――そうは言っても、何すりゃいいんだ?
教室に戻った匠は机に突っ伏して考えていた。その様子を圭吾は後ろから見て笑っている。ちょっと煽りすぎたかなと反省もしつつ、匠の菜緒に対する態度にもどかしさを感じていたので、あれくらいでちょうど良かっただろうとも思っていた。
「ねえねえ、吉川くん、大丈夫?」
圭吾が匠を観察していると、席に戻ってきた菜緒が匠に声を掛けた。匠は菜緒の気配に気づいていなかったらしく、ひどくビックリしている。どんだけ考え込んでんだよ、と圭吾は心の中でツッコんだ。
「……驚かすなって」
「あ、ごめんね。しんどそうなオーラが出てたから、大丈夫かなって思って……あ、もしかして寝てただけ?」
菜緒は匠の顔を覗き込みながら問い掛ける。菜緒にマジマジと顔を見られてる事に加えて昼休みの話があった分、匠は妙に意識をしてしまい心臓の鼓動が速くなっていくのを感じていた。
「……いや、違う、大丈夫。しんどくもねえし、寝てもいないから」
匠は咳払いをして誤魔化しながら答える。菜緒は「なら良かった」と言って、特に気にすることなく視線を匠から別の場所に移した。
――俺の方がドキドキさせられてどうすんだよ。
菜緒に心を動かされっぱなしの匠は自分がなんだか情けなくなった。
次の授業は特別授業で進路についての話だった。進学や就職についての流れや心構えを担任の向井が話した後は進路に関するDVDを見せられた。そして、最後に進路希望調査票が配られた。
「提出は今月末な」
向井がそう言うとクラスの一部からブーイングが出る。
「先生、文化祭前にテンション上がらないですよ」
「いや、テンションで書くもんじゃないから」
「せっかく楽しい気分なのに、将来のこと考えるなんて気が重いよ」
「まあ、仕方ないだろ。楽しいことも大事だけど、将来のことも少しずつ真面目に考えていかないと。あっという間に高校生活終わるからな」
匠はそのやりとりには入らなかったが、面倒くせえな、と内心思った。そして、何気なく隣の菜緒に目を向けると、菜緒は配られた紙をじっと見つめながら微かにため息をついている。匠はそんな菜緒の様子に何となく気になってしまった。
午後の授業が終わり、クラスは1日の疲れから解放されて一気に賑やかになった。部活やバイト、塾など、それぞれが次の予定の場所に向かって早々と教室を去っていった。今教室にいるのは、数人の生徒たちと菜緒と匠だけだ。
進路希望調査票を配られてから心なしが元気のない菜緒のことを匠は気にしていた。直接的に聞くのは少し気が引けたが、なんとなく遠回しに探るようなことをするのも嫌だったので、率直に聞いてみることにした。
「なんか悩んでんの?進路のこと」
匠から突然尋ねられ菜緒は返事をためらった。そんな様子を見て、さすがにデリカシーなかったか、と匠はちょっぴり後悔した。すると、菜緒は恥ずかしそうに笑った。
「そんなに顔に出てた?」
意外と素直に反応してくれた菜緒に匠はホッとする。
「うん、分かりやすくため息ついてたし」
匠が笑うと、菜緒は「そっか」と言いながら再び笑った。そして、ふと真顔に戻り、話し出す。
「分からないんだよね。何やりたいのか」
菜緒からそんな答えが返ってくるのは匠にとって予想外だった。いつも真面目に授業を受けて、放課後残って勉強したり、休みの日には図書館に行ったりしているので、てっきり何か目標があってそうしているのだと思っていたから。
「これといってプロになれるようなズバ抜けて得意なこともないし、仕事にしたいほど好きなこともないし」
そう話す菜緒は少し悲しそうだった。匠はどう声を掛けていいか分からなかったが、自分の中で菜緒の才能ってこれなんじゃないかと思うことがふと浮かんだ。
「英語は?」
「え?あ、まあ英語は大好きだし、一応得意な方だけど……そんな人いっぱいいるし、それを仕事で活かせるかっていったらまた別の話だし」
そう言って菜緒は謙遜した。今まで英語を仕事にしようかと考えたことはあったが、どんな仕事がいいのかも分からないし英語ができる人なんて世の中に山ほどいる。そう思うと、なんだか自分の力に自信が持てず将来の夢としては考える気にはなれなかった。好きなことを仕事にして現実を見せつけられるのが正直怖いのだ。
菜緒が改めてそんなことを考えていると、突然匠が呟いた。
「……好きだよ」
「え?」
「間宮さんの英語」
匠の言葉に菜緒は戸惑った。わたしの英語が好きって一体どういう意味だろう、と。
「確かにこのクラスにの中に他にもたくさん英語できるやついるけど、俺は間宮さんの英語が1番好き」
匠の言葉の真意がわからないことに加えて匠が自分を褒めてくれることに対して菜緒はまだ戸惑っている。そんな菜緒をチラリと見ながら匠は話を続けた。
「俺、英語苦手だし、細かいことわかんねえけど、間宮さんの英語は発音キレイだなってずっと思ってた」
「あ、ありがとう……」
「あと、訳し方もすげー分かりやすいなって……あとさ、時々荒牧さんに教えてるの聞こえてくるんだけど、教え方も上手いじゃん」
次々と匠から褒められて菜緒は反応に困っていた。そんな菜緒をよそに匠は話を続ける。
「世の中にはさ、間宮さんよりも英語ができるやつなんか山ほどいるだろうけど、それは関係なくね?間宮さんが持ってる力で出来ること探せばいいじゃん。他にもできるやついるから無理なんて言ってたらキリがねえよ。そんなこと言い出したらさ、みんな何もできねえじゃん」
匠が言うことはもっともだった。そして、匠が真剣に話してくれていることが菜緒にとっては驚きでもあり、嬉しいことだった。
「あと、仕事で活かせるかどうかは間宮さんの努力次第だろ。そこは甘えんなっつー話だよ」
「……そうだね。吉川くんの言う通りだね」
あまりにも素直に菜緒が自分の意見を受け入れてくれたので、匠は急にテレくさくなってしまった。
「なんて偉そうなこと言ったけど、俺も何も決めてないからな」
「えー、そうなの?すごく説得力ある感じで言うから、バッチリ決まってるんだと思ったよ」
そう言いながら菜緒は楽しそうに笑っていた。
「……でも、ありがとね。すごくハッとさせられたし、吉川くんにあんなに褒めてもらえるなんて嬉しかった」
菜緒は匠の方をじっと見て優しく微笑んだ。匠は胸の鼓動が速くなるのを感じて、今すぐに菜緒を抱きしめたい衝動に駆られ、思わず菜緒の方に手を伸ばした。
「でも、好きなのはあくまで間宮さんの英語だけだから」
そう言って匠は菜緒の頭にポンと手を触れた。思わず出た自分の行動を誤魔化すように、言う必要のない憎まれ口を叩いてしまったことを匠はすぐに後悔した。一体俺は何をしてるんだ……と。
「わざわざそんな言い方しなくても良くない?」
菜緒は笑いながら反論する。
「まあ、間宮さんのことは嫌いじゃない、くらいにまではなったよ」
俺バカだなと思いつつも、匠はさらに憎まれ口を加えてしまう。菜緒は「それなら良かった」と笑ってる。
「……間宮さんは?俺のことどう思ってる?」
匠の問いに菜緒は少し考え込みながら、いたずらっぽく笑って答える。
「まあまあ好き、かな」
思っていたより嬉しい答えが返ってきて匠はどう反応して良いか分からずに「へえー」としか言えなかった。自分の本当の気持ちを隠すので精一杯だった。
「え?それだけ?嫌いからまあまあ好きになったんだよ?もうちょっと喜ぶとかさ」
菜緒は匠のリアクションに不満そうだったが、匠にはもうそれ以上の返しはできなかった。頭の中も心の中も完全にキャパを超えてしまっていた。どうしても菜緒のペースに飲まれてしまう。
――結局、俺ばっかり心動かされてるじゃねえかよ……
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