時は遡って、淳人が中学1年生だった頃の秋の日のこと。南中学校野球部の部室。練習を終えた部員たちは帰り支度を始め次々と部室を出ていった。そんな中、淳人だけは練習で使用したボールやバットを磨き続けていた。
「蓮見、これ全部磨いとけよ」
「エース様は道具も大切にしないとな」
「お前らは手伝うなよ」
淳人の周りにいる他の部員たちを軽く睨みつけながら、さらに道具やシューズなどを淳人の周りに置いて、2年生部員のの矢田部涼太《やたべりょうた》とその友人である部員たちは笑いながら部室を後にした。
「蓮見、悪いな……」
「大丈夫か?
「大丈夫だよ。お前らは気にするなよ」
「……うん、でもさ……」
「俺が頼まれたんだから」
「早く帰らないと、先輩たちに疑われるかもしれないぞ」
心配そうに見つめる他の1年生部員たちに向かって、淳人はそう言いながら笑顔を見せる。始めの頃はキツかったが、嫌がらせが始まってからかれこれ2か月ほど経っており、気づけば当たり前の日常だと感じるようになっていた。周りに心配をかけないように笑うことも慣れっこだった。
涼太は2年生部員の中心であり、3年生が引退した後の南中野球部の次のエースピッチャーと言われていた。とは言っても才能がズバ抜けているというわけはなく、所属しているポジションがピッチャーの2年生部員の中で単に1番うまい……いや、マシだったというだけだ。
誰もがそれには気づいていたが、ヤンキー気質で力も強い涼太には誰も逆らえず煽てることしかできなかった。悲しいかな、2年生や1年生だけでなく、先輩である3年生たちまで涼太の機嫌を取るばかりだった。そのせいか、涼太は自分の力を過信し勘違いしていた。3年生が引退した後の次のエースは俺だ、と。
そんな涼太のプライドをズタズタにする出来事が起こったのは、3年生が引退した後の初めてのミーティングでのこと。その日は新しい背番号の発表とともにユニフォームが配られることになっていた。
「背番号1……」
顧問の伊野《いの》がそう告げたとき、そこにいる誰もが涼太の名前が呼ばれると思っていた。
「蓮見」
伊野から呼ばれた名は「蓮見」、つまり淳人のことだった。周りの部員たちはざわつき、呼ばれた本人である淳人は唖然として戸惑っていた。そして、涼太は絶句していた。
「おい、蓮見。早く取りに来い」
淳人から何の反応もないことに伊野は少し苛立った様子を見せる。
「あ、はい……」
慌てて淳人は立ち上がり伊野のもとへ行く。すると、淳人が伊野からユニフォームを受け取ろうとした瞬間、涼太が立ち上がり叫ぶ。
「先生、何でだよ!」
「……何がだ?」
冷たい視線を浴びせながら伊野は返事をした。淳人は気まずさを感じつつ、そっと自分の場所に戻る。
「何で蓮見がエースナンバーなんですか!俺でしょ、次のエースは!」
「……それを決めるのは顧問の俺だ」
涼太に向けてそれだけ言い放ち、伊野は淡々と次の背番号を発表し続ける。涼太は伊野、そして淳人を睨みつけながら悔しそうに座った。結局、涼太に与えられたのは第2エースがつける背番号10だった。
その日からだった。凉太とその仲間である部員たちから淳人への嫌がらせが始まったのは。
部活終わりに道具などを全て磨かせるのは日常茶飯事で、試合で使う予定のグローブやシューズを隠したり壊したり、ユニフォームに落書きをしたり……あげればキリがない。ただ、淳人はそれらの数々に決して屈しなかった。押し付けられることを笑顔で全て引き受けてきっちりこなし、試合でも結果を出し続けた。
そういったことも気に食わなかったのか、涼太は淳人への嫌がらせをやめようとしなかった。周りの部員たちも心を痛めていたが、涼太が怖いのと淳人が気に留めていない様子だったので、何も言えずにいた。
顧問の伊野も決して気づいていないわけではなかった。ただ生徒たちや当の本人で淳人が何も言ってこないことを良いことに見で見ぬふりをした。淳人をエースにしたことで野球部の成績が良くなり自分の評価も上がっている中で、部活でイジメがあるなんてマイナスで厄介なことがあると学校に知れたら自分の評価はダダ下がりだ。それだけは絶対に避けたかった。
周りが皆見てむぬふりをする中、淳人の心を支えていたのは、何より野球が好きなのと、図書館で出会った名も知らない少女からの言葉だった。
『夢が叶うの楽しみだね』
何気ない言葉だったが、淳人の心にはずっと残っていた。明るくキレイな笑顔とともに。何とか乗り越えられる、淳人はそう信じていた。だが、心が限界を迎える日は少しずつ近づいていたのだった。
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