読書室に、品の良い香りが漂う。ただし、俺の好みじゃない。
理久が持ってきてくれた紅茶、あんまり美味しくない。
やっぱり読書のお供はジュースかココア、もしくはミルクがいいな。
とりあえず飲みきろうと思っていると、理久から無理はするなと言われた。
遠慮なくオレンジジュースに変えさせてもらおっと。
読書室に戻り、そういえばと「ねえ、小学校ってどんなところ?」理久に訊ねた。
「え……どんなところって?」
逆に質問された。
「俺さ、小学校って行ったこと無かったんだけど、来月から行こうかと思って……どんなところかなって」
「お前不登校だったの?」
「違うけど」
そもそも登校って概念がないんですよ。
とりあえず海外の学籍の話をする。最近は理久に勉強を教えていた事もあり、すんなりと信じてくれた。
「理久や兄貴が通ってる、学校ってのに行こうかなって思って」
「いじめられないように気を付けろよ?」
「いじめ?うーん、例えばどんな?」
「ものを隠されたり、壊されたり、水をかけられたり、変なもの食わされたり」
「それは窃盗と器物損壊、暴行といった列記とした犯罪なのでは?」
「それを子どもの世界ではいじめという一言で済ませてくるんだよ」
なんか恐ろしい世界だな、学校。
「お前、初っ端の印象すっげえ生意気な奴って感じだったから、すっげえ虐められそう」
「対策を考えておこうかな……」
「まず生意気なところ直せよ」
あれやこれやと話しつつ、理久にランドセルを背負った状態を見てもらう事になった。
この歳で新品のランドセルというのは違和感があるものらしい。そればかりは仕方あるまい。
ついでに先日発覚した服装のバリエーションが少なすぎる問題についても相談する。
服自体は多いんだけど、どう着合わせていいか分からない。よりによって制服がない小学校とは、父さん何考えてんだろう。
理久はしばらく唸った後、制服代わりにする私服を用意しておけばいいと教えてくれた。なるほど、自分で制服代わりの服を決めるのか。
父さんの用意してくれた服の中にも制服っぽいものはあったはず。
服がないことを相談してからというもの、本と一緒に大量の服まで寄越してくる様になった。クローゼット、あまり余裕無いのになぁ。
早速いくつか合わせてみることにした。着替えに手間取るが、何とか着れる。
「………おかしくない?これ」
「お前は選ばなそうな服だよな」
父さんが選んでくれた服は、どれも俺があまり着ない系統の服ばかり。そういえば実家で着ていた服もこんなだったな。
「やっぱお前が着やすい服買ってもらえば?」
理久の意見はごもっとも。けれど俺は今までの人生の殆どを家の中か、この7階で過ごしている。正直いって他所行きの服装なんて分からない。
「人前に出てもおかしくない格好を選んでくれてるはずだから、父さんが選んだ服を着た方がいいかなって」
「多分、着せたい服用意してるだけだぞ親父さん」
「うーん……」
しばらく箱を漁ると、少しだけ俺好みの服が出てきた。これも制服っぽい。
リボンタイにシンプルなシャツ、膝よりも少し短い丈のズボンと、長めの靴下、それからローファーというんだったか、靴紐のないシンプルな革靴。
「これにしようかな」
「良いんじゃねぇの?」
理久からも妥協的なゴーサインが出たので、この服を制服代わりにしよう。
窓を見ると少し外が暗くなっていた。そろそろいい感じに祭りが賑わってきた頃だと思う。
「ねえ、理久は浴衣とか着たことある?」
「ないな」
「着てみる?」
「やめとく」
即答で拒否されてしまった。理久の浴衣姿見てみたかったなぁ。用意してたんだけど。
でも俺は着付けなんて出来ないから、それでいいのか?少し残念。
俺が落ち込んでいるように見えたのか、いや実際すごく残念なんだけど、理久が頭を掻きながら「あー、ほら。俺、色が黒いからあんまり合わねぇんだよ、浴衣とか和装って」そっぽを向いていた。
「大丈夫だよ!俺以外誰も見てないから!」むしろ見せたくないから!
「何もフォローになってないぞ」
理久は本を閉じると立ち上がった。
「このままでも十分だろ。ほら、お前はその制服代わりで行くの?」
「そうだね、着替えなきゃ。少し待ってて」
ふたりで浴衣とか着てみたかったな、なんて思いながら父さんが選んでくれた服の中から動きやすそうで涼しそうな服を選んだ。
着替え終わって理久のもとへ戻る。手を差し出された。
「さ、行こうか」
「うん」
理久の手を取った。
なんの祭りなのかは分からないが、沢山の出店と沢山の人がいる。
はぐれないようにと理久はずっと手を繋いでくれていた。
左右に並ぶ出店を眺めていると、チョコがけのフルーツの店が目に入った。
「ね、理久。あれがチョコバナナ?美味しいかな」
「チョコかけたバナナだぞ」
「な、なるほど…」
父さんから小遣いは貰っているのだが、10歳が持ち歩くには大金すぎると理久に指摘され、お金は全て預けることにした。
多分理久預けたのは正解で、俺が持っていたら目に付いたもの全て買っていきそうなくらい出店は誘惑が多い。
あれは何か、あれは美味しいのか、初めて見るものばかりで聞いてしまう。
そして、ふわふわとした甘い匂いがするお菓子に目が止まった。あれが綿あめ?本で見たことはあったけど、あんなに機械大きいの?
「ねえ理久、綿あめってどんなもの?」
「食ったことねえの?」
「うん」
「食ってみるか?」
「たべる!!」
ひとつ、小さいものを買ってもらった。飴っていうから舐めればいいかな?──ありゃ?
「食べようとすると、なくなっちゃう?」
「ちぎってみな」
言われた通り、少しちぎって口の中に入れる。甘くて、ふわふわで、口の中で溶けて、凄く美味しい。
「はい、理久にもあげる」
ひとくちぶん、差し出した。
「さんきゅ」
理久は少し腰を折って俺の手から食べてくれた。可愛い。
俺が幸せに浸っていると「あれ?斉藤じゃん」理久と同じくらいの歳の人間が手を振りながら近づいてきた。知り合いなのかな?
「やー!優也君も久しぶり!」
久しぶりといわれても、目の前の人物に心当たりは無い。
理久の陰に隠れた。腕にぎゅっと抱きつく。
見知らぬ人物は俺の様子を見て少し傷付いた顔をしているが、そんな顔されても俺は心当たりない知人に攫われたり襲われること、よくありますんで警戒くらいはします。はい。
理久が「お前の本当の顔見るの初めてなんじゃね?」俺の頭を撫でながら、見知らぬ人物に名乗るように促した。
「あっ、そういう事か!俺は倉敷蓮。優也君、久しぶり」
ああ、なんだ『アンナ』だったのか。
「だ、誰かと思った……」
理久の腕に抱きついたまま、倉敷蓮に挨拶する。倉敷蓮は、理久とは全く違う系統の高校生だ。なんか少し怖い。
「俺にも綿あめ、あーんとかして欲しいんだけど」
「やだ」
理久の腕に擦り寄った、その時だった。
理久や倉敷蓮と同じ歳位の浴衣姿の女の人が手を振りながら、こちらにやって来るのが見えた。
なんていうか、和服に合わない金髪もそうだけど派手な人だ。倉敷蓮も髪は染めてないけど少し派手に思う。
「蓮君おまたせ~!あれ、斉藤じゃん。なになに?その子、弟とか?すっげー綺麗な子じゃん」
顔をまじまじと見られる。なんかとても嫌。
「違うよ、理久と俺は、友達…だから……」
理久の服に顔を埋める。
「悪い鶴巻。優也、結構人見知りするから…」
鶴巻と呼ばれた彼女は「え~斉藤の癖に生意気なんですけど~」かなり不満そうに俺の腕を掴んで引っ張ってきた。
「優也君だっけ?優也君も、きれーなお姉さんと一緒がいいよね?」
一瞬、幼い頃の記憶がよみがえる。家政婦に腕をつかまれて『お仕置き』や『躾』をされた記憶。
力が入らなくなる。鶴巻という人はそのまま、俺を背後から抱きしめてきた。
やめて。こわい。触らないで。
「やだ超かわい~~!!斉藤にもったいなくね?」
理久がすぐに俺の異変に気付いてくれる。
「鶴巻、今すぐ優也から離れろ」
「はぁ?マジなに言ってんの?こんな映える子中々いないっしょ」
携帯電話のカメラを向けて、鶴巻という女性は自撮りをしようとする。
「あっれぇ…?ピンボケするんですけど……なんで?」
少しだけ拘束が緩んだ。腕を振りほどいて、駆け出した。
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