しばらくして、流成が戻ってきた。
鼻血なのか、顔は血濡れになっている。
ハンカチを濡らして、流成の顔を拭いてあげると、すごく痛そうに顔を歪めていた。
「ごめんね、俺のせいでこんな怪我…」
「別に。でも津川の奴、優也の宝物どっかに隠しやがって……取り返せなかった。ごめん」
「……流成が謝ることじゃない」
血を綺麗に拭き取ると、頬も腫れているのがよくわかった。どうやら口も少し切っているみたい。
治るのに時間がかかりそう。血を拭き取っていたハンカチが真っ赤になってしまった。
「痛いよね、ごめんね……」
俺のせいで流成が怪我をしてしまった。なんで、俺に優しくする人はみんな傷付くんだろう。
俺が悪い子だから、みんなが怪我をしたりするのかな。
頭が、酷く痛い。
ごめんなさい。俺のせいで、ごめんなさい。みんなみんな傷付いちゃう。俺なんて──
頭をぺしっと叩かれた。
「泣いてんじゃねえよ!まずはどうやって取り返すか考えろっての!!」
「……うん、そう、だね」
でも俺、どうすればいいのかわかんないや。
「力ずくでは取り返せない。なら、ちゃんとした方法で取り返すしかない。そういうのはお前の得意分野だろ?」
「……頭を使えってこと?」
「そう!俺には無理!」
胸を張って言うことではないと思うけれど、実際流成は殴って解決しろといったスタンスだし、何かを考えるのには向いていない。
あのペンダントは俺の『契約者としての能力そのもの』だ。必ず取り返さないといけないが、取り返す願いをかけるにしても、その前にひとつ叶えるべき願いがあるか。
「ねえ流成。今から俺がやること、絶対他の人には言わないでね」
「お?」
手のひらに小瓶を召喚し、栓を抜く。
マジックなのかと目を丸くする流成の前で、願いを口にした。
「《名守流成の怪我を治して》」
小瓶の砂が少しだけ光って、また元に戻る。
「……もう、痛くない?」
「え?あ、あれっ。ほんとだ痛くない!!」
「うん、ちゃんと治ったみたい。良かった」
「優也って魔法を使えんの?」
「ううん、そういう訳じゃなくて、お願いごとを叶えられる魔法の砂を持ってただけだよ」
「何それかっけー!!」
目を輝かせる流成の前で、物は試しと再度願いを口にする。
「《盗られた峰岸優也のペンダントが、何処にあるのか教えて欲しい》」
小瓶の砂は光らなかった。やっぱりだめか。
基本的に、小瓶に願う場合は主語や述語、名詞といったものをはっきりと口にしなければいけない。
俺が譲り受けたことになっていたお母さんの遺品になる宝飾品の類は、幼い頃に家政婦にほぼ全て盗まれているらしいので『峰岸優也の盗られたペンダント』と定義すると曖昧すぎるのだろう。
砂を使っても駄目、直接取り返すのも駄目。
どうすればいいのだろう?
父さんに盗られたことを伝えれば、何かしら動いてくれるとは思うけど。
午前中の残りの授業は、さぼってしまった。
正確には教室に戻ろうとしたものの、ペンダントが無くなって体が上手く動かせず、見かねた流成に保健室へ連れて行ってもらったというべきか。
少し歩くのでもかなりきつい。こんなに俺の体、弱ってたんだな。
流成と千隼が運んできてくれた給食も、殆ど残してしまった。
昼休み、俺のペンダントを盗った津川想真とその取り巻きが保健室にやってきた。
先生が居ないタイミングを狙って来たのだろう。
目の前にペンダントをぶら下げられる。
返してとお願いしたら、また奴隷になるようにと言われた。
「首のソレ、代わりに良いもの付けてやるよ」
縄跳びの紐を見せられる。津川想馬がソレとよんだのは、俺の首についていたチョーカーのことだろう。
「これは自分で外せないの。縄跳びの紐で何する気?」
こうするんだよ、と津川想真は俺に手を伸ばしてくる。振り払おうとすると、取り巻きに腕を掴まれた。
身動きが取れずにいると、首に縄跳びの紐を括り付けられる。
「言うこと聞いたら、返してやってもいいけど…そうじゃなかったらコレ、捨てちゃおっかな~」
「やめて…返して………」
ぎゅっと縄跳びの紐を引っ張られる。息が苦しい。
「だったらどうすりゃいいか分かるよな?」
強く頭を殴られた。
ぐるぐると回る視界には、にっこりと笑った津川の顔。
「ぁ……ぁぅ………」
心的外傷を引き起こす条件は、十分揃っていた。
視界が暗くなる。体が重りでも付けられたかのように動かない。
息が上手く吸えない。
上手く呼吸が出来ない様子を、津川達は面白がって何度も何度も紐を絞めてきた。
しばらくして先生が戻ってきた。
先生は津川達を見舞いに来た生徒と認識し、俺の首にかけられた縄跳びの紐にはなんの言及もしない。
丁度、昼休みが終わる予鈴が鳴った。
遊ぶくらいなら教室に戻れと保健の先生から言われて追い出されてしまった。
津川達の手で教室に連れていかれる。
途中、蹴られたり、殴られたりもした。
無理矢理歩かされ、教室についた瞬間倒れてしまった。出入口で寝るなと津川に体を蹴られ、縄跳びの紐が引っ張られる。喉から変な音が出た。
流成が怒鳴りながら駆け寄ってきた。
「お前ら優也に何やって………」
流成の言葉は途中で消えてしまう。
見上げると、津川は輝く砂の入った小瓶を手に持ち、栓を抜いていた。
「《名守流成は、峰岸優也の事を認識出来ないようにしてくれ》」
小瓶の砂が軽く光る。流成が首を傾げた。
「俺、何やってたんだろ?」
授業中に殴られても、蹴られても、誰も気には止めなかった。
先生も仲がいいね、なんて笑う程。
津川想真は『契約者』だ。恐らく何かしらの願いをかけたのだろう。
放課後はすぐにハセガワが迎えに来てくれたから、痛いことはされずに済んだ。
7階に戻り、すぐベッドへ倒れるように横になった。
身体中が痛い。服をめくると、蹴られたところが痣になっていた。
翌日、流成には挨拶をしても認識して貰えなかった。同様に琹音や千隼にも認識してもらえない。
恐らく俺の見方になりそうな人間には特別に砂に願いをかけたのだろう。
今日も沢山蹴られて、殴られた。首に紐を付けられて、引っ張られた。
苦しくて、何度もやめてとお願いした。聞いて貰えなかった。
何度も心的外傷が呼び起こされ、その度に津川は歓喜する。
津川は毎日、俺に暴力を振るう前に必ずペンダントを目の前にぶら下げてくる。捨てられてないと安心出来る瞬間ではあった。
何度も返してとお願いした。返して貰えなかった。
どうやら津川に付けられた怪我や痣は、大人は認識できないらしい。そういう願いなのだろう。
俺は、元々体が強くない。あまり悠長なことはしていられない。俺の体が持たない。
保健室に逃げ込んでも、先生は助けてくれない。
願いを打ち消すにも、どんな願いか分からない。
痛くて苦しくて、もう動けないと思ったら眠る前に「《体の怪我、中身を治して》」少し砂を使う。
剣が無いから『迷魂狩り』は到底不可能。
打ち消す願いの為にも、温存しなきゃ。
どれくらい繰り返しただろう。
服を脱がされそうになったのは初日だけだったが、その代わり殴る蹴るといった暴力が多く、体中痣だらけ、傷だらけになってしまった。
筆記用具は何度も無くした。
ペンダントを取り返さないといけないから休むつもりはないけれど、学校を休んだら捨てると脅された。
……いや、俺は確実に休まないといけない期間がある。その期間が来たらどうしよう。本当に捨てられちゃう?
保健室では助けて貰えない。津川に暴力を振るわれても、遊んでいるとして認識されてしまう。
よく考えたら、眠気を感じて保健室に行きたいと言ったあの時には既に津川は砂を使っていたのかもしれない。
それに最近、殆ど本が読めてない。ご飯もほとんど食べられない。
父さんが心配して点滴を打ってくれるけれど気休め程度。体力も限界。
怪我は父さんにも認識出来ないらしい。
保健室で酸素マスクを付けて横になっていると、いつの間にか寝てしまっていた。
飛び起きて時間を確認する。あまり長く寝ていたらまた津川が来ちゃう。でも、逃げたらペンダント捨てられちゃう。
ベッドから飛び降りて、首を傾げた。体が軽い?
怪我はしたままだし痛いけど、でも体はすごく楽。
何かが音を立てて落ちた。
俺のペンダントのように見える。というか俺のペンダントだ。
どうして、これがここにあるの?
教室に戻ると、流成が「よっ、具合は良くなったか?」笑顔を向けてきた。
「りゅーーせぇぇえ!!!」
思わず抱きついてしまう。怖い夢でも見たのかと茶化された。
あれが夢な訳ないじゃん。夢だったならどれだけいいかと何度思ったことか!
「……マジで変な夢でも見たのか?」
ため息をつく流成に抗議する声がした。千隼である。
「あっ!ずるい!!流成そこ変わって!!僕の場所!!!優也!僕にも!僕にもぎゅっと…アツい抱擁を……」
「なんかヤダ」
「なんで!!!」
ふと周囲を見渡すと、また何かやってるといわんばかりに、見て見ぬふりをされていることに気づいた。
同じ見て見ぬふりだが、全然感覚が違う。
「そうだ、津川。津川想真はどこ?」
俺が名前を口にすると、流成は首を傾げた。
「津川想真?誰それ」
「ふぇ?」
間抜けな声が出てしまった。
クリスを見ると、こっそりと教えてくれた。
これは『契約者が禁則事項に触れて契約破棄となった場合に起きるペナルティ』なのだとか。
「ど、どういうこと…?」
なんだかよく分からないけれど、津川想真という人間の存在そのものが消えてしまったということなのだろうか。
とりあえずペンダントは戻ってきたし、これ以上考えてもどうしようもないと思う。
でも、また何かしらの理由で取られてしまう可能性を考えたら、学校にはペンダント無しで登校した方がいいのかもしれないな、なんて思った。
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