9月末のある日の午後。その日は午後の時間全てを使ってクラス全体で文化祭の準備を行うことになっていた。1年A組はカフェを開くことになっている。作業を始める前に担任の向井と数人の男子がダンボール箱を抱えて教室に戻ってきた。カフェ用の制服が届いたのだ。
「とりあえず試着してみるか?サイズ合わないやつは注文し直さないといけないからな」
向井の呼び掛けで、男子は廊下、女子は教室で、それぞれ着替えをした。女子の着替えが終わり、向井と男子たちは教室に戻ってきた。それぞれ仲の良いもの同士で感想を言い合っている。
匠は菜緒のところに行こうとしたが、沙苗、葉月、加恋に捕まってしまった。そこに圭吾と佑斗も加わり、結局はいつものメンバーで感想を言い合うことになってしまった。チラリと横目で菜緒を見ることしかできなかった。
一方の淳人は賑やかなクラスメイトをよそに、慣れないウエイターの衣装に戸惑いながら一歩引いてクラスメイトたちを眺めていた。ただ、自然と目線は菜緒の方に向いてしまう。すると、菜緒がこちらを見たのでバッチリ目が合ってしまった。
淳人はどうするのがいいのか分からず、とりあえず目立たないように親指をグッと上げた。自分らしからぬ行動のような気がして淳人は恥ずかしくなったが、自然とそうしてしまった。菜緒は一瞬ビックリした顔をしたが、すぐに笑顔になり、これまた目立たないようにOKマークを作った。淳人はそんな菜緒の反応にホッとすると同時に嬉しくなり、すぐに笑顔を返した。
サイズ確認も無事に終わり、生徒たちは作業に取り掛かった。担当する作業はくじ引きで割り振られている。菜緒はポスターと看板作りの係で、葉月、佑斗、圭吾と同じグループだった。菜緒はこのグループに決まった時、ちょっとやりづらいな、と正直思った。この3人と仲の良い匠とはわだかまりなく話せるようになったものの、根本的にタイプやキャラが違うので、上手くやれるか不安だった。
「間宮さん、やりづらいよね」
菜緒の不安を読み取ったかのように圭吾が話し掛ける。
「え!あ……うん、かなり……」
咄嗟の問いかけにに菜緒は誤魔化すことができずに、素直な気持ちを声に出してしまった。圭吾たちのリアクションに間があったので、菜緒は心の中で、やってしまった、と思った。謝ろうとした瞬間、3人は一斉に笑い出す。
「間宮さん、ウケんだけど」
菜緒が正直1番絡みづらいかもしれないと思っていた葉月が笑顔で菜緒の肩を叩く。
「さすが、匠に刃向かっただけあるね」
葉月の言葉に菜緒は薄く笑うことしかできなかった。
「いや、ごめんね……失礼なこと言ったよね、わたし」
菜緒が申し訳なさそうにしていると、佑斗が「いいの、いいの」と言って謝る菜緒を手で制した。
「こいつの方がよっぽど失礼なこと言うから」
そう言って佑斗が親指を立てて葉月の方を指した。
「ひどくない?それ。なんで、わたしをディスるわけ?」
そこから佑斗と葉月のちょっとした言い合いが始まった。菜緒がどうしていいか分からず困っていると、圭吾が声を掛けてきた。
「気にしないで。これいつもの感じだから」
圭吾は呆れたように微笑む。圭吾とは今の席になってから何度か言葉を交わしたことがある。ワイルドな雰囲気なので、最初は近寄りがたいイメージがあったが話してみると物腰が柔らかい部分もあり気遣いもできる人だというのが分かった。周りのことをよく見て行動や発言をしているという印象だ。そりゃあモテるな、という感じの性格である。隣の席である男嫌いの玲にも上手く接しているな、と菜緒は常々感じていた。
「ほら、お前らその辺にしろよ。作業進まねーぞ」
圭吾の一声で葉月と佑斗の言い合いは止まり、ポスター作りの作業が始まった。4人でデザインのアイディアを出し合った後、下書きは4人の中で1番絵が得意だという葉月が担当することになった。
「葉月、お前すげーな」
佑斗は唖然として葉月の描いた下書きを見つめていた。菜緒と圭吾も驚いた顔をして頷いている。葉月はざっくりとしたデザインのアイディアをもとにしてスラスラと下書きを描き始めたのだが、これが予想以上のクオリティでまるでプロが描いたもののようだった。
「まあね。絵だけは得意だからね」
葉月は鉛筆を動かしながら得意気に笑った。
「卒業したらマジでプロのイラストレーターとかになれんじゃねえの?」
佑斗が感心しながら軽い気持ちでそう言うと、葉月は急に厳しい顔をする。
「あのね、そんなに甘くないのイラストの世界っていうのは。高校卒業しただけのひよっ子がこれだけで食べていけるほど甘くないの」
いつになく真面目な言葉を返してくる葉月に、いつも一緒にいる佑斗と圭吾は言葉を失っていた。こんな葉月の一面知らなかったからだ。菜緒はただただ葉月のイラストと言葉に感動していた。
「でもね、ずっと絵は描き続けるよ。ちゃんと地に足つけた職業見つけて、きちんと生活しながらね。そんな中で誰か1人でもわたしの絵を気に入ってくれる人が出てきたら嬉しいなっては思ってる」
葉月は楽しそうに語った。見たことない表情をする葉月に佑斗と圭吾は顔を見合わせて戸惑っている。菜緒はなんだか胸の奥がジーンとしていた。きちんと現実を見ながらも夢を大切にしている葉月がとてつもなく魅力的に見えたのだ。ハッキリとした将来の絵を描けていない菜緒にとっては、余計に葉月の言葉が響いたらしい。
「前橋さん、カッコいいね」
菜緒は葉月に笑いかけた。葉月は菜緒の言葉に対して満面の笑みで返した。
「ごめん、急に語り出しちゃって……こうやって絵のこと語る機会もなかったし、わたしの素晴らしい才能を披露する機会もなかったから嬉しくて」
恥ずかしさを隠すように葉月は冗談っぽく言った。菜緒はそんな葉月がものすごく可愛らしく見えた。この日までまともに接したことはなく、キツイ感じの印象だった葉月の意外な一面を見て、先入観だけで決めつけていた自分を菜緒は反省した。そして、またつい正直に気持ちを口に出してしまう。
「前橋さんって怖い人かと思ってたけど……なんかすごくかわいいね」
菜緒の言葉に葉月の手が止まる。聞いていた佑斗と圭吾も、えっ?という表情で菜緒を見た。菜緒は、しまった、と思った。誉め言葉だけにしておけばいいものを……。
「あ、わたしまた思った通りに……」
菜緒が謝ろうとすると、葉月は恥ずかしそうな顔をして笑った。
「もう、間宮さん、テレるじゃん!かわいいなんて!しかも、怖い人と思ってたとか正直すぎるって……本当ウケる」
葉月の寛大な反応に菜緒がホッとしてると、佑斗が小声で菜緒に話し掛ける。
「怖い人ってのは間違ってないけど、かわいいっていうのは訂正した方がいいよ」
「聞こえてるってば」
葉月は佑斗の背中を思いっきり叩いた。「痛ぇ!」と言いながら悠斗は背中を押さえて顔を机に伏せた。圭吾はその様子をやれやれといった感じで見ている。
「なんか、わたし、間宮さんのこと気に入ったわ」
「え?」
「ま、いきなり友達ってのもアレだからさ、とりあえず仲良くしようよ。何かの縁だと思って」
葉月はニッと笑って菜緒を見た。
「うん、よろしくね」
菜緒も同じように葉月に向かって笑いかけた。
「菜緒、上手くやってそうだね」
愛華は隣にいるかおりに話しかけると、かおりも「そうだね」と同意しながら、近くで作業している淳人にチラリと目を向けると、淳人も菜緒を見て心なしか嬉しそうに笑っているのが見えた。そして、この2人もどかしいなぁ、と心の中で思うのだった。
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