文化祭2日目も無事に終わり、生徒たちは楽しさの余韻に浸りながら片付けをしていた。もちろん1年A組の面々もその作業に追われている。
菜緒が教室の拭き掃除をしていると、ゴミ袋を持った淳人がやってきた。
「ゴミある?」
「あ、うん、これ……ありがと」
菜緒は近くにあったゴミを淳人が持っている袋に入れた。
思い返してみると、菜緒と淳人が言葉を交わすのは久しぶりだった。あの日の放課後、菜緒と匠が一緒にいることに耐えられなくなった淳人が先に帰ってから、なんとなく2人の間には距離ができていた。菜緒は今日のこともあり、勝手に気まずい気持ちを抱いたままだった。何か話したいという気持ちはあるものの、上手く言葉が出ないまま2人の間には微妙な空気が流れていた。
「……無事に文化祭終わって良かったね」
何を話していいか分からず、菜緒は当たり障りのない話題を振ってみる。
「そうだね。……今日は結構忙しくて大変だったね」
淳人もそれに対して無難な返事をすることしかできなかった。
もっと色々話したい……そんな思いを抱いたまま2人の間に沈黙が続く。そんな時、それを破る声がした。
「蓮見、その袋こっち持ってきて」
声の主は匠だった。まとめられたたくさんのゴミ袋が匠の周りに置いてある。
「2人で捨てに行こうぜ」
淳人はチラリと菜緒の方を見た後で「わかった」と言って匠の方に行ってしまった。そして、淳人と匠は両手にゴミ袋を持って教室を出た。菜緒はもっと話したかったという名残惜しさもあったが、何を話せばいいのか分からない気まずさから解放されて少しホッとしていた。
「わざとだろ」
廊下に出てすぐに淳人は匠に不満をぶつけた。匠は淳人の言葉の意味をすぐに理解した。
「だって嫌じゃん。菜緒と他の男、特にお前と2人で話してんの」
匠の口から“菜緒”と発せられたことに気がついた淳人はムッとしたような顔をした。匠はそれに気がつかないふりをして話を進める。
「お前もいつだったかそうだろ?俺と菜緒が仲良く話してんのが気に入らなくて先帰ったろ?」
できれば蒸し返して欲しくなかった話を匠から振られて淳人は顔をしかめた。
「あの時お前が帰ってくれたおかげで菜緒と帰れて……あ、そのときだよ、俺が菜緒って呼ぶことになったの」
「ふーん……良かったな」
明らかに不機嫌になっていく淳人の様子を匠は楽しんでいた。
「もしかして、それ聞かせるために、わざと俺に手伝い頼んだの?」
淳人は怒りのこもった口調で匠に尋ねると、匠は「まあね」と返事をした。
「性格悪いな」
「別にお前にそう言われても何とも思わねえよ。……ただ、菜緒には思われたくねえな」
「お前、わざとだろ」
匠があえて“菜緒”というワードをはさんでいるような気がして淳人は気分が悪かった。怒ったような口調の淳人に対して匠は「何が?」とトボけた。
「あ、もしかして、俺が菜緒って呼んでるのが気に入らない?」
わざとらしい匠の態度に淳人は何も言う気にならなかった。匠はそんな淳人に構うことなく話を続ける。
「こう見えてもさ、俺必死なんだよ。なんとか菜緒の心をさこっちに向けたくて。俺のすることでドキドキしてくんねえかなって」
「それと下の名前で呼ぶことに何か関係あんの?」
「女子ってさ、下の名前で呼ばれると喜んだりドキッとしたりする子多いじゃん」
淳人はイマイチピンと来なかった。小中学校の頃は何も意識せずに、仲良くなった女子は自然と下の名前で呼んでいたからだ。周りの男子もそうだったし、女子もそれで特に何か意識しているようには見えなかった。今日会った亜紗美と栞もそうだ。
「……って思ってたんだけど、あいつにとっては別になんてことないみたいだな」
やっぱりそんなもんだろ、と淳人は思った。下の名前で呼ぶことに大きな意味はない……だけど、匠が菜緒と呼ぶのは異常に腹立たしかった。正紀が呼んでても何とも思わないのに。そんなことを考えていると、匠が急に意味ありげにニヤリと笑った。
「あ、でも……耳元で菜緒って呼んだ時はさすがにドキッとしてたな。顔赤くしちゃって……」
「……お前」
匠の言葉を聞いた瞬間、淳人は自分の怒りのスイッチが入るのを感じた。分かりやすく苛立ちを表現する淳人を見て匠は笑う。
「そんな怒るなよ。っつーか、お前に怒る権利ないだろ?彼氏でもないし」
悔しいがそれに関しては匠の言う通りだと淳人は思った。菜緒が誰と仲良くするかは菜緒が決めることだし、匠がどんな風に接するかも匠の自由なのだ。自分がとやかく言えることではない、と淳人は分かっている。でも、なんとも言えない複雑な気持ちでいっぱいになってしまう。そんな気持ちと淳人は葛藤していた。
何も言い返してこない淳人に対して匠はさらに煽るように加えた。
「それにお前は、ちゃんと菜緒の心を動かす努力してんのかよ」
正直痛いところを突かれた気がした。確かに自分は何もしていない。菜緒と仲良くしたいという気持ちばかりで、そうなるための努力らしい努力はしていない。なのに、嫉妬だけして勝手に不機嫌になっている。そんな自分がものすごくカッコ悪く感じた。
「菜緒を好きなだけで十分とか、自分以外のやつを選んだとしても菜緒が幸せならそれでいいとか思ってんなら、何もしなくていいんだろうけど」
「……誰を好きになるかを決めるのは間宮さんだから」
淳人は自分のカッコ悪い感情に気がつかれたくなくて、つい物分かりのいい答えを言ってしまった。そんな淳人の言葉に対して匠は挑発するように言葉を返した。
「それが俺だったとしても?」
「絶対嫌だ」
若干食い気味で返事をした淳人に対して匠は呆れるように笑った。
「俺もだよ。菜緒がお前のこと選んだらすげー腹立つ。だから、必死なんだよ……本気で好きだから。絶対振り向かせたいんだよ」
匠はいつになく真剣な表情で淳人に言い放った。淳人はそんな匠を見て自分の中の何かが刺激されたような気がした。そして、自分に対してフェアに向き合おうとする匠の気持ちがありがたく感じた。
「……お前、根はいい奴なんだな」
淳人が笑ってそう言うと、匠は「なんだよ、急に」とテレくさそうに返した。そんな匠に対して淳人は伝わりづらい表現で感謝の気持ちを伝える。
「お前のこと好きじゃないけどさ……でもお前がライバルで良かったかも」
「俺はお前のこと好きじゃねえし、ライバルになんかしたくなかったけどな」
淳人の言葉に対して匠はそう言って悪態をついたが、その表情はどこか楽しそうだった。
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