「あー疲れた!」
正紀は大きく伸びをした。隣のかおりも一緒になって伸びをしている。付き合うようになってから、2人の行動がよくシンクロするようになった気がする。そんな風に思いながら、淳人は正紀とかおりを見て笑っていた。ふと、かおりが視線を前に向けると意外な組み合わせの2人がいるのが見えた。
「あれ?菜緒……と吉川?」
かおりの言葉に淳人と正紀もその方向に視線を向けた。菜緒と匠が並んで歩きながら、何やら楽しそうに話している。
「吉川って菜緒と一悶着あったやつじゃなかった?」
「そうなんだけど、最近は別にそんなこともなくて……席も隣になって普通に話してるし……」
そこまで言って、かおりは淳人の方をチラリと見た。表情は変わらないが、明らかに不機嫌な雰囲気を醸し出しているのが分かった。正紀はそんな様子には全く気づいていない。かおりは余計なお世話かもしれないと思いつつも、意を決して行動に出る。
「菜緒ー!」
突然かおりが大声で菜緒を呼んだので淳人と正紀は驚いている。そんな2人にお構いなしでかおりは菜緒の方に走っていった。呼ばれた菜緒は驚きながらも、かおりを気づいて笑顔を見せる。匠は心なしか残念そうな顔をしていた。かおりは息を切らして菜緒の元にやってきた。
「今、帰り?遅かったんだね」
「うん、ちょっと吉川くんに絡まれてて」
「絡んでねえし」
菜緒は匠をからかうように、かおりの問いに答えた。匠は笑いながらそれに返している。かおりは今までと違う2人の雰囲気の違いに困惑していた。わだかまりが解けているのは知っていたが、こんなにも距離が近くなっていなんて……。
「マサくんは一緒じゃ……」
菜緒はそう言いかけて、かおりの後ろから歩いてくる正紀と、その隣にいる淳人に気がついた。正紀はいつも通りニコニコしながら手を振ってくれているが、なんだか淳人の様子が違うような気がした。怒っているような不貞腐れているような、そんな感じだ。
「お疲れ様」
菜緒が正紀と淳人にそう声を掛けると2人はそれぞれ「お疲れ」と返してくれたが、やはり淳人はなんだか素っ気ない気がする。クールな感じでいつも通りといえばいつも通りなのだが、どこかよそよそしい、そんな雰囲気だった。
正紀だけはピンと来てないようだが、かおりと匠も淳人の雰囲気の違いを感じ取っていた。そして、淳人自身も自分の感情の中に複雑なものが渦巻いていて、それが滲み出てしまっていることを感じている。
5人の間に微妙な空気が流れていた。どう考えても場違いなのは自分だと感じた匠は適当に理由を作ってその場を離れようと思ったが、先に口を開いたのは淳人だった。
「あ、ごめん。俺、ちょっと急いで帰らないといけないんだった……また明日な」
そう言って手を振り、淳人は駆け足でその場を去ってしまった。残った4人は急に帰ってしまった淳人の後ろ姿をただただ見送っていた。
「なんだ?あいつ、急に」
正紀は不思議そうに首を傾げた。淳人が帰ってしまった理由を察しているかおりは何だかいたたまれない気持ちになって、思わず正紀の手を掴んだ。
「正紀!忘れ物しちゃったから付き合って!」
そう言って正紀の返事を待たずに、正紀の手を引いて来た道を帰っていった。戻っていく2人を見ながら菜緒と匠はポカンとその場に立ち尽くしていた。とりあえず匠は単純な疑問をぶつけた。
「あの2人は付き合ってんの?」
「あ、うん、そう」
「そっか……宮下さんの彼氏は間宮さんの幼なじみだっけ?」
「うん、そう」
菜緒は匠の質問に対して心あらずという感じだった。淳人の様子が変だったことが気になって仕方ないのだ。そんな菜緒の気持ちを匠は感じ取っっていた。
「蓮見が気になる?」
「え?あ、うん。なんかいつもと違う感じがしたから」
匠もそれは感じていたが、菜緒と違ってその理由を分かっている。菜緒が自分と一緒にいた。きっとそれが理由だ。匠はそう思っていた。ただ、菜緒にそれを言うのもどうかと思うので適当に誤魔化すことにした。
「まあ、そういう日もあるんじゃん?いつも同じ感じでいられない時もあるだろ」
菜緒の心配を和らげるように匠は言った。菜緒の不安を取り除いてあげたいという気持ちもあったが、自分の前にいる時くらいは他の男、特に蓮見のことを考えてほしくないという勝手な気持ちの方が強かった。
「そうだね。ちょっと様子が違ったからって心配し過ぎたらかえって迷惑だよね」
すんなり匠の言葉を受け入れて笑顔を見せる菜緒に対して、匠の心は少し痛んだ。
「吉川くん、今日は色々ありがとう」
菜緒から突然お礼を言われて匠は驚く。
「急に何だよ」
「今のこともそうだし、進路のこととか……何か気づかされることいっぱいあった」
「いや、別に大したことじゃねえよ……全部何かの受け売りだし」
テレくさそうにしている匠を見て菜緒は笑った。
「それでも構わないよ。そのおかげでわたしの心は軽くなったし」
「なら、良かったよ」
匠は恥ずかしさを隠すために、わざとぶっきらぼうに返事をした。
「悔しいけど何か借りができちゃった感じ」
菜緒のその言葉を聞いて、もしかしたら菜緒の心を動かせるかもしれない、そんな邪な考えがふと浮かんだ。
「じゃあさ、俺のお願い1つ聞いてもらっていい?」
「え?何?変なことじゃないよね?」
警戒している菜緒に匠は「たぶん」と答える。
「たぶんって怖いよ!……試しに言ってみて」
疑うような目をしながら菜緒は尋ねた。
「菜緒って呼んでいい?」
「え?そんなんでいいの?」
匠の願いを聞いて、菜緒は拍子抜けしたような顔をしている。匠も菜緒のリアクションが意外で戸惑ってしまった。
「……うん。それでいい。っつーか嫌じゃないの?」
「うん、別に。マサくんとか中学の同級生とかには菜緒って呼ばれてたし。むしろ間宮さんの方が違和感あるくらい」
匠はもう少し菜緒が恥ずかしがったりするかと思って期待していたので、何だかガッカリしてしまった。菜緒の心を動かす作戦はまた失敗に終わるかと思うと、さすがに悔しくなってきた。ちょっと思い切った行動に出てみようと匠はふと立ち止まった。菜緒は不思議そうに匠の方を見ている。
「どうし……」
菜緒がそう言いかけた時、匠は菜緒の目の前に立ち顔を近づけた。そして、いつもより少し低い優しい声で耳元で囁くようにその名を呼んだ。
「菜緒」
それだけ言って、匠は顔を離して先を歩き始めた。菜緒は驚きのあまり固まってしまった。名前を呼ばれた左耳が熱くなっていくのを感じ、思わず手で押さえる。不覚にもドキドキしてしまった。
「菜緒!」
匠は今度は大きな声で立ち止まったままの菜緒を呼んだ。菜緒はドキドキしたことがバレないように深呼吸して気持ちを落ち着けて、平静を装って振り向いた。
「はいはーい」
匠はそんな菜緒の様子が意地らしくて笑ってしまった。そして、心の中で密かにガッツポーズをした。
――顔赤くなってるの隠せてねえよ。
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