陽が落ちる頃には7階の埃っぽさがほとんど消えた。嬉しい。明日はカーテンを洗濯しよう。
年が明けたら理久と初詣に行って、それからそれから──楽しみなことがいっぱいだ。
いっぱい、やりたいことがある。だからこそ『寝てしまう期間』が目の前に迫ると、すごく怖い。
この時期はどうしても間隔がズレてしまうし、今回の『起きている期間』は、かなり色々なことがあった。沢山、色んな薬を使ったし、もしかすると明日には『寝てしまう』可能性もある。
今から『眠ってしまう』と、絶対年越しには起きられない。
それに、理久の受験も大事な時に傍にいてあげられない可能性だってある。
楽しみなことが増える度、いつ訪れるか分からない眠気に怯える。
だから俺は時間の流れが分からなくなるように、隔離された7階で過ごしていた。
それなのに理久と出会って、外の世界を沢山知ってしまった。
俺はもう、今までのようには生きられない気がしている。
樹来お兄さんが俺の顔を覗き込んできた。
「ユウちゃん、どうした?」
「……えっと」
なんて言えばいいんだろう。樹来お兄さんは俺の病気のこと、少しだけ説明はされてるらしいけど。
「ユウちゃんが何かに怖がってるなら、俺がブン殴って、やっつけてやるから安心しろよ!」
しゅっ、しゅとボクサーのような構えをしながら、樹来お兄さんは拳を突き出してポーズをとる。
今日1日でわかったが、樹来お兄さんはかなり愉快な人だ。
「……俺の眠気も殴ってくれる?」
ちょっとだけ意地悪を言ってみた。
「眠れなくなるくらい、いっぱい楽しいことしようぜ!まずは徹夜ゲームとか!」
「すっごく楽しそうだね」
頭をわしわし撫でられた。少しだけ、元気が出た。
翌朝。チョーカーから抜き取ったデータを確認した父さんから、恐れていた言葉を告げられる。
年越しができずに『寝てしまう』可能性が高いらしい。体温や脈が、すごく落ちているのだとか。
昨日体を動かしたことが原因なのかと尋ねると、今回はそれよりも誘拐された事の方が大きいかもしれないという話だった。
お願いだから、もう少しだけ時間が欲しい。
「ねえ、父さん。理久と初詣とか行きたい。お願い、何でも頑張るから、『起きていたい』の。どうにかできない?」
父さんはすごく困った顔をしながら首を振る。
「やだ、やだよう。俺ばっかり、なんで、なんでいつも寝てなきゃいけないの!どうして!!もういやだ!!寝たくないの!!」
涙が止まらない。叫ぶように泣いてしまう。
父さんはずっと、頭を撫でてくれていた。
泣き疲れて呆然としていると、ハセガワが部屋に来た。
「優也君、お薬です。医院長が気休めにと少しだけ薬を変えたみたいですから、体が辛かったら言ってくださいね」
「うん…」
ハセガワが可食フィルムに包んで、粉薬を飲ませてくれた。
飲んだあと、しばらくしたら体が少し熱く感じることを伝えた。熱は無いらしい。これでどれだけもつのだろう。
また、涙が流れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ほぼベッドの上から動けないくらい、安静にするようにとは言われたし、体がかなりだるくはあったが、まさか年明けまで『起きていられる』とは思わなかった。
父さんも気休め程度に薬を少し変えたらしいので、ここまで効果が出るとは思わなかったと驚いていた。
体温も脈もほぼ『寝ている時』に近いくらいまで落ちてはいるから、かなり危険ではあるが、それでも今日1日動くくらいなら問題ないはずである。というか、今日動かないと何のために『起きていた』のかとなってしまう。
ハセガワに今日の分の薬を包んでもらって、飲み込んだ。
俺の家からの使用人の力を借りて、理久にほぼ無理矢理ではあるが晴れ着をきせて、一緒に初詣に行って、屋台を回って、それからそれから、たくさんやりたかったことをやった。
理久と別れたあと、ハセガワの運転で家まで戻る。
ものすごく眠くて、仕方ない。
けれど、とても幸せだった。
もう、殆ど体が動かない。お姫様抱っこをでベッドまで運ばれた。
「ハセガワ、ありがとう」
多分、うまく発音できなかったと思う。
ハセガワはにこりと笑って、俺の顔にマスクを付けてくれた。
「おやすみなさい、優也君」
「うん、おやすみなさい」
次に起きる時は、きっと季節が変わってるんだろうな。
理久が一番大変な時期に、俺は『寝てしまう』みたい。
でも、理久なら大丈夫。きっと、大丈夫。
だから、少しだけ、おやすみなさい。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!