軽く寝てしまっていたらしい。ゆっくりと理久の腕の中から這い出して周囲を見渡す。
本の世界は昼になり、窓から見える海は輝いていた。
相変わらず理久はぐっすりと寝ている。頬を突っつくと眉間に皺を寄せて、もごもごと言葉にならない寝言を言っている。可愛いなぁ。
白紙の本を確認すると、主人公がこの街に到着していた。あれ?『ザレイン』の出番、もうすぐなんじゃない?
理久の体を揺すって起こそうとする。
「理久、起きて!ねえってば!!」
だめだ、喃語を口にするだけで生きる気配がない。
どうしよう。出番までに起きなかったら、これどうなるの?
白紙の本を確認しつつ、寝坊助さんを懸命に起こそうとするが、全く起きてくれない。
本来ザレインが登場する場面で、白紙の本の記述が止まった。本人寝てるから、そりゃあシナリオ進まないよね。
「理久!おーきーてー!!」
理久の頬を叩く。むにゃむにゃ、可愛い寝言をいってる。もう……どうすればいいの、これ。
羽根ペンを取り出した。何処までできるか分からないけれど、やってみよう。
このまま放置しすぎると、このシナリオは崩壊してしまう。
《モリスは意気揚々と釣り場へ向かう。》
モリスというのは主人公の名前。
釣り場に居たザレインと再会し、剣の手合わせをお願し、惨敗。ザレイン邸でみっちりとしごかれる……という筋書きである。
要はザレイン邸にモリス来てくれればなんとかなる。
それまで、何とか本を書き換えるしかあるまい。
さて、どこまで出来るかな。
《しかし、釣り場にはモリスが探していた者の姿はなく、見知らぬ釣り人が数名居るだけである。》
書き換えたことにより、白紙の本が少しだけ自体の違う文字でシナリオを動かし始めた。
《モリスは、探し人の行きそうな場所を考える。検討がつかない。》
すかさず書き換えた。
《釣り人のひとりがモリスに声をかけた。
「もしかしてザレインを探しているのかい?爺さんなら昨日、夜釣りをしていたからな。今頃、家で寝ているだろうよ」
モリスは探している人物──ザレインの家に向かうことに決める。》
こ、これでいいかな……?
長文になってしまったので書き換えが間に合うか冷や汗をかいたが何とか間に合ったようだ。
白紙の本が続けてきた文章に、思わずツッコミを入れてしまった。
《しかしモリスは首を傾げ、呟いた。
「ザレインの家、どこだっけ……」》
いや、なんで師匠の家分からないの?
住んでいたのではないのかと思わなくもないが、旅をして何年も帰っていなければ忘れるのかな。
このままではモリスがザレイン邸へたどり着けず、シナリオが崩壊してしまう。
最終手段だが仕方ない。
靴を履いて、身体強化能力をほぼ最大まで引き上げ、釣り場へと向かう。モリス邸が高台にあってくれて助かった。道が見えるんだもの。
唸っているモリスを見つけた。釣り人と話をしているが、ザレイン邸の正確な位置は分からないらしい。
深呼吸して、モリスに声をかける。
「おにいさん、ザレインおじいちゃんの家に用事なの?」
「え、うん…君は誰?」
「俺、おじいちゃんのところでお世話になってるの。おにいさんは剣の手合わせの希望なの?」
「そうだよ。世話になってるってことは弟子なのかな?」
「ううん。たまにお泊まりして、遊んでもらってるだけ!」
「ザレインの子ども好きは相変わらずなんだな」
なにか嬉しそうなモリスをザレイン邸へと案内し、客間に通した。
たまに遊びに来る少年A、役割終了である。
理久ことザレインが起きてきたのは、それから半刻ほど経ってからだった。
一応、説教した。
『器の持つ補正力』と俺の『契約者としての能力』で、本来よりはるかに凄い手合わせとなって、舞台はひと幕終わりを告げる。
ここからしばらく、ザレインとモリスの描写が続く。少年Aの出番は無い。
白紙の本を閉じた。俺は一足早く『迷魂』を探し始めよう。
先程釣り場へ移動した時はきちんと見れていなかったので、モリス邸を中心に『迷魂』らしいものを探すが何もない。
いつの間にか人の気配もない岩場にたどり着いた。
ずっと歩いてきたし、少し疲れちゃった。
本の世界でも澄み渡る空は綺麗で、お日様と潮風が気持ちいい。まだ水が沢山ある所は怖いけど、眺めるだけなら気持ちがいい。
のんびりしていると、隣に俺と同じくらいの歳の女の子が座ってきた。
「こんにちは」女の子が微笑む。
「こんにちは」微笑み返す。
理久の能力で、俺に対する意識を見る。
すかさず聖剣を手に持ち、距離をとった。
女の子から気持ち悪い程の悪意が向けられていたのだ。
「俺に、何する気?」
女の子はため息をついて立ち上がる。
「……同じ歳くらいの子ならと思ったが……やはり、パートナーの能力か。思考を読めたりするのか?」
ぱちん。女の子が指を鳴らす。
海の水が持ち上がり、大きな水の球となって俺に向かって飛んできた。
後方に向かって跳躍するが、すぐに水の球は方向を変える。
水の球が小さな欠片のようなものを吐き出すと、それが薄く平たい水の刃となって再度飛んでくる。
聖剣を大きくして弾いたが、手が痺れるほどの衝撃を受けた。
恐らく女の子の中身は攻撃系の能力をもつ『契約者』なのだろう。
補助的な能力の俺では相性の悪い相手だし、水を操る能力ならば海辺のこの場所は非常にまずい。
「さあ、どこまで耐えられるかな?見せてくれよ『聖剣士』サマ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『契約者としての能力』に、ゲームでいうところの回数制限のようなものは存在しない。
俺の能力にも効果時間や使用回数が存在しないように、あちらの能力もそれは同じ。
どれくらい戦っていたのだろう。
体力は自己治癒能力で回復させてはいたが、無限とも思える水の攻撃に体がついていかなかった。
どんなに強化したところで、もとは長期間ベッドで寝ているだけの11歳なのだから能力で誤魔化せる範囲にも限界がある。
それに体力は減らずとも普段とは比べ物にならない力を扱える身体をうまく動かすには集中する必要があり、削られるものもあるのだ。
四方八方から襲いかかる水の刃に反応しきれなかった。
足を一部切り裂かれた。自己治癒能力で回復しようとするが、恐らく向こうは『契約者狩り』のプロなのだろう。怪我をした一瞬を狙って今度は腹部と腕を狙われ、肉が割ける感覚に襲われる。
「ぅ……」
首を斬ろうとする水の刃をぎりぎりで避けた。理久の能力が無ければ、避ける事は出来なかっただろう。
再度首に向かって飛んできた刃を避けるが、今度は避けた先でも襲われる。
ざっくりと肩を斬られた。剣を落としそうになる。動きを止めれば、体のあちこちが斬り裂かれてゆく。
恐らく、今度は意図的に致命傷を避けて攻撃されている。
立っていられなくなって、地面に膝をついた。
「うーん……『死神』の再来、なんて聞いて来てみたら……『聖剣士』サマ?やっぱりガキじゃん。これじゃ拍子抜けだよ」
女の子がため息をつく。
「もう飽きちゃった。死んで?」
高速で飛んでくる刃が、ゆっくりに見えた。
体が、上手く動かせない。
──殺される。
目をきつく瞑った。
しかし、俺の体に傷が増えることは無かった。
「お、お前は何者だ!!」
女の子の焦った声が聞こえた。目を開ける。
目の前には、着物を着た男性が立っていた。
彼が振り向き、にっこりと笑う。
「大丈夫か?」
見慣れた顔の、だいすきなひと。
「……限界、だったかな。もう、だめかも」
「そっか。お前はそこで休んでろ。3段階貸してくれ」
「剣も使う?」
「いや、『この器』は、こっちの方が良いらしい」
理久が持っていたのは、日本刀とも呼ばれる武器。『契約者としての能力』と『シナリオ上の道具』を比較すれば余程の例外を除き、前者に軍配が上がる。
そう、余程の例外を除き、である。
「わかった」
身体強化能力を3段階貸して、横になった。もう、体、動かないや。
理久ことザレインは、日本刀を構えると『少女の器を借りた契約者』に向き直る。
「………俺の親友、ここまで傷つけて……タダで帰れると思うなよ」
親友の声が、聞いた事のない声に聞こえた。
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