本の中の聖剣士

旦夜治樹
旦夜治樹

006頁

公開日時: 2025年4月8日(火) 10:00
文字数:2,177

 利き手の方も痛くないというと嘘になるが、箸も持てない程に痛い訳では無い。幸運なことに、今日はお箸を使う夕食では無かった。

 理久とのお風呂は楽しくて、少しだけ長湯してしまった。

 お風呂上がりのフルーツオレは飲んだし、あとは理久と一緒に本を読むだけだが、その前に理久に聞きたいことがあった。

  『迷魂狩り』を行う前に少しだけ聞いた『時計塔』と『調理師』の話を、もう少しきちんと聞きたい。あのふたりは面倒見がよく、とても優しかった事を覚えている。

 理久は少し悩んだ後「その、怪我をさせられてないかって心配してたかな」遠回しに内容を教えてくれた。

 そういえば、あのふたりと会わなくなったのは家政婦からの虐待が露見する少し前だ。

 毎日が痛くて、苦しくて、寂しくて、悲しくて、怖くて、現実から逃げて、本の世界にこもって泣いていたあの頃。

 きっと心配してくれていたのだろう。

 「なんて答えたの?」

 「親父さんとお兄さんに愛されて、甘やかされて、毎日楽しそうに暮らしてるって伝えたぞ。凄く安心してたな」

 「そっか、ありがとう」

 あとは俺が学校に行き始めたことや、身長がどれくらいになったとか、やっぱり本が好きだとか、そういったことを伝えてくれたらしい。

 会えなかった事が悔しい。

 「それにしても優也がペアを組んだことに対して、凄くふたりとも驚いてた。やっぱりそんなに珍しいのか?」

 理久の何気ない質問にどきりとした。

 「俺は極端に砂の貯まる速度が遅いから……」

 「通常なら、魂の方が見合わない願いって、華恋さんも言ってたな」

 「そうだね」

 小瓶を召喚する。中でひとつまみ程度の砂が、きらきらと輝いている。

 「この瓶をいっぱいにできる日、来る気がしないよ」

 「そもそも貯めようとしてねえじゃん」

 「まあ、そうなんだけど」

 本来の願いは覚えていないから、理久と出会う前の砂の使い方は身体の不調を治す事が主な使い道だった。

 7階で体調を崩しても誰かに気付かれることは無いから、砂で治すしかなかった。

 家政婦から受けた虐待は表面上は綺麗になっても、中身までは治っていない。理久とペアを組んでからが凄く調子がいいだけで、ずっと薬は飲んでいるし。

 「俺のは目に見えて貯まってるからなぁ……」

 理久も自分の瓶を召喚する。瓶の変化に理久自身が驚いていた。

 「……これ、終わってる?」

 見せられた理久の小瓶は一見すると砂が貯まりきったように見えるが、まだ貯まりきってはいない。

 「ううん。貯まりきるとラベルがつくからすぐに見分けられるよ」

 「そうなのか……」

 少し残念そうな理久だが、今回のように『異質な迷魂』と出会わなければ、あと1回『迷魂狩り』を行えば終わると思う。

 もしかすると、今回で溜まりきってしまっていた可能性もあったことに少しだけひやりとした。

 準備はしたけれど、心の準備がまだ出来ていないから。

 「ねえ理久。明日の帰りの電車は何時?」

 「ん、夕方には帰るけど」

 「そっか」

 次に遊びに来てくれるのはいつになるのだろう。期間が開けば開くほど理久ひとりで回収して、瓶をいっぱいにしてしまうと思う。

 出来れば、理久が願いを叶える瞬間に立ち会いたい。けれど、出来ないかもしれない。

 「……もしかして、瓶がいっぱいになる瞬間を見たいとか、そういう事か?」

 頭を撫でられた。

 「それなら、絶対お前がいる時に次は回収するから」

 「でも、死ぬ可能性は高い状態だから…」

 「大丈夫。俺、悪運だけは強いから」

 理久の大丈夫は、なんの根拠もない。

 けれど、何故か信じてみたくなる。

 「わかった。次に来てくれるのは、いつ?」

 理久がスケジュール帳を確認した。

 「再来週の土曜」

 「その時には俺、7階に戻ってるかも」

 「おっけー、その時は連絡してくれ」




 ふたりで本を読んだ後、理久に抱かれながら目を瞑る。ああ、抱きしめてもらいながらっていうんだっけ?

 叶うことならマスクを付けず、理久の匂いを嗅いで眠りたい。

 治験対象として扱われていた訳では無い事を知って、一度だけ瓶に願いをかけて病気を治そうとした。

 結果として、俺の病気はふたつとも『瓶を生成するための事象』として扱われているようで治すことは出来なかった。

 だから、仮に瓶がいっぱいになっても俺の病気は治せない。


 どうして、俺だけがこんな我慢をしなきゃいけないの?

 どうして、辛い思いをしなきゃいけないの?

 『寝てしまう』病気だってそう。もっと、もっと『起きて』たくさんの時間を理久と過ごしたいのに。

 どうして、俺は『寝ないと』いけないの?

 身体だって、理久と出会ったばかりの頃より少し大きくなった。

 けれど、それは俺が知らない間にいつの間にか大きくなっていて、いつも通り『起きた時』に気付くもの。


 「どうした?」

 どうやら泣いていたらしい。慌てた理久が頭を撫でてくれる。

 「病気、無かったらもっと理久と一緒に居られた。受験の1番大事な時に『寝てた』でしょ」

 「それは……」

 「ごめんね、あんまり受験勉強、手伝えなかった」

 抱きしめられる力が強くなった。優しく囁いてくれる。

 「暫くは無理だけど、これからを一緒にいればいいだろ。お前をひとりぼっちになんて、させねえよ」

 「……ありがと、理久」

 「どういたしまして」

 理久の手を握った。

 叶うことなら、このまま時間が止まればいいのに。


 けれど、そんな願いは叶わない。

 俺が寝ている間も動き続ける世界。

 残り少ない理久との時間。

 今日もおやすみなさい。

 

 










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