「菜緒ー!」
菜緒が昇降口を出ようとした時、後ろから大きな声で呼ばれた。振り向くと大きく手を振るかおりの姿が見えた。そして、その隣には正紀がいる。野球部の練習が終わったところらしい。他の部員たちも歩いているのが見えたが、淳人の姿はなかった。
「今日も図書室行ってたの?」
「うん、そう」
「マジかよ、よく3時間近くも勉強してられんな。やっぱスゲーな」
正紀は時計の針を確認しながら感心した。そう言われて菜緒は正紀の肩をポンポンと叩く。
「わたしからすると、3時間近くも運動できる方がスゴイと思うよ」
「3時間以上やろうとしてる人がまだグラウンドにいるけどね」
グラウンドの方を見ながらかおりはニヤニヤした。それが誰を意味しているのか、菜緒はすぐに分かった。
「行って来れば?他にも見学してるやついるし」
正紀にそう促されて菜緒は行きたい気持ちもあったが、今まで見学に行ってない自分が急に行くのはどうなのかという思いもあり、返事にためらう。
「蓮見目当ての子いっぱいいるから、ボヤボヤしてると取られちゃうよ?」
かおりの言葉に菜緒はハッとする。そして、嫌だ、と素直に思った。だが、あからさまに張り切って行くのは恥ずかしかったので、はやる気持ちを抑えて正紀とかおりの方を見た。
「……ちょっとだけ見てくる」
「いってらっしゃい」
「じゃあな」
どうにか焦らずに歩こうとするもついつい早歩きになってる菜緒が意地らしくて、かおりと正紀は微笑みながら見送った。
「あいつ、だいぶ正直に気持ち見せるようになってきたな……まだ素直じゃないけど」
「一歩一歩進んでるんだよ」
温かいトーンでかおりがそう言うと、正紀も納得したように「そうだな」と同意した。
菜緒がグラウンドに着くと、淳人以外にも何人かの部員たちが残って自主練をしていた。見学している生徒たちも結構いる。それぞれお目当ての部員を追いかけている。人気があるのは3年生部員だが、淳人目当ての女子も多くいた。
菜緒は控えめに後ろの方を歩きつつ、淳人の練習が見える場所へ移動した。淳人のピッチングフォームを見るのは久しぶりだった。やっぱりキレイだなと菜緒は見惚れてしまった。しっかりと恋愛感情を自覚した今だと、よりいっそう淳人が魅力的に感じられる。少しだけ見て帰ろうと思っていたのだが、結局最後まで練習を見てしまった。時間は7時を過ぎていた。
「あ、まずい」
勉強していくので遅くなるとは言ってあるものの、さすがに心配するだろうと思い、急いで母に電話をした。母への電話が終わり帰ろうとした時、誰かが近づいてくるのを感じた。
「間宮さん?」
片付け途中の淳人が驚いた顔をしてこっちを見ていた。振り向いた菜緒も淳人が近くにいることに驚いてしまった。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと練習を見に……」
気づかれないようにこっそり帰ろうと思ってたので、菜緒は何だか気まずくなった。辺りを見ると、他の生徒たちはいなくて見学スペースにいたのは菜緒だけだった。どうやら電話をしている間にみんな帰ったらしい。
「10分くらい待てる?」
「え?」
「もう暗いから送ってくよ。ちょっと待ってて」
淳人は菜緒の返事を聞く間も無く、急いでグラウンドに戻り片付けを再開した。
送ってもらうのは悪いと思いつつ、何も言わずにこのまま帰るわけにもいかないので、菜緒は言われた通り待つことにした。とりあえず、母には「蓮見くんに送ってもらう」というメッセージを送った。すると、あるキャラクターが「やるじゃーん」とニヤニヤした顔をしているスタンプが返ってきた。
夏祭りに送ってもらった時に菜緒の母と淳人は顔を合わせていて、母はたいそう淳人を気に入っていた。「あの子はいい子」「素敵なオーラが出てる」「絶対逃しちゃダメ」などと占い師まがいのことを散々言われた。
そして、10分くらい経ったころ、淳人が息を切らしながら菜緒の元に走ってきた。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、というより、ごめんね。わたしが勝手に見学来ただけなのに」
「いや、ビックリしたけど……最近間宮さんと話してなかったから話したいなって思ってたから丁度よかったよ」
淳人はテレくさそうに微笑んだ。淳人からの嬉しい言葉に菜緒は胸のあたりがキュンとするような気がした。
「だから、俺がこうしたくてしてることだから、気にしないで……あ、逆に迷惑じゃなかった?」
「そんな!とんでもない!ありがたいし……わたしも蓮見くんと話したいなって思ってたから……」
そう言って菜緒も微笑むと、淳人も嬉しそうに笑った。
しばらくは他愛もない会話をしながら歩いていたが、ふと会話が途切れたとき、淳人が少し聞きずらそうに尋ねてきた。
「席替え……大丈夫?」
「え?あ、もしかして吉川くんのこと?」
「そう」
「うん、大丈夫だよ。玲がわたしの後ろにいるし、それに前ほど仲悪くなくなったから」
笑顔で答えた菜緒の言葉に淳人は少し表情を曇らせた。仲が悪くないのはいいことだし、自分から大丈夫かと尋ねて大丈夫という返事が返ってきたのなら、笑顔で「良かった」と言うべきなのに、淳人は素直にそれができなかった。相手が匠だからなのか、それとも相手が誰でもそうなのか、と淳人はちょっぴり考え込んでしまっていた。そんな淳人を見て菜緒は不安げにしている。
「蓮見くん?」
「あ、ごめん。……良かったね」
先ほどの淳人の様子が気になりつつも菜緒は「うん」とだけ頷いた。
「それにしても吉川くん、何かあったのかな?」
菜緒から出る“吉川”という名前に淳人の胸はモヤッとした。ただ、さっきの自分の反応もあるし、いちいちこの気持ちを表に出すのは空気を悪くするだけだと思い、グッと気持ちを堪えた。
「実行委員のこと?」
「そうそう。球技会の時はあんな感じだったのに」
当時のことを思い出しながら菜緒は苦笑いをした。淳人も「確かに」と言って笑った。
「でも、結果的にあれのおかげで蓮見くんと一緒に実行委員できて仲良くなれたから、あの時の吉川くんには感謝しないといけないのかな」
菜緒が匠のことを話すと、何だか心の中がザワザワしていた淳人だが、菜緒のその言葉でそれが少し落ち着くような気がした。確かにあの時のことがなくて、菜緒と一緒に実行委員をしていなかったら、こうして菜緒と自然に会話を交わすこともなかったのかもしれない。
「結果的にはそうだね。あの時、俺が情けなくて間宮さんには迷惑かけちゃったけど……」
淳人が申し訳なさそうに言うと、菜緒は「もう」と呆れたように笑う。
「そのことは気にしないで。わたしがそうしたくてやったことなんだから」
「ありがとう」
淳人は改めて感謝をした。そして、少し言いづらそうに話し始める。
「もし……」
暗くてよく分からないが、多分淳人は顔を赤らめているのだろう。あえて菜緒と視線が合わないように少し遠くを見た。
「間宮さんが何か嫌な思いをすることがあったら、その時は俺がちゃんと守るから」
菜緒はその言葉を聞いた瞬間、顔が熱くなり鼓動が速くなるのを感じた。そこにどんな意味が込められているのか聞きたかったが、胸がいっぱいで言葉が全く出てこなかった。
「もちろん嫌なことなんてない方がいいんだけどさ……もしもね……」
淳人は恥ずかしさを隠すようにそう付け加えたが、視線は相変わらず遠くの方を見ていた。菜緒は「ありがとう」というのが精一杯だった。
その後しばらく沈黙が続いてから、また色々な話をしながら帰ったが、2人とも内容は全く覚えていなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!