今日は海へ行く日。
別荘で読む本の準備はよし。浜辺で読む本の準備もよし。最低でも5冊ずつは欲しいよね、なんて思っていたら、ハセガワに全部で1冊にするように言われてしまった。どうして。
しかも文庫本くらいの大きさの本にしておくようにと言われてしまう。
仕方なく本の数を減らす。こっそり1冊……ハセガワから没収された。ダメでしたか。
今回の小旅行はハセガワは運転手兼身の回りの世話で同行してくれる。そういえばハセガワって父さんの秘書じゃないっけ?よく俺の世話をしてくれるが、秘書ってそういう仕事じゃないと思う。
先日のミザクラは父さんの秘書のひとりだが、俺の面倒を見ることは本来業務に含まれてなかったものの、逃げ出す気がない相手を見張ってればいい楽なもんだと聞いてたから引き受けたとか言っていた。それ本人に言っちゃダメでしょ。やっぱりミザクラって変な人。
ハセガワはそういったことを教えてくれることはまずないから、秘書の仕事じゃなくないか、なんて聞いても何故なのかは教えてくれなかった。子どもは難しいこと考えなくていいとのこと。
ハセガワの謎はおいといて、2冊目は没収されてしまうから、仕方なく鞄の中の文庫本は1冊にしておいた。
出かける際、エレベーターの前にある鏡で全身を確認した。
夏服があまりない事を知った父さんが大量に用意してくれた中の1着、普段着ないような服だから俺が着ておかしくないか分からない。
駐車場では既に兄貴と父さんが車の前で待っていた。
ふたりとも可愛いと言ってくれるから、おかしい格好では無いのだろう。
めちゃくちゃ頭を撫でられるものだから逃げるように車に乗り込んだ。
こんなことしてないで理久を迎えに行かなくちゃ。いつもは来てもらっているから、逆に理久の家に行くのは新鮮である。
電車とバスで2時間程度の道のりは、車でなら少し早いらしい。理久は最初、直行バスの存在を知らずに長時間乗り継いでいたんだっけ。
それでも、会う約束をしたから来てくれた。
とても大切な親友。
本を読もうとした。吐きそうになって諦めて、窓を開けて外を眺める。気持ち悪い…
隣に座る兄貴が冷たい飲み物をくれた。少し回復した頃に理久の家に到着。
携帯で連絡し、車から飛び降りる。玄関のベルを鳴らすとしばらくして、玄関があいた。
おはようと声をかけて、抱きついた。今日も理久はいい匂い。
頭を撫でられながら、理久と兄貴の会話を聞く。
兄貴、俺の隣を譲らないとか言ってる?
苦笑しながら理久は座席にこだわりはないことを伝えていた。馬鹿兄貴、理久を困らせないで欲しい。
結局理久は一番後ろで父さんの隣。何か色々と話をしているようだけれど聞き取れない。兄貴が話しかけてくるせいだ。とてもうるさい。
しばらく高速道路を進んでいくと、時々見える街の雰囲気が変わってきた。
そしてある時、それが見えた。
砂浜である。小瓶の砂の光り方とは全く違うが、きらきらと光っている。
思わず窓に張り付いた。
理久と兄貴が水着を着ている。え、海って着替えるものなの?
兄貴から水着を渡される。着ようかすごく迷っていると「そういえば優也って泳いだことあるのか?」俺でも分からない質問をされた。
「記憶上はありませんね…」
ずっと病院暮らしをしている人間に、水泳の能力を求めないで欲しい。
やっぱりやめておくと伝えて、靴をビーチサンダルに変えるだけにした。
上半身裸は抵抗があるし、それに俺は本の中の世界で傷を負うと痣として現実の身体に現れる。この前の痣、まだ消えてないんだよね。
寝ていたらいつの間にか痣が増えているから、何か病気ではないかと父さんと兄貴は頭を悩ませている。心配かけてごめんなさい。
この前の廃病院の話から『起きるまで』の間『迷魂』が入り込んだ扉は近くに無かったと理久は言っていた。
『起きてから』も近くになかったのでかなり発生は落ち着いているのかも。そういえば『契約者の小瓶』は魂の一部だから、それにも『迷魂』は引き寄せられるんだっけ?まあいいか。
海水に足をつける。冷たくて気持ちがいい。
この砂浜は海水浴場となっているらしく、俺と同じくらいの歳の人間も沢山いる。
理久と兄貴が必ず俺の近くに居てくれる。
海は泳ぐものらしいから泳いできていいと伝えると、俺が泳ぐなら考えるという話だった。うーん、難しい。
膝くらいの高さの海を歩いていた時だった。
足を取られてコケた。すぐに身体を起こす。
「………わぁ」
全身ずぶ濡れになりました。なんていうか、うん。なんて言うんだろうこれ、泣きっ面に蜂?違うか。
あ、でも、汗が一気に流れ落ちて気持ちいい。
心配してくれる理久と兄貴。ふと、あることを思いついた。
「えいっ」
両手で海水をすくい上げ、ふたりにかけた。
驚くふたりにもう一度。してやったり。
理久が「やりやがったな!この!!」波を起こして俺にかけてきた。冷たくて気持ちがいい。
「えへへへ、これでどーだ!」
俺の手は理久に比べると小さいから、理久の様に大量に水を動かせない。
けれど、すごく楽しい。
兄貴は少し離れた所で俺と理久が遊ぶのを見ていた。なんでそんな遠い目をしてるのだろう。
だいぶ遊んで、遊び疲れて海から上がる。
ハセガワからぴたぴた張り付く気持ち悪い服の代わりに水着と上に着るシャツを受け取った。
そして、洋服のまま海で遊んだ事を凄く怒られた。めちゃくちゃ怒られた。反省はしているけれど、事故なので許して欲しい。
海の家なる食堂でご飯を食べることになった。品数は少ないけれど、どれも量が多そう。
持ち帰りの方で食べようか、なんて話をしていたとき、それを見つけた。
海の家の隅に置かれていた本に、モヤがかかっていた。
俺はここで寝る訳にはいかないし、ここまで人目がある場所で理久も本の中に入る訳にはいかない。
どうしよう。この本を持って行ったら泥棒だし、同じ本は多分近くにないと思う。
俺が悩んでいると、理久が耳打ちしてきた。
「優也。見なかったことにする、って手がある」
「え?」
思わず耳を疑った。どうしたのだろう。
「でも、目の前にあるんだよ?このまま放っておいたら大変なことに」
頭を撫でられた。
「いいか?『扉』は他にもあるし『契約者』も俺ら以外に存在する。なら、俺らが今日くらいサボっても大丈夫だ」
お前は責任感が強すぎる、と言われた。
「中には『迷魂狩り』すらしない『契約者』も居るくらいだ。サボっても大丈夫だろ」
『契約者』が『迷魂狩り』をしないのはどうなんだろうと思わなくもないが、契約に時間制限は無いし、あくまで『テラー』の手伝いであって義務では無い。それに、出来れば、今は理久や皆との旅行を楽しみたい。
クリスを見る。俺が何を言いたいか彼女は分かってくれたようで「優也が好きなようにすればいい。私も、必ず回収しようとする優也は心配」すうっと壁を抜けて消えていった。
少しくらい、サボってもいいか。
「見なかったことにする」
「そうしとけ」
契約してから初めて『迷魂の居る扉』に触れなかった。
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