菜緒たち4人は出店を回りつつ祭りを楽しんでいた。花火が始まるまでは、あと30分くらい時間がある。菜緒とかおりは並んで歩いていて、その少し前を淳人と正紀が歩いている。
「ねえ、菜緒。蓮見くんと2人きりで回りなよ」
かおりは声を潜めて提案する。タイミングを見て正紀とかおりを2人きりにする作戦を実行しようとしていたところで、思わぬことを言われて菜緒は返事に困ってしまった。
「え、でも……」
「まあ、わたしに任せて」
菜緒が恥ずかしがって遠慮しているだけだと思ったかおりは、菜緒の返事を待たずに動き出してしまった。
「ちょっと、木村、付き合って」
「え、ちょっ、何だよ!」
前を歩いていた正紀の腕を半ば強引に掴んで、来た道を戻って行ってしまった。あまりに速いかおりの行動に菜緒と淳人は何も言えないまま立ち尽くしている。そして、去っていく2人の姿をしばらく見た後、顔を見合わせた。
「作戦、実行するまでもなかったのかな……?」
淳人は苦笑いした。かおりの行動の理由を知っている菜緒は気まずそうに笑うことしかできなかった。
「とりあえず歩く?ここに立っててもしょうがないし」
淳人の言葉に頷いて、菜緒は淳人の隣に並んで歩き始めた。急に2人きりになって、菜緒は一気に緊張が増すのを感じたが、努めて冷静さを保つようにして淳人に話しかける。
「何か気になる出店ある?」
「そうだな、食べたいものは食べたしな……」
2人はキョロキョロと出店を見ながら歩いている。すると、威勢のいい声で話しかけられた。
「そこの紺色の浴衣の兄ちゃんと黄色の浴衣の姉ちゃん!」
菜緒と淳人は辺りを見回した。どう考えても自分たちのことを指している。そして、声の方向を見た。少しガタイのいい男性がこちらを見てニコニコしていた。看板を見ると”射的”の文字が書かれている。
「どう?挑戦してみない?」
2人がどうしようかと顔を見合わせていると、その男性は大声で色々と声を掛けて手招きをしながら2人を呼ぶ。周りに迷惑になりそうな感じもしたので、菜緒と淳人はとりあえずそのお店の方に近づいた。すると、男性は淳人の肩をポンと叩く。
「兄ちゃん、彼女にいいとこ見せちゃいなよ」
「え、いや、彼女じゃ……」
「じゃあ、1回だけ」
菜緒が“彼女”という言葉を否定しようとしたが、それより先に淳人が返事をしていた。淳人がお金を渡すと、男性は「毎度」といって嬉しそうに笑った。
「何か気になるものとか欲しいものある?」
淳人に尋ねられて菜緒は戸惑いながらも並んでいる商品を眺めた。並んでいるもののほとんどは子供用のおもちゃか安っぽい雑貨ばかりだったが、1つだけ菜緒の目を引くものがあった。今時珍しい懐中時計だ。幼いころ、祖父母の家にあった懐中時計を欲しいとねだったことがある。ただ、それは祖母が祖父からもらった初めての贈り物だったらしく断られてしまった。今思えば、そんな大切なものくれなくて当然なのだが、当時の自分には理解ができずに相当へそを曲げてしまったらしい。
「あれ……」
「あの懐中時計?」
菜緒の指さしたものを淳人は確認する。それは1番難しい位置にあり、的も他と比べて小さかった。しかも、実はこの射的の出店は毎年出展されているのだが、「ぼったくり」とか「詐欺」という悪評がある。値段が高い上に、商品が倒れにくいようにできているのだ。だから、店主である男性は小さい子供や学生、年配の人など引っかかりやすそうな人を選んで声を掛けている。その評判を知っている人たちは菜緒と淳人を同情的な目で見ながら通り過ぎていく。興味本位で少し立ち止まっている人たちもいた。
菜緒もその評判はなんとなく聞いたことがあった。おまけに周りの人たちの視線も気になって、なんだか不安な気持ちになっていた。
「オッケー」
しかし、淳人は全く不安な様子もなく自信ありげに返事をして、鉄砲とコルク玉を選ぶ。店主はニヤニヤしながらその様子を眺めていた。実は、この鉄砲とコルク玉にも細工がされているのではないかと専らの噂だ。
「やってもいいですか?」
準備が整った淳人は店主に尋ねた。店主は大きく頷き、半分バカにしたような感じで「頑張って」と声を掛ける。その声を聞いて、淳人はゆっくりと鉄砲を構えて狙いを定め、迷うことなレバーを引いた。コルク玉はまっすぐ懐中時計の的に当たり、カタンと音を立てて倒れた。その瞬間、周りに一瞬の静寂が流れたが、すぐに現物していた人たちから拍手が起こる。店主は唖然としたままだ。
「あの、当たったんですけど……」
淳人は淡々と倒れた的を指しながら店主に話し掛けた。その声に店主はハッとして懐中時計を取り淳人に渡す。
「いやー、参った。兄ちゃんすげえな。姉ちゃん、いい彼氏持って幸せだな」
店主は笑いながら淳人と菜緒に声を掛けた。菜緒は淳人の射的をする姿に見惚れていたのと腕前に驚いたのとで
、まだ唖然としていた。“彼氏”という言葉を否定することさえ忘れてしまっていた。周りの好奇の目線を気にすることなくそこから立ち去る淳人にただ付いていくことしかできなかった。
「はい、これ。どうぞ」
射的の出店から少し離れたところで淳人は菜緒に懐中時計を渡した。
「え?いいの?」
「もちろん、間宮さんのために当てたんだから」
「ありがとう……でも、蓮見くんは欲しいものなかったの?」
「あのラインナップで俺が欲しいものあったと思う?」
菜緒の問いに淳人は冗談っぽく毒づいた返事をする。「確かに」と菜緒は笑った。
「わたしもこの懐中時計以外、何もなかったもん」
「その時計があって良かったよ。一番難しそうなやつで焦ったけどね」
淳人は困ったように笑っていた。
「でも、すごくすんなり当てたよね。射的得意なの?」
「全然。初めてやった」
淳人の答えに菜緒は心の底から驚いた。
「とりあえず、キャッチャーのミットに投げるイメージで狙ってみた」
「それでいけるもんなの?」
「なんかいけたね」
淡々と答える淳人がおかしくて、菜緒は思わず吹き出してしまう。淳人はなぜ笑われたのか分からず不思議そうに菜緒を見ていた。そんな淳人に対して菜緒は素直な笑顔を向ける。
「とにかくカッコよかったよ。彼女と間違えてもらえて嬉しかった」
いつもなら恥ずかしくなりそうなことも、なぜだかテレずに言えてしまった。ちょうど周りが暗めの場所で表情が見えないからだろうか、それともテンションが上がっているからだろうか。とにかく、今はそれを伝えたかった。
一方の淳人は顔を真っ赤にして何と返事をしたらいいのか分からず戸惑っていた。少し間を開けて「俺も……」と言いかけたとき、ちょうど花火の開始が近づいていることを知らせるアナウンスでその声はかき消されてしまった。
「花火見えるところ行こうか」
なんとなくタイミングを逸してしまい、淳人は伝えたかったことを伝えるのをやめて、そう声を掛けるのが精いっぱいだった。
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