転車のカゴに入っているバッグをチラリと見た。以前図書館で会った時に菜緒が持っていたものと同じだった。
「図書館?」
「うん。たくさん本読みたくていっぱい借りてきちゃった」
「全部英語の本?」
「全部ではないんだけど、ほとんどそうだね。読みたいのがたくさんあって選ぶの迷っちゃった」
嬉しそうに話す菜緒を見て淳人も何だか嬉しくなった。
「なんか幸せそう」
「え?そうかな?」
淳人にそう言われて菜緒はまた嬉しそうに微笑んでいた。
「実はね、将来やりたいなって思うことが見つかって、そしたら今まで以上に英語に対する気持ちが大きくなったというか、色々溢れてきちゃって」
「そうなんだ……どんなことか聞いてもいい?」
「うん……翻訳家になりたいなって」
菜緒はテレくさそうに笑いながら淳人の問いに答えた。淳人はその答えを聞いて、納得したように頷いている。
「専門的なことはよく分かんないんだけどさ……間宮さんの英語の訳し方分かりやすいから、きっと向いてると思うよ」
そう言いながら淳人は微笑んだ。淳人の言葉を聞いて菜緒は嬉しい気持ちになり、満面の笑みで感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとう。そう言ってもらえると、頑張る気持ちがさらに湧いてくる」
そんな菜緒の笑顔を見ながら、淳人は嬉しくなると同時に、この笑顔をずっと見ていたいなと思い心の中が温かくなるのを感じた。
「それなら良かった。ちなみに、翻訳家になりたいって思う何かきっかけがあったの?」
「んー、英語を仕事にしてみようって思えたのは、吉川くんかな」
その名前を聞いて淳人の心は一気にモヤモヤしたものに包まれた。もちろん、菜緒はそんな淳人の心の中に気がつくこともなく、将来のことについて匠と話をしたときのことを淳人に対して話している。淳人は匠に対する嫉妬心が湧いてくるのを必死に抑えながら話を聞いていた。
「……それで、色々英語に関する仕事を調べているうちに翻訳家にたどり着いて、それが自分に向いてて自分の力を生かせるかなーって……単純な理由なんだけどね」
「……吉川、結構いいこと言うんだね」
自分の中に渦巻く感情を悟られないように、淳人はライバルを褒める言葉を言うことで自分を落ち着かせようとしていた。こんなみっともない気持ち、菜緒には絶対に知られたくなかった。
「ね、なんか意外だよね……でも、本当にありがたいなーって思って」
菜緒は笑顔を見せていたが、その笑顔が匠のことを思ってのものだと思うと、淳人は胸の奥が痛んだ。そして、こんなにも心の狭い自分がつくづく嫌になってくる。
「……あのさ、間宮さんって吉川のこと……」
「え?」
「いや、何でもない」
思わず菜緒の気持ちを確かめようとしたが、淳人は思いとどまった。ここで菜緒の気持ちを知るのが怖いというのはもちろんだが、こういう確認の仕方はとてつもなく卑怯な気がしたからだ。自分が菜緒のことを好きじゃないのなら聞いてもいい質問だろう。だが、自分は菜緒のことが好きなのだ。だったら、菜緒の気持ちを確かめるのは自分が告白する時じゃないといけない。そんな風に淳人は感じた。
菜緒は不思議そうな顔をして淳人を見ている。その視線を感じて、淳人は話題を切り替えた。
「冬休みさ、電話したりメッセージ送ったりしても大丈夫?」
「うん、もちろん」
「……ただ声が聞きたくて電話しちゃうかもしれない」
色々な感情が心に生まれたせいだろうか、淳人は自分らしからぬ発言かもしれないと思いつつ、素直な思いを口にしていた。菜緒は淳人の言葉にどんな意味が含まれているのかは分からなかったが、その言葉によって自分の心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
「……いいよ、それでも……わたしも蓮見くんの声が聞きたくなったら電話してもいいかな?」
菜緒が緊張気味に尋ねると、淳人は首を縦に振って優しく微笑んだ。そして1番伝えたい気持ちを伝えるのはまだ先になりそうだけど、それでも素直な気持ちは伝えられたかな、と淳人は思った。
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