警備員さんから事務所に連れていかれた。
顔見知りの警備員さんが居てくれてとても助かった。時々飴玉をくれる警備員さんで、ちょっぴりなかよしさん。
俺を事務所に連れてきた警備員さんにすごく謝られた。まあ、俺は7階から出ることがあまり無いから仕方ないよね。
ふと、事務所内にあった誰かの小説に迷魂が入り込んでいる本特有のモヤがかかっていることに気が付いた。
どうやらあまり読む人のいない古い本のようで、かなりの長時間『迷魂』が中に入り込んでいるようだ。
「この本、誰の?」
貰ったジュースを飲みながら、飴玉の警備員さんに聞くと俺が本好きなのは飴玉の警備員さんは知っているから、見つかったかと苦笑された。どうやら彼のものらしい。
俺が本をよく読むものだから、読みたくなったのだという。読むかと聞かれたので俺の持っていた本と交換することにした。
7階に戻り、借りてきた本を開く。
その瞬間モヤがかなり大きくなり、真っ黒に近いページが現れる。
慌てて本をテーブルの上に置いて、聖剣のペンダントを握った。
「棗お姉ちゃんは寝室に。ここは危ないから」
「……でも」
「お願い」
とりあえず、棗お姉ちゃんは安全なところに移動してもらう。
俺の魂は『迷魂』を惹き付けやすい魂だ。普段は聖剣で見つかりにくくなってはいるが、やはり引き寄せてしまう。
扉が無数にあったとしても、扉の先に俺が居ればこちらへやってくる。
『言霊を食らった迷魂』が本から勢いよく飛び出してきた。
よく見るとクラゲのような形をしている『迷魂』は、俺の目の前を漂う。どうやら俺に取り憑こうとしているのだろう。
『迷魂』によって食指は異なり、海水浴場で見たものと違って、ペンダントの忌避能力が殆ど効かないものも居るらしい。
取り憑かれても理久が助けてはくれると思うが、俺の瓶がそれまで耐え切れるか分からない。
耐えきれたとしても虫干しの本たちが回収出来なくなってしまうし、取り憑かれてる間は凄く苦しいから、出来たら取り憑かれないように回収したい。
『クラゲ迷魂』の触手のようなものが伸びてきた。ペンダントを突き出すが、ひらりとかわされる。
「あっ……」
ペンダントを持つ右腕に巻き付いてきた。咄嗟に手の中で向きを調整。ペンダントの大きさを変え、自分の腕ごと触手を切り裂いた。激痛が走るが、歯を食いしばって耐える。
『迷魂』は俺のペンダントで切り裂かれた触手を自ら切り落とし、端から砂になって消えるのを阻止した後、触手の部分を復活させた。
何かしらの『生き物の形を取る迷魂』の場合、端っこを何回切り落としても元に戻ってしまう。
彼らは生物の形はしていても生物ではない。
血濡れになった俺の右腕に再度触手が襲いかかるが『迷魂』は躊躇しわざと狙いを外してきた。
躊躇出来るほどの知能がある『迷魂』なら、それはそれは俺の右腕は奇怪に映るだろう。
動画の逆再生のように血は元通り綺麗に肉体に収まり、裂けた肉は服もあわせて綺麗に戻る。そんな人間、普通は居ない。
けれど、条件付きで居るんだよね、ここに。
聖剣で負った自身の傷を無かったことにできる。これは現実世界でも本の世界でも変わらない。
「何度でも巻き付けよ。その度に俺ごと切り裂くからな」
ずっと大剣の状態で持っていることは俺の筋力では出来ないから一瞬だけ剣を大きくしつつ『迷魂』を攻撃するが、ひらりひらりと避けられてしまう。
10歳の身体能力ではこれが限界か。
何本も襲いかかる触手を避けて、剣を構える。掴まれれば自分ごと切り裂く。
当然体力が持たない。早く決着を付けなくては。
ふと恐ろしいことに気が付いた。この『迷魂』、俺の血を吸収してる?
余計なことを考えたせいか、クラゲ触手に腕を掴まれた。ほぼ同時に左腕にも絡みつく。剣を大きくして腕ごと右腕の触手を切り裂いた、その時だった。
どごっという音ともに、息が出来なくなる。腹にクラゲ触手の拳とでもいうべきか、太めの触手から攻撃を受けた。
貫通するような攻撃では無いから、胃がひっくり返りそうになるくらいの気持ち悪さを感じただけだが、力が入らない。聖剣を取り落とす。
傷が治った右腕と、両脚、首に触手が巻きついてきた。
もがいても更に絡まるだけ。
取り憑かれる、そう思ったが何か違うようだ。
ぐちゃぐちゃと気色の悪い音を立てながら、『迷魂』は俺の体に触手を這わせて行く。
そして、胴体に取り込んできた。
身動きが取れないまま、クラゲの内部に閉じ込められる。すぐに拘束は解かれたが、クラゲ胴体部分の膨らみから出られそうには無い。
どろりとした液状の何かで中は満たされてはいるが、息ができない訳では無いから溺れることはなさそう。
こいつ、俺をどうする気だろう。
そしてこの状況、どうしよう。
聖剣のペンダントは遠くに落ちているし、液状の何かで満たされているせいで小瓶は使えない。
あれは濡れる場所では喚び出すことが出来ても使えないのだ。
突然、全身に電気が走るような激痛に襲われた。悲鳴をあげる。
激痛はすぐに収まるが、お陰で身体の自由が全く効かなくなった。『迷魂』はゆっくり移動し始める。
「………優也に……何をするぅ!!」
それは知能が高い『迷魂』でも予測できなかったのか、それとも『魂のない存在だから認識出来なかった』のか、棗お姉ちゃんが俺の剣を拾い上げ『迷魂の中心』ともいえる俺が囚われていた風船部分へと突き刺し、斬り裂いた。
弱点部位を突かれた『迷魂』は、砂になって形を失っていく。
実際外に流れ出ているのは砂だが、割れた水風船のように中身が溢れ出す。
棗お姉ちゃんが受け止めてくれて、俺は怪我をせず床に足をつけることが出来た。
「棗お姉ちゃん……すごい………」
「……弟守る、いいお姉ちゃん。出来たかな?」
「う、うん…」ちょっと、かっこよかった。
溢れ出る砂に呑まれそうになって、慌てて読書室から出た。
棗お姉ちゃんは『契約者』ではないから、砂の自動的な回収はされないらしい。
俺が全部貰っていいというので、読書室の外に流れ出てくる大量の砂を回収する。掃除の必要なく綺麗に回収出来るのは本当にありがたいが、ちょっと多すぎない?これ。
暫く回収していると、ようやく噴出が収まり、読書室も綺麗になった。
風船の中に満たされていたクラゲ液は粘度の高い液状だった。俺の体にまとわりついていて、触れていない部分は砂になっている様子。
風船の中でだいぶ飲み込んでしまったらしく、何となく口の中が生臭い。というか、この『迷魂だった部分』って体内に入ってしまっていいものなのだろうか。
クリスに訊ねると『普通の契約者』であれば問題だが、俺が口にするのなら問題ないらしい。
いや、俺が口にするのならってどういう意味だよ。
特異体質の特権みたいなものか訊ねると、その通りなのだとか。
とりあえず害はないようで良かった。でも、全身が生臭いからシャワー直行コースですねこれは。
クラゲ液まみれの俺を支えたせいで棗お姉ちゃんもクラゲ液が付着しているだろうと思い、先にシャワーを浴びるように促すと首を傾げられた。
棗お姉ちゃんに付着していたクラゲ液は、見事に砂に変わっている。
俺にくっ付いている分だけ液状。なにこれ、なんかのいじめ?
とりあえず砂を回収し終えて、シャワーを浴びた。
風呂から上がると着ていた洋服は砂まみれだった。ふと嫌な予感がして、風呂場に戻る。排水管に貯まっていた『迷魂だった砂』もちゃんと回収したが、少し流れてどっか行ったかも。もういいや。どこかで詰まらないことを願おう。
翌日、遊びに来た理久に何故また『現実世界で迷魂狩り』なんて危険なことをやったのかと怒られた。
あの後少し身体の中が危ない方向に怪我をしていることに気付いたので、砂を使って傷を治したから特に怪我はしていないと言っていいはずだし、砂もかなり増えたことを説明したんだけど、何がいけなかったのか。
砂の山分は自動回収でないと発動しない。今回は俺だけ砂が増えて、見える量はだいたいひとつまみくらいになっている。理久と出会った時くらいの量かな?
時間を戻すのって、実際の砂だと凄くいるんだなぁとしみじみ思う。
棗お姉ちゃんがお茶を淹れてきてくれた。
お礼を言って受け取り、理久にも渡す。
理久は何気なく受け取ったあと、棗お姉ちゃんを二度見した。
「あれ?何処かで会ったこと……あります?」
「……はじめまして、もうひとりの私。私は『クロネコワルツの黒田棗』だよ」
「…………はぃ?」
ぽかんと口を開ける理久。可愛いな。
棗お姉ちゃんについて説明する。理久は暫く考えたあと、どこまで知っているのか訊ねていた。朝から夜まで、なんて言われたあと理久は凄く嫌そうな顔をしていた。
棗お姉ちゃんにからかわれる理久も、とても可愛い。
『クロウ』と違って『棗お姉ちゃん』は理久の記憶の殆どを持っているらしい。恐らく理久が秘密にしたいことも全部知ってしまっているのだろう。
俺だって、知られたくないことはいくつかあるから、それを全部知っている人間がいるというのはかなり嫌なんだろうな。
どんなに楽しくても、その時はやってくる。
棗お姉ちゃんは俺を優しく抱き寄せた。えへへ、とっても幸せ。
頭を撫でられる。気持ちいい。理久じゃないし、理久と同じ匂いはしないけど、とってもとっても幸せ。
お姉ちゃんが「……優也は斉藤理久と一緒に居られて、幸せ?」悲しそうな顔をしていた。
何故、そんなことを聞くのだろう。
「もちろん。すっごく幸せだよ。棗お姉ちゃんもいてくれるから、さらに幸せ」
「……私は本の世界の住人で、ずっと優也の傍にはいてあげられない。このリボンが消えたら、どうなるか分からない。優也は、本の世界じゃなくて、現実世界に生きてるんだよ」
「それくらいわかってるよ。だからちゃんと帰って、また来られる方法を見つけたかったんだけど……」
帰り方を探すこと、それは棗お姉ちゃんから止められてしまったから、仕方なくリボンが尽きるのを待つことになったのだが、正直俺は棗お姉ちゃんに消えて欲しくないし、まだ方法を探したい。
「……優也は『斉藤理久が借りた器』に記憶が残ることを知って私と出会った。私の他に記憶が残る存在が出てきたら、優也は絶対本の世界に囚われる。ちゃんと現実世界に生きて」
何も言えない。俺は現実から逃げて、理解することから逃げて、すれ違ったまま、この7階に引きこもっていた。
最近は少しだけ外に出るようになったけれど、それでもまだ、閉鎖的なこの世界に閉じこもる日が多い。
棗お姉ちゃんがリボンを見せてくれた。もう、残りがかなり少ない。
「……優也、約束して。ちゃんと現実世界で生きて」
「大丈夫。俺は本の世界で死んでも瓶は割られないし、寝てる状態だけどずっと現実世界で生きてるから」
「……そう、だね」
棗お姉ちゃんが、理久を見た。
「……斉藤理久。私はあなたに感謝する。同時に怨み続ける」
「どういうこと?」
棗お姉ちゃんは最後に一言俺へ囁くと瞬きの間に跡形もなく消えていた。
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