別荘にはあまり本がない。というか全くない。
時計を見ると、まだバーベキューまでは時間があり、陽も高い。
海から戻ったままだったこともあり、羽瀬川さんから風呂に入るように勧められた。
遠慮なく入るが峰岸家の別荘は風呂も豪華で、湯船に足を伸ばして入れることに感動する。
ゆったりと湯船に浸かっていると、優也が服を着たまま風呂場に入ってきた。
外にいる人間との会話からして、どうやら俺が上がってから入ろうとしていた優也を拓矢さんが風呂に押し込んだらしい。
優也は俺の顔を見て、少し目を伏せたあと「あんまり、見ないでね」向こうを向いて服を脱ぎ始めた。
背中には杏子に負わされた怪我の位置に痣がある。腕が貫通していたから、そりゃあ背中にも痣はできるか。
「あー、優也。お前が怪我した場所、痣になること知ってるからそんなに隠さなくても」
「へっ?なんで…?車の中の着替え、見られないようにしたのに」
優也が俺の方を見た。
やはり、胸元には背中より酷い痣がある。
「結構寝相悪い時あんぞ、お前」
顔を真っ赤にしながら知らなかったと恥ずかしがる姿はちょっと可愛い。
そういうことならと優也は無理やり隠すことをやめ身体を洗い始めた。ペンダントはつけたままらしい。それもそうか。
見れば見るほど線が細く、そして透き通るように色も白く綺麗な体だと思う。だからこそ、痣がくっきりと浮いて見える。
髪と身体を洗い終わった優也は少しだけ動きを止めて、何か考えたあと湯船に入ってきた。
肩と肩が触れ合う位の距離に座りると不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「小さい頃から俺、湯船ってすごく怖いんだ。ちょっとだけ、小さい頃の話聞いてくれる?」
「勝手に話せば?」
「うん。勝手に話すね。小さい頃は家でずっと、ひとりぼっちだった。父さんが雇った家政婦に育てられたの。でも、でもね、痛いこととか、怖いこととか、沢山された。『起きている間』は毎日風呂に沈められた。多分『寝ている間』も沢山されてるんだと思う。だからね、俺にとって水が沢山ある所って怖いんだ」
「何でそれで海に行きたいなんて思ったんだよ」
思わずツッコミを入れてしまった。
優也はごもっともだと笑いながら、俺に身体を預けてくる。
「何でだろうね。父さんや兄貴と話が出来て、気持ちを知れて……多分、みんなと思い出作りとか、したかったんだと思う」
「そっか」
「全部、理久のおかげだよ。ありがとう」
「勝手に感謝してろ。俺はなんもやってねぇよ」
優也の頭を優しく撫でた。
バーベキューの準備が出来た頃、華恋さんが峰岸家の別荘にやってきた。
優也が親父さんと拓矢さん、羽瀬川さんに口利きしてくれたお陰でなんの支障もなく彼女を呼べた。何となく拓矢さんが茶化してくるあたり、まさか優也のやつ彼女とか言ってないだろうな?
羽瀬川さんから提供される見事な焼き加減の串焼きに華恋さんは大満足の様子。
華恋さんからは優也からのお誘いだと伝えると、優也がどれだけ凄い『契約者』なのかを力説された。あまり話が分からなかった。
やっぱり何度考えても優也は危ないことを平気でやるだけの、ただの目を離せない親友であり、甘えん坊でしかない。
焼けた串を食べつつ今日は色々あったなぁ、なんて考えていると華恋さんとずっと話をしていた優也が俺の傍にやってきて身体を預けてきた。どうしたのか訊ねると満腹になったから俺の傍に来たらしい。どんな理由だよ。
優也は俺に軽く抱きつく。
「理久の匂いって、すごく落ち着く匂いなんだよ?すっごく、おなかもいっぱいになるっていうか」
「さっきまで食ってたからだと思うぞ」
「そうかなぁ……。あ、そうだ。華恋さんがね、理久の彼女になってもいいって言ってるけど、どうする?」
「どんな告白方法ですかね」
華恋さんの方を見ると、相変わらず絶妙な焼き加減の串を食べている。
「俺は理久が、その…他の人に取られるのは嫌………だけど、俺は男だから、付き合えないし」
「ちょっと頭がついてかないから待ってくれるか?」
流石に華恋さんと直接話をしないといけないと思います。
優也に離れてもらう。話は聞かれない方がいいだろう。
華恋さんは多分スクールカースト上位の人だと思う。若干キラキラしたものも見えるし。海の家でバイトしてたのは親戚の店だからというし。
華恋さんは凄く綺麗な人だと思うが、だからといって恋愛感情はない。
華恋さんに声をかけた。
「あら?どうしたの?」
「あのさ、優也に変なこと吹き込んだ……?」
「んー?」
食べながら考える華恋さん。そういう感覚ではこの人を見てないっていうか、そもそもどんな人か知らないんだけど。
「例えば、どんな?」
「彼氏とか、彼女とか………」
華恋さんは納得したように皿と串を置いた。
「えっと…優也君だっけ。あの子『契約者』としては凄く高みにいる実力者なんだけど、幼いというか貴方の事が大好きみたいだったから、ちょっとだけ、からかってみたの」
「どんな?」
「貴方を彼氏として貰っちゃっていい?って聞いたの。そしたら理久を悲しませないなら構わないって言われた。貴方『聖剣士』様がどれだけ他人に心を許さない『契約者』なのか知ってる?」
優也を見ると、少し離れたところで拓矢さんに焼けた串を向けられ笑顔を返しているが、ペンダントを服の上から握っていた。
最近気付いた優也の癖だが、何かしら不安な時ペンダントを握っていることが多いようだ。
「優也が今までどんな『契約者』だったのかは知らねえけど、俺にとってあいつは親友で弟みたいなもんだし、カッコイイやつだから」
「そんなんだから好かれたんでしょうね」
華恋さんは呆れながら俺に小瓶を見せてくれた。小瓶の砂はほとんど貯まっていた。
「あたしの願いはもうすぐ叶う。だから『契約者』はおしまい。終わり際で『聖剣士』様に会えるなんて、本当の名前を知れるなんて、ただの10歳の姿を見れるなんて、思わなかったよ」
まさかユウヤが本名だなんてね、と笑う華恋さんに、しょうもない事だと個人的に予測しているので何故優也がユウヤとして認識されているのかを訊いた。
華恋さんも『他の契約者』から聞いた話らしいが、教えてくれた。本当にしょうもなかった。
舌足らずと聞き間違いで『勇者』を発音出来なかっただけなんて、そりゃあ本人隠したがるよな。
ついでにと話してくれたが『契約者』になったばかりの優也の面倒を見ていた『二つ名持ちの契約者』が居るらしい。『守護者』のことかと訊ねると、そこまでは分からないのだとか。
華恋さんがスマホを触り始めた。
「実はね、貴方の事は本の世界で見かけて知ってたの。あんなに『聖剣士』様が心を許してる『契約者』ってどんな人なんだろうって思ってた。貴方って不思議な人だね」
スマホのアプリから、俺の名前が消されたのが見えた。俺の端末からも消すよう指示される。それもそうか、彼女は優也に『取り憑いた迷魂』についての話をしようと連絡先を教えてくれたのだから。
女の子の連絡先なんてあまり入れる機会は無いから消すのは勿体ない気がするが、きちんと削除画面を見せた。
「優也君のこと気を付けて見てあげて。あの子の瓶にかけられた願いは、多分あたし達の願いとは比べ物にならないものだと思うから」
「確かに貯まり具合は5年もやってる割には遅いな」
「うん。本来であれば魂の方が見合わない願い。けれど偶然それを瓶に出来る魂の持ち主が、凄く大きい願い事をしたなら?」
確か『守護者』も同じことを言っていた。優也の願い事が大きくて危険なもの?検討がつかない。病気の完治かと思っていたが、拓矢さんの話からでは自身の病気に価値があると思っているように感じるから、なんだか違う気がしている。
「あたしの現実世界での『契約者としての能力』は『ほんの少し先を見通す未来視』なの。でも今日1日、未来が見えなかった。『テラー』に確認したら、本来ありえない事だけど時間が巻き戻された可能性があるって」
「時間を巻き戻す?」
「普通は砂も足りないから出来ないよ。でも犯人が『聖剣士』様なら可能性はある。彼とペアを組める人がいるとは思わなかったけれど、あなたも瓶の大きさがそれなりに──」
華恋さんが突然口を噤んだ。
いつの間にか優也が俺の服の端を掴んで、じっと華恋さんを見ていた。
ただ、優也の雰囲気がいつもとは何か違った。なんだろう、ぞっとする何かを感じる。
「俺は理久が無事に瓶に込めた願い事を叶えられればそれでいい。邪魔をしないで」
華恋さんが明らかに動揺した。
「まさか、彼の瓶は……でもそれなら優也君は」
「これは俺と理久の問題だから。理久に話をしてくれたことは感謝してる。でも、それ以上は踏み込ませないよ」
やはり、瓶の砂の貯まり具合が異なる者同士のペアは珍しいのだろう。そりゃあ、命というか魂かけた願いを叶えた後も『迷魂狩り』をする理由なんて無いだろうし辞める選択をするのが一般的か?
優也の頭を撫でるというよりは掴んで抱き寄せる。
「普通みんな辞めるのかも知んないけど、俺は瓶に込めた願いを叶えたあとも『契約者』は続けるつもりだから、優也をひとりにしたりしないって」
俺に身体を預けながら、優也は幸せそうに微笑む。
「ね、理久は優しいでしょ?……だから、それ以上は駄目」
華恋さんは何かを言いたいようだったが「……わかった。『聖剣士』様と理久さんに幸運がありますように」残りの串焼きを食べ始めた。
その後少しだけ華恋さんと優也がひそひそと話をしていたが、内容は教えて貰えなかった。
バーベキューが終わる頃、大量の花火を拓矢さんと親父さんが用意してくれた。そういえば暫く姿を見ないと思っていたが、まさか箱で持ってこようとは。
親父さんはあれやこれやと花火を出して並べてゆく。
「優也と花火ができると思ったらついつい買いすぎてしまってなぁ」
拓矢さんは呆れながら「お義父さんはいつも優也の事になると買いすぎなんですよ。この前だって夏服大量に買うから、どれ着ればいいか悩んでいましたよ」別の箱から花火を出している。
「拓矢だって沢山用意してるじゃないか」
「これは人気の花火って聞いたものを、全部買っただけで、少し多くなってしまっただけです」
「変わらないと思うが?」
なんていうか、似た者親子だなと思う。
広げられてゆく花火を眺めながら、優也はネズミ花火をつまんでいた。
やりたいのか訊ねると、ネズミっぽくないのにネズミなのかと首を傾げている。
「これはな、火をつけるとネズミになるんだよ」
優也は暫く眺めたあと蝋燭の火へネズミ花火を持って──あれ、ネズミ花火ってライターで点けて即逃げるようなもんじゃね?
気づいた時は時すでに遅し。
「うわぁ!!」
優也の悲鳴と共に、暴れ回るネズミ花火が空を飛んだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!