5月末のある日のホームルーム。クラスでは7月に行われる球技会の実行委員を決める話し合いが行われていた。だが、誰もやりたがらず話し合いが長引いていた。
「誰かいないかー?」
担任の向井《むかい》がクラス全体に呼びかける。だが、明らかに面倒だと分かる役割を積極的に引き受けようというものはいなかった。それぞれが、断る理由を探している。
「部活ないやつがやれよ。」
「部活やってないからって暇ってわけじゃないよね。」
「そうそう。バイトとか塾とかあるし。」
「部活やってるやつだけが忙しいわけじゃないんだよ。」
「先生、部活やってるとか関係ないですよね?」
ある生徒の問いに向井は「そうだな」と頷く。
「確かに部活やってると大変だけど、誰かが今言った通り部活なくてもバイトしてたり塾行ってたり、何かしらみんな予定があるからな。」
平等性を持たせるために言った向井の言葉だったが、それによって生徒たちは何とか自分はその役割を避けようと断る理由を口々に述べ始め、よりクラスは騒がしくなった。
「先生!俺から推薦してもいいですか?」
そんな中、吉川匠《よしかわたくみ》が突然立ち上がり手を挙げた。匠はクラスの中では不良とまではいかないが、少々ヤンチャなグループに属しているちょっぴりチャラい生徒だった。
「自薦か?」
匠の言葉に向井はからかうように尋ねる。
「いや、まさか。俺みたいなバカより真面目な人の方がいいでしょ?」
「まあな。」
ふざけながら発せられた匠の言葉に対する向井の返答にクラスはドッと沸いた。
「それはそれでひどいな、先生。」
「悪い悪い。で、誰がいいんだ?」
向井に尋ねられ、匠は少し意味ありげに微笑みながらその人物の名前を言った。
「蓮見くんがいいと思います。」
匠の言葉を聞いてクラスは少しざわつく。当の淳人は表情を変えず成り行きを見守っている。
「蓮見くん、真面目そうだし、野球部のエース候補だし、優等生って感じじゃないですか。それに……」
菜緒は匠の言葉を聞きながら何か嫌な感じがしていた。そう言っているのは本心じゃない気がしたからだ。
「あんまりクラスに馴染んでないでしょ?だからこういうのやった方がみんなと仲良くなれるかなと思って。」
その言葉にクラスが一瞬静まる。匠は少しバカにしたような表情でチラリと淳人を見た。菜緒には匠の表情は見えなかったが、声のトーンや話し方から匠が前向きな気持ちで淳人を推薦しているようには感じられなかった。一部の生徒たちも同じように感じたようで、何とも言えない気持ちになっていた。
クラスの微妙な雰囲気を察しながら、向井は淳人の方を見る。
「蓮見、どうだ?嫌なら断わ……」
「別にいいですよ。」
淳人は特に顔色を変えることなく、向かいの言葉を遮るようにあっさりと承諾した。
「そうか……じゃあ、蓮見、よろしくな。」
「はい。」
淳人が返事をすると、匠はわざとらしく拍手をしながら「さすが」など大げさな言葉を淳人に投げかけた。淳人に無理やり押し付けるような形になって他の生徒たちはあまり良い気分はしなかったが、引き受けてくれたありがたさから拍手をした。菜緒も淳人に対する感謝の気持ちを込めて拍手していたが、心の中は匠に対する苛立ちでムカムカしている。
賑やかさが落ち着いてきたところで向井は再びクラスに向かって呼びかける。
「女子はどうする?」
向井の言葉を待ってましたと言わんばかりに菜緒は手を挙げた。
「わたしやります。」
菜緒の勢いに向井は驚いた。菜緒が立候補したことに対してではなく、発せられた言葉のトーンの強さと怒りが感じられたからだ。他の生徒たちもあまり目立つタイプではない菜緒が怒りにも似た雰囲気をまとっていることに驚いている。そんな中、愛華だけは少し嬉しそうな表情をしていた。
「いいのか?間宮。」
「はい。正直やりたくはなかったんですけど……男子みたいにモヤモヤっとした決め方は嫌だったんで。蓮見くんはどう感じたか分からないですけど、少なくともわたしはあんな推薦のされ方腹立ちます。」
菜緒の言葉を聞いて、それまで満足げに笑みを浮かべていた匠は眉をひそめた。向井は菜緒の表情と匠の表情の両方が見えている。その2人の表情に戸惑いながらも、何とかこの場を穏便に済まそうと無理に笑顔を作って菜緒に言葉をかけた。
「そうか……じゃあ、女子は間宮にお願いするな。」
他の生徒たちもどことなく気まずさを感じつつも引き受けてくれた菜緒に感謝の気持ちを込めて拍手をしたが。匠だけはムスッとした顔で拍手をせずに菜緒の方を見ていた。菜緒はクラス全体に軽くお辞儀をする。
無事に実行委員が決まってホームルームが終わり、皆が一斉に帰り支度を始めてクラスは一気ににぎやかになった。そんな中、菜緒は淳人の席に向かった。そんな菜緒の様子を横目でチラリと見て、匠は教室から出た。
「蓮見くん。」
「あ、よろしくね。」
菜緒に声を掛けられた淳人はさらりと言った。
「こちらこそ……」
そう言った後、気まずそうに下を向く菜緒を淳人は不思議そうに見ている。菜緒は先ほどの自分の行動を思い返して反省していた。
「……ちょっと感情的になっちゃったなって……」
菜緒の言葉を聞いて、淳人は納得したように頷いた。
「確かに。」
冷静な淳人の言葉に、菜緒はショックを受けながら「やっぱりか」と落ち込む。
「でも、良かったよ。」
「え?」
「女子の実行委員が間宮さんで。」
思いもよらぬ淳人からの言葉に菜緒は戸惑った。そんな菜緒の様子を見ながら淳人は言葉を続ける。
「他の女子とまともに話したことないから。」
「え、でもわたしともまだそんなに……」
その言葉を聞いて淳人は「そうだよね」と頷いた。そして小さく続ける。
「……覚えてないよね。」
「え……」
「じゃ、俺部活行かないと。……とにかくよろしくね。」
菜緒は淳人が小さく発した言葉の意味を尋ねようとしたが、淳人はそそくさと支度をしてそのまま教室から去ってしまった。菜緒はそんな淳人の後ろ姿に向かって「うん、よろしく」と返事をすることしかできなかった。
――あの言葉の意味ってもしかして……
ふとある期待がよぎったが、ほぼ確信に近づいてはいるものの、きちんと確認できるまでは勘違いしたくなかったので、菜緒はその期待をすぐに消し去った。
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