次の日曜日、菜緒はいつも通り図書館に来ていた。今日は中で勉強するつもりだったが、人が多く席が空いていなかったので、予定を変更して外のベンチで本を読むことにした。
外も天気が良く過ごしやすい日なので普段よりも人が多いようだ。芝生の上で遊んだり運動したりしている人たちがたくさんいる。元気な子供たちの声が響き渡っているが、その中でも一際声の大きい子供たちがいるのが見えた。小学生くらいだろうか、グローブをつけて3人で並んでいる。
「よろしくお願いしまーす!」
3人は両手を上げながら軽く手を振り誰かに挨拶をしている。菜緒は3人の視線の先にいる人物に目をやった。
「……あれ?」
その人物は背が高くスラリとした体型で、しなやかでキレイなピッチングフォームから3人のうちの1人に向かってボールを投げた。
「蓮見くん?」
菜緒はじっと目を凝らしてその人物の顔を確認した。子供たちに声を掛けながら笑顔を見せているその人物は間違いなく淳人だった。学校では決して見せない表情だが、中1の夏に菜緒が見た笑顔と同じだ。
淳人がここにいること、子供たちとキャッチボールをしていること、笑顔見せていること、菜緒は色々と驚きが隠せなかったが、なんだか嬉しい気持ちになった。淳人が心の底から楽しそうに笑ってるのを見て、淳人は噂されているような冷たい人間じゃないということに確信が持てた気がしたからだ。菜緒は心の中が弾むのを感じながら嬉しい気持ちを抱えて本を読み始めた。
しばらく本に夢中になっていると、淳人と子供たちがキャッチボールを切り上げている様子が目に入ってきた。少し楽しそうに話をした後、子供たちは「ありがとうございました」とお礼を言いながら淳人に別れを告げて、その場から帰っていった。
淳人は軽くストレッチをした後荷物を整理して、自転車小屋の方へ向い歩き始めた。
――あ、こっち来る。
淳人のいるところから自転車小屋までの間には菜緒が座っているベンチがある。自分には気づいていないであろう淳人がこっちに向かってくることに菜緒は妙に緊張した。しかも、淳人とは入学式以来言葉を交わしてないし、あのこともあったので急に話しかけるのには少しためらいがあった。
だが、「淳人と少しでも仲良くなって淳人のことを知りたい」という気持ちから菜緒は意を決して淳人に声を掛けることにした。
「蓮見くん」
菜緒は思い切って声を掛けた。少し下を向いて歩いていた淳人は菜緒には全く気づいていなかったようで、その顔を見て驚いた表情を見せた。
「……間宮さん?」
すぐにいつものクールな顔に戻り、淳人は立ち止まった。呼び止めたはいいが、菜緒は次の話題を全く考えておらず、2人の間にはしばしの沈黙が流れた。
「「……」」
最初に沈黙を破ったのは話しかけられた淳人の方だった。
「……英語の本?」
菜緒が持っている本をチラリと見て淳人は尋ねた。
「え?うん、そう……」
「そっか」
返事は素っ気なかったが、菜緒には淳人が少し微笑んだように見えた。
「……蓮見くんは野球の練習?」
また沈黙が続きそうになったが、自分から話しかけておいてそれは失礼だと思い、菜緒は慌てて質問をした。
「うん、まあ一応ね」
「男の子たちには野球教えてたの?」
「いや、ちょっと頼まれてキャッチボールしてただけだよ」
「そっか。……元気だったね、みんな」
「……あ、本読んでたのにうるさかったよね。ごめんね」
「え、あ、そういうことじゃなくて……その微笑ましかったっていうか、こっちも楽しい気持ちになったっていうか……」
「それならよかった」
淳人は表情を変えずに答えた。本当は色々と話をしたかったが、もしかしたら淳人は迷惑してるかもしれないと感じ、今日はここで切り上げようと菜緒は話を変えた。
「あ、なんか急に話しかけちゃってごめんね。ビックリしたよね」
「いや、大丈夫だよ。まあ、ビックリしたけど」
表情を変えずにそう答える淳人のクールな雰囲気に飲まれてしまいそうだったが、菜緒は最後に1番聞きたかったことを思い切って尋ねてみることにした。
「……学校でも話しかけていいかな?」
菜緒の問いに淳人は一瞬だけ戸惑ったような表情を見せたが、すぐにいつものクールな顔に戻った。
「……別にいいよ。でも……」
そう言って淳人は黙り込む。そんな様子に菜緒は不安を覚えたが、淳人の次の言葉を待つことにした。淳人は少し考えた後で心配そうな表情をして言葉を続ける。
「間宮さんに迷惑かかるかもよ」
「え、なんで?」
淳人からの意外な言葉に菜緒はビックリして気の抜けた声を出してしまった。そんな自分の声のトーンに菜緒は恥ずかしくなったが、淳人はそんなことを気にする様子はない。
「ほら、俺浮いてるし。色々言われてるから。……俺と話してると間宮さんまで変なこと言われたりするかもしれないよ」
色々言われて嫌な思いをしているのは淳人自身のはずなのに、こちらの心配をしてくれている淳人の優しさがありがたいと感じるの同時に心が痛んだ。菜緒はどんな風に返事をしたらいいのか迷い、なかなか言葉を出せずにいると、淳人はちょっぴり悲しそうな顔をしながら、さらに言葉を続けた。
「まあ、そういう風にしてるのは俺自身のせいだから、俺が色々言われるのは構わないんだけど、俺に話しかけることで間宮さんが嫌な思い……」
「関係ないよ!」
菜緒は淳人の言葉を遮った。色々な思いが交錯して菜緒は思わず声が大きくなってしまった。菜緒がそんなに大きな声を出すイメージを持っていなかったので、淳人は驚いて言葉を続けられなかった。
「わたしが蓮見くんと話したいの。蓮見くんと仲良くなりたいって思ってるんだから、周りは関係ないよ」
そう言って菜緒はまっすぐに淳人の方を見た。発せられた言葉から菜緒のまっすぐで優しい気持ちが感じられて淳人は嬉しくなった。
「……ありがとう」
淳人も菜緒の方をまっすぐに見つめる。菜緒は少し感情的になってしまったなと我に返った。
「なんか、ごめんね。ちょっと感情的になっちゃって……声も大きかったし……」
そう言いながら、菜緒は気まずそうに下を向いた。そんな菜緒を見て淳人は優しく言葉をかける。
「嬉しかったよ」
その言葉を聞いて、菜緒は顔を上げた。その瞬間、菜緒の目に映ったのは優しく微笑む淳人の顔だった。その笑顔を見て、菜緒は自分の胸が少し高鳴ったのを感じた。そして、その表情は中1の夏に出会った笑顔とピッタリと重なった気がした。
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