「濱崎先輩のことが好きです……付き合ってもらえませんか?」
中1の冬休み前のある日の放課後。菜緒は1学年先輩の濱崎晃次《はまさきこうじ》に告白をした。菜緒と晃次は同じ図書委員会で、一緒に仕事をする中で菜緒はだんだんと晃次の優しさに惹かれて恋をした。
それまで漠然と「この男の子好きだな」と思うことはあったものの、きちんとした恋愛感情を持って好きになったのは晃次が初めてだった。こうして告白をすること自体も初めてだ。
菜緒はまっすぐに晃次を見て気持ちを伝えた。気持ちを聞いた晃次は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になり菜緒を見つめ返す。
「いいよ。付き合おう」
玉砕覚悟だった菜緒は返事を聞いた瞬間、一気に全身の力が抜けていくのを感じた。その場に座り込みそうになった菜緒を晃次は支え、そっと抱きしめた。予想外のことに菜緒はドキドキが止まらなかった。
「これからよろしくね、菜緒ちゃん」
晃次の胸の中で聞こえた優しい声に対して、菜緒は静かに「はい」と頷いた。
菜緒と晃次は順調にデートを重ねていった。晃次はいつも優しくてデートする度に菜緒は晃次のことをますます好きになっていった。晃次のために何かしたい、もっと晃次に好きになってもらいたい……そんな思いから出来る限りの努力をした。
晃次に会いたいと言われたらすぐに飛んでいったし、晃次が好みそうな服装や髪型にもしたし、晃次の好きなものは自分も好きになったし、晃次のために時間をかけて手作りのものをプレゼントもした。そして、ファーストキスも捧げた。
菜緒は幸せな気持ちでいっぱいだった。こんな日がずっと続くと思っていた。あの日までは――。
その日はホワイトデーだった。ちょうど日曜日だったので、「バレンタインのお返しがしたい」という晃次の希望で2人はデートすることになった。買い物に行った後にランチをして映画を見て公園を散歩した。夕暮れが近づいてくると、晃次は「帰る前に見せたいものがある」と言って公園の近くにある小高い丘に菜緒を案内した。
丘を登るとそこにはベンチがあり、街の風景を見渡すことができた。そして、街を照らす美しい夕焼けも見ることができた。
「わあ、キレイ……」
あまりの美しさに菜緒は息を呑んだ。
「こんなところあるなんて知らなかった……」
「でしょ?穴場なんだよ。ここ。ほとんど人も来ないしね」
そう言いながら晃次は菜緒の肩を抱き寄せた。
「この風景がバレンタインのお返しのプレゼント……ちょっとキザかな?」
テレくさそうに笑う晃次に対して菜緒は首を横に振った。
「すごく嬉しい……」
「あと、もう一つ……」
晃次は菜緒に口付けをした。菜緒はそれを受け入れてすぐに異変に気がついた。ファーストキスをしてから何度か唇を重ねたことがあったが、その日のキスは明らかに違った。そろそろ、というタイミングになっても晃次は離れようとしないのだ。菜緒の頭に手を回し、菜緒からも離れられないようにした。さらに、舌を絡めてきたのだ。
菜緒は混乱したまま受け入れたが段々と嫌悪感を感じてした。それがどういうものかは分かっていて、2人の関係をさらに深めるために必要なものなんだと頭で理解をしようとしたが無理だった。そして、晃次の手が自分の胸の膨らみに触れた時、菜緒は限界を迎えた。
「やめて!」
菜緒は何とか唇を離し、晃次の身体を自分から引き離した。
「痛っ!」
思ったより力が入ってしまったらしく、晃次は顔を歪めた。菜緒が謝ろうとした時、晃次は今まで見たことのないような冷たい顔をしてこちらを見た。その表情を見て菜緒は何も言えなくなり固まってしまった。
「何なの?」
低く冷たいトーンで晃次は菜緒に言葉を投げつけた。
「……ごめんなさい。急だったし、それにこんなところで……」
「は?俺からのプレゼントだよ?好きな人からのプレゼントを受け取らないで目の前で捨てんの?」
今までの晃次からは想像つかない冷たい声と言葉に菜緒は絶句した。
「なんだよ……俺のこと好きだって言うから付き合ってやったのに……」
「え?それは先輩も……」
「は?俺いつ好きだって言った?」
晃次の言葉に菜緒は再び何も言えなくなってしまった。確かにそうだ、思い返せば晃次からの「好きだ」という言葉を言われたことはない。告白した時の返事も「いいよ。付き合おう」だけだった。テレくさくてなかなか言えない人もいるのだろうが、晃次はそうじゃなくて、そもそも自分のことを好きではなかった、ということに菜緒は初めて気がついた。
「あーあ、中2のうちに初体験済ませたかったのにな……あいつらから遅れ取っちゃうじゃん」
また信じられない言葉が晃次から発せられる。菜緒はあまりのショックで泣く気力すらなかった。何か一言言ってやろうと思うのだが、言葉が出てこない。悔しいが、ここにずっといるのも嫌だし、黙って帰るしかないと思い、菜緒がベンチから立ち上がった時だった。
「ハックション!」
後ろの茂みから大きなくしゃみがした。晃次は軽く舌打ちをしてチラリとそちらの方向を見た。菜緒もそちらを見ると数人の人影が見えた。
「もういいよ、お前らも出てこいよ」
晃次はため息をつきながら茂みに向かって声を掛けた。するとそこから晃次の友人が3人出てきた。菜緒も顔見知りで何回か話したことがある。付き合い始めてすぐに、晃次が自分を彼女だと紹介してくれた友人たちだった。戸惑う菜緒に友人たちが申し訳なさそうに次々と口を開く。
「ごめんね、菜緒ちゃん」
「晃次が来いって言うからさ」
「覗き見なんて趣味悪いの分かってるよ、でもさ、賭けの証拠になるからさ」
3人目の友人がそう言うと、晃次と他の2人が「バカ……」と呟いて顔をしかめた。
「……賭け?」
菜緒は自分の中で何かがキレるのを感じた。そして、説明を聞くまでもなく大体のことを理解した。晃次の友人たちが慌ててフォローしようとした時、菜緒はおもむろに財布からありったけのお金を出して晃次に投げつけた。
「何すんだよ!」
急なことに晃次は声を荒げて菜緒を睨みつけた。しかし、菜緒はひるまない。
「わたしの負けです」
「は?」
「あなたはとても優しくて素敵な人だと思って告白して付き合いました。でも、実際はとんでもないクズで大馬鹿野郎でした。なので、最初に大きな勘違いをしてあなたという人に賭けたわたしの負けです」
予想外の菜緒の反応と雰囲気に晃次は何も言い返せず地面に落ちたお金を見ている。菜緒が投げたお金は2000円弱だった。
「少ないですか?……わたしには多いくらいです。あなたにはそんな価値もありませんから。でも負けは負けですから」
「……なっ」
晃次が言い返すのを待たずに菜緒はベンチを離れ、友人たちに頭を下げた。
「ありがとうございました。この人が本当のクズだって確信を持てることを言ってくれて。……でも、みなさんもなかなかいい勝負だと思います」
菜緒は満面の笑みでそう言い残してその場を去って行った。晃次とその友人たちと会話をしたのは、その日が最後だった。
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