本の中の聖剣士

旦夜治樹
旦夜治樹

7冊目:願いの代償

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公開日時: 2025年3月23日(日) 10:00
文字数:3,882

 目を開ける。

 体の自由が効かない。視界の隅に点滴の袋があるから、多分『深く寝ていた』のだと思う。

 どれくらい『寝ていた』のかな。体に力が入らないや。

 偶然近くにいた兄貴が、おはようと声をかけてくれた。

 挨拶を返すと、酷く驚かれた。

 体を起こすが、兄貴の支えがないと上手く座ってもいられない。

 『寝ていた期間』を確認したくて尋ねると、兄貴は酷く困った顔をしたあとカレンダーを見せてくれた。なんと、4月のカレンダーである。

 数日無理した代償がこれとは。

 理久の受験はどうなったのか尋ねると、問題なく済んだらしく、今は新しい学校に通っているのだとか。

 理久が気にしていた通り、今までのように頻繁には会えなくはなったようだ。

 少し悲しいけれど、理久のためである。

 そのうち、いっぱい過ごせるようになるから大丈夫。


 兄貴は沢山の話を聞かせてくれた。

 何度も『寝ている』俺に琹音が会いに来てくれた話はすごく驚いたし、嬉しかった。

 寝ている横で本を読んで、俺が起きるのを待ってくれて『寝ている間』に少しだけ起きた俺と話もしてくれていたのだとか。

 どんな話をしていたのだろう。

 会話していたのは自分自身なのに、何故か無性にもやもやとした気持ちになってしまった。最近理久や琹音に対して、この気持ちになることが多い。なんでだろう。

 兄貴は最後に、エレベーターの修理が完了した話もしてくれた。

 7階に戻れるかと少し期待したが、流石に暫くは家にいて欲しいと言われた。体を起こすのだけでも辛いので、当然と言われれば当然か。



 数日過ごすうちに支えがなくても少しなら歩けるようになった。

 ハセガワに手伝ってもらいながら家の中で歩く練習をしていたとき、丁度琹音が遊びに来てくれて、歩く練習を手伝ってくれた。

 何度も倒れそうになって、琹音に支えられる。なんだかすごく恥ずかしい。

 琹音に支えられた時に気付いたが、琹音からいい匂いがした。

 理久ほどでは無いけれど、すごくいい匂い。

 思わず琹音からいい匂いがする、なんて口にしたら、ものすごく顔が赤くなった琹音から頬を叩かれた。痛かった。

 ハセガワが呆れていたから、恐らく俺が悪いのだと思うけど。

 理久や蓮の時は怒られなかったから違いといえばこれしかない?

 「女の子の匂いって、もしかして嗅いじゃ駄目だったりする?」

 「もしかしなくても、そうだよ」

 琹音が呆れ顔で俺を見た。

 「すごくいい匂いなのに…」

 「だめなものは、だめ!」

 ちょっと琹音が怖い。

 「……はい。ごめんなさい」

 すごくいい匂いだったのにな、残念。

 仕方なく、出来るだけ匂いを嗅がないように気を付けながら歩く練習をする。

 しかし、どうしても支えられた時に少し嗅いでしまう。嗅がないようにすればするほど意識してしまう。

 何とか支えてもらわなくても歩けるように、気合いで頑張った。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 『起きてから』1週間もあれば、だいぶ体の自由がきく。

 階段だって、とんとんとん、とリズミカルに降りることが出来るようになった。

 「これなら7階に帰れるかな?」

 ハセガワに尋ねると、まだ家で生活するようにと言われた。

 体調が万全では無いからという理由らしい。まあ、階段を降りれても上るのは息が切れるし仕方ないか。

 普段は2週間から1ヶ月、稀に2ヶ月といった具合なので、俺の体に何か異常があるのかもしれないと考えるのは必然。大人しく、父さんや兄貴、ハセガワの目の届くところに居てあげよう。


 のんびり本を読んでいると、昼過ぎに待ちに待った来客があった。

 「やっほー、元気してたか?」

 褐色の肌に、ちょっと面白い顔の青年。少し背も伸びた?気のせい?

 「理久!!久しぶりー!!!」

 思いっきり抱きついて、匂いを嗅いだ。すごくいい匂い。甘くて、美味しそうで……「たい焼き!!」手土産のたい焼きの匂いがする。

 「えっと……うん、俺が借りてるアパートの近くにあってさ。すっげえ美味いの。もう固形物食える?」

 「これくらいなら食べられるよ」

 「じゃあ、一緒に食おうぜ」

 「うん!!」

 

 ハセガワがお茶を淹れてくれた。ふたりの時間だからと、ハセガワはちゃっかり、たい焼きを2匹受け取って俺の部屋から出ていった。甘いもの大好きなハセガワらしい行動である。


 トースターで焼き直してもらったおかげで、表面はさくさく、中はふわふわのたい焼きを食べながら、新しい学校の話を聞く。どうやら、いじめられてはいないみたい。

 「理久、誰かから嫌がらせされたら絶対教えてね。絶対そいつ生きてることを後悔するくらいに懲らしめるから」

 「マジな顔しながら言うなよ、怖ぇよ」

 「マジだもん。理久に嫌がらせするなんて、生きてることを後悔させるくらいじゃ生温いと思うと思うけど」

 「なんでそうなるんだよ」

 理久に悪事を働くんだもの。当然だと思うんだけど。


 半分くらいまでたい焼きを食べ終えた時に気がついた。まだ餡子に到達しない。

 たい焼きって餡子が入ってるものじゃないっけ?

 「このたい焼き、餡子入ってないの?」

 「カスタードだからだろ?」

 「かすたーど?」

 「ほら、そのクリームだよ。……まさか、カスタード食ったことない?」

 「たい焼き自体、初めて食べるよ」

 「マジか」

 理久が目を丸くしている。俺、基本的に7階で食べられるものしか食べてないからね?

 「こういう焼き菓子は食べたことないの。ふふっ、また理久に初めてを貰っちゃった」

 中身のカスタードをぺろりと舐めた。とても温かくて、甘くて、美味しい。

 「他にもほら、白餡とかあるぞ。買ってこなかったけど、抹茶餡とか、チョコレートとか」

 「いっぱい種類があるんだね」

 「今度、それも買ってきて……いや、他にも色々あるからな……よし、今度一緒に買いに行こうぜ!」

 「行きたい!!けど、行けるかな。こんな体だし」

 確か、ここからだと電車で何時間もかかる学校なんだよね?

 「やっぱちょっと厳しいか…?」

 「もう少し元気にならないと難しいかな。それに、まだ誘拐犯は捕まってないから、あまり外には出られないの。学校もね、警備をどうしようかって言われてるかな」

 たい焼きの尻尾の欠片を口の中に放り込んだ。しっぽまでカスタードたっぷり。ご馳走様でした。

 「さて、本日も読書日和ですよ、斉藤理久さん。たくさん本を読みましょう!あ、それと、教科書とか専門書があれば読ませて?読みたい」

 「そう言うと思ってほら、持ってきたぞ」

 「わーい!」

 理久が持ってきてくれた教科書の類を片っ端から読んでいく。

 一緒に、理久の匂いも嗅がせてもらう。いい匂い。

 もっと匂いを嗅いで、甘えてもいいと言われたが、冷静になるとあの時は恥ずかしいことをしていたと思う。

 「あれはほら、母さんの命日が近くて、少しおかしくなってたっていうか……」

 「今も十分おかしいけどな」 

 「にゃにおぅ」噛んだ。

 「ほら、遠慮しなくていいんだぜ?」

 一瞬誘惑に負けそうになるが、自分の頬を軽く叩いた。

 「………大丈夫っ!!」

 わしゃわしゃと髪の毛を撫でられる。

 「あんま無理すんなよ?」

 「うん」



 すこし読んだら、俺が『寝ている間』にどれくらいの砂が貯まったのかを見せてもらう。

 砂は8割に少し届かない程度になっていた。理久、すごく頑張ったんだね。

 「やっぱお前と『迷魂狩り』をする時とそうじゃないときで明確に増え方が違うんだよな……」

 本人はかなり落ち込んでいるが、正直なところ契約して1年程度の『契約者』であることを考えれば、凄く速い方。

 理久の小瓶を優しく触り、胸元で包み込むように持つ。

 「……どうか、理久が願い事を叶えられますように」

 ほんの少し祈りを込めて握ったあと、理久に小瓶を返す。

 過去、特異体質の人間が『契約者』になった際、特殊な祈りの力を使う者が居たらしい。

 クリスからその話を聞いて色々と試した事はあるが、残念ながら俺にはそういった祈りの力なんてものは持っていないようだった。

 だからこれは、本当に俺が祈っただけである。

 俺に出来るのはこれだけ──


 ふと、俺の能力というか、力というか、それに近いものを思い出す。

 「理久、新しいおうち、慣れた?」

 「慣れはしたんだけどな。早速電子レンジが壊れたから、今度買い直す」

 「そっか……電子レンジなら、使ってないのが7階の物置にあるから、それ持って行っていいよ」

 「それはちょっと悪いというか」

 「いいのいいの。それと一緒に、えっと……」

 机の引き出しから、先日『起きた』時に出来た端っこの一部を取り出す。

 「これ、良かったら…持ってて?」

 「えっ、なにこれ髪の毛?」

 「うん」

 理久、ものすごく不思議な顔してる。あ、そっか。ちゃんと言ってなかった。

 「これは俺の髪の毛だけど、俺の周りでは《機械が壊れない願い》がかかってるの。髪の毛1本でも近くにあったら力を発揮するから、壊そうとしなければ、今後機械は壊れないよ」

 理久はチャック付きの小さな袋に入った俺の髪の毛をまじまじと見ている。

 「ちょっとヤバい方向に性癖拗らせたのかと思ったぜ……」

 「失礼な」

 ただし注意点を伝える。

 切り離された部位の場合は、壊れる事象が起きようが起きまいが、少しずつ消費していって、そのうち消えてしまうのだ。

 「つまり袋の中身が無くなったらお取替えという訳です」

 「タンスの樟脳みたいなノリで言うんじゃねぇよ」

 「でも、それだけあれば、1年くらいは持つと思うよ」

 「本当に樟脳みたいな使用期限だな」

 早速使わせてもらう、なんて言っている。喜んでもらえただろうか?それならこれも。

 1本だけ、できるだけ長めの髪の毛を引き抜いて渡す。

 「これは携帯電話に。落としても画面が割れなくなります」

「ありがとうございます!!!!」

 そういう使い方もあるのかと、理久から拝まれた。

 




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