目を開けると理久が居る。
本の世界なら俺は、呪われていない普通の男の子として生きていられる。
しばらく理久の寝顔を眺めたあと、布団から這い出した。
どれくらい時間が経ったのだろう。現実世界の時間は恐らく1時間も過ぎていないと思うけど。
窓を見る。どうやら本の世界は朝のようだ。
少しだけ朝の散歩をしてこようかな。
靴を履いて、窓から飛び降りる。
聖剣の身体強化は本当に便利。現実ではありえない動きも簡単に出来てしまう。
とりあえず朝市に向かおう。
何回も同じ世界に入ることが無かったから知らなかったこと。
制限はあるものの、身に付けられる範囲の荷物であれば以前訪れた際に手に入れたものは引き継がれる。
つまり、俺が何度も入って魔物を討伐して稼いだお金なんかを最初から持った状態で本の世界に入ることが出来る。
ポケットの中にあるお金は銅貨6枚と大銅貨2枚、小銀貨が2枚に銀貨1枚といったところのはず。
銅貨1枚で百円程度、大銅貨1枚で千円、小銀貨1枚で1万円くらいと考えると分かりやすいかもしれない。
この朝市も、何回も来ているからどれが美味しいか理解している。
お気に入りのハムとチーズ、パンを買いに行く。同じものを売る店は沢山あるけれど、1番美味しいと感じたお店は覚えている。
ついでにレタスっぽい味と食感と見た目の野菜も追加。バッチリ予算内で買い物を済ませ、宿に戻る。窓からただいま。
材料はこれから切らないといけない。まあ、これで切ればいいかな。うんうん、やっぱり切れ味良いなぁ。
材料を切り終えた頃に、理久が起きた。
「理久おはよー!ご飯の用意、もうすぐ終わるよ!」
「お、おお……うおおお?!」
ベッドから飛び上がりながら起きる理久。何に驚いてるんだろう?いつも作ってもらってるし、たまにはと思ったんだけど。
「どうしたの?」
「い、いや…起きてすぐに見たものが、至近距離で大剣持った人間だったら驚くだろ……」
「あっ」
食材は切り終えたし、聖剣はもとのペンダントに戻しておこう。ありゃ、リボンがすごく長くなっちゃった。とりあえずリボン結びで、これでよし。
「優也って時々変なところでズレてるよな。実はお馬鹿?」
「黙らっしゃい」
テーブルの上に並んだ食材を見て「もしかして、剣でハムとかパンとか切った…?」困惑と笑顔の混じった微妙な表情をしている。
「そうだけど」
「その剣って、人を斬ったりしてるよな?」
「今回この世界に来てからはパンとハムとチーズしか切っておりませんが」
「そういう問題?」
何かおかしかっただろうか?確かに戦闘で色んなものを斬ってはいるから、その後なら思うところはある。
でも今回この世界に入ってからはまだ食材しか切ってないし、別にいいと思うんだけど。
「聖剣だから仮に汚れても浄化されて綺麗になるし、下手な刃物よりは清潔だよ」
理久が何かを諦めた顔をした。なんだよもう。
食材をパンに挟んで手渡した。
「はい。俺だって少しくらいは料理できるからね」
「お前が何か作ってんのそういや初めて見たな」
「いつも電子レンジで料理してるでしょ」
冷凍食品は料理と言えるのか疑問ではあるが、とりあえず俺の中では料理である。
食べれれば料理。そう教わって育ちましたし?
理久が「電子レンジで出来る料理なら優也でも作れるか…」何か考えていた。そういえば理久って、どうやって料理覚えたんだろうか。
とりあえずそれより、早く食べて欲しいと伝える。
急かされた理久がサンドイッチを口に運ぼうとし「あれ?お前の分は?」ひとり分しか作っていないことに気づいた。
「俺はこの世界で食べても意味が無いから…」
少なくとも本の世界は俺にとって夢である。
夢の中で食べたところで何も変わらないことを伝えると、理久が聖剣を出して欲しいと言ってくる。
「何に使うの?」
「そのまま持っててくれるか?こうして…ほら」
サンドイッチが半分に斬られ、片割れが俺に突き出された。
「意味はなくても、気分的なもんは変わるだろ?」
「確かに空腹感や満腹感は感じるけど、俺は『他の契約者』と違って食べなくても問題は無いよ。本当の体は寝てるわけだし」
理久が口をとがらせ、握らせてくる。
「腹が減ったら食わないと……うわ、これ美味いな」
理久はよく食べるから、これだけじゃ足りないと思う。
現実でも朝ご飯を食べると思って夜食くらいの量を用意したつもりだったのになぁ。
サンドイッチを口に含んだ。現実の身体はまだ、固形物を受け付けないから変な感覚ではある。
食材そのものが美味しいのでまあ当然といった味。
俺が食べ切る頃には、理久は着替えを済ませていた。俺、食べるのちょっと遅いんだよね。
今本の世界から出れば、現実世界ではまだ夜中。
これから本を読むかと訊ねたら、明日は理久が学校らしい。課題をやっていないことを思い出したとか何とか。
持ってきているのか訊ねると、家にあるのだそうで。電車もバスも、もう動いていない時間だからと理久は諦めかけている。
「本を通して移動できるとしたら、移動したい?」
「そんなことできんの?」
「うん。でもね、ひとつだけお願い」
理久が首を傾げた。
「怒らないで欲しいんだけど……なんで、本の世界に全身入る『普通の契約者』が、元の本……もとの扉をくぐれるか、分かる?」
そういえば不思議だと考える理久に、ペンダントを握らせた。
「それは小瓶が『扉の座標』を記憶してるから。理久の小瓶が今記憶してる座標は俺の本、『扉の座標』だから、外に出ても俺の部屋に出る。でもね…」
もし、何かあれば本を通じて移動ができるように、現実世界で理久の家に遊びに行った時、聖剣のリボンの端を少し切ったものを理久の本に挟んだことを伝えた。
「勝手に、本に挟んでごめんね」
「それ自体はいいんだけど、普通は出来ないんじゃね?」
「普通は、扉がなくなってしまった『契約者』が、 『他の契約者』が開けた扉を一緒に通る形で移動するの。本来瓶が覚えてる座標の代わりに、俺の剣を使ってるだけ」
理久がペンダントを眺める。やっぱり本の世界では触られても何も感じないや。
「その剣で理久が自分の白紙の本を刺せば、剣が導いてくれるから移動できるよ」
理久が白紙の本を出した。
「ありがとう。お前はどうすんの?」
「朝になって体が起きれば、そのまま起きれる。剣はね、実は必要ないの」
「そっか…それなら課題やってくるわ…」
白紙の本はペンダントの剣を刺された瞬間、光の粒になりながら理久を包み込んだ。
数秒の間に、理久の姿が消える。
理久が、理久の家の本に戻った瞬間膝をつく。やっぱり、そうなるよね。
聖剣も理久の方に行ったのだから、当然身体強化能力は切れるし、俺は3ヶ月寝ていた10歳に戻ってしまう。
ベッドに寄りかかって、目を瞑った。
とりあえず、現実の身体が起きるまでじっとしてよう。
目を開けると、まだ本の中の世界だった。
ベッドに寝かされている。
「あ、起きた。……大丈夫かい?」
男性が水を含ませた手拭いを絞って、俺の額に乗せてくれた。
多分この人は『理久が借りた登場人物』だと思う。
ゆっくり体を起こした。
「看病、ありがとう」
「いいえ。熱が出てたけど……うわ、まだ熱いね」
「楽にはなったよ」
話の進行上は問題ないはずだけど、俺は今、部屋にいつの間にか忍び込んで倒れていた子どもにしか見えないはずだ。不審極まりない。どうしよう。
男性は俺をじっとみながら訊ねてくる。
「良かった。それならあのさ、看病のお礼って言っちゃなんだけど、教えて欲しい。君の名前『峰岸優也』で、あってる?」
「違います」
彼はまさか『契約者』なのだろうか?
「やっぱり違うよね、ごめんね」
悲しそうに微笑む彼は頭を押さえ、首を傾げた。
「じゃあ『斉藤理久』って、誰かわかる?」
「分からないけど、その人がどうしたの?」
俺は今、体がいうことを効かない。もしここで悪意ある『契約者』に遭遇すれば、武器も何も無いのだから酷い目に遭う可能性だってある。
小瓶で何とか逃げ切る方法を考えるが、その必要はなかった。
「ううん。ぼんやりとしてるんだけど、なんだか、その人物になったような、そんな夢を見ていた気がして。昨日、飲みすぎたのかな」
どんな夢なのか訊ねると、彼は唸りながら話してくれる。
「ずっとずっと、誰かを探して、見つからなくて、誰とも関わりたくなくて、ひとりになりたくて、ひとりになって、出会った男の子が、きみにそっくりな『峰岸優也』って子。柔らかくて暖かくて、小さくて、何故か心を許してしまった、可愛くて、すごくすごく、大切な子だった……気がするんだけど……」
「……そう」
登場人物という『器』はそれ以上もそれ以外でもなんでもない。そもそも生きている人間ではない。
その世界で暮らしているという点では人間に近いのかも知れないが、あくまで物語を構成する歯車に過ぎない。
借りた『契約者』が離れれば、物語に必要であれば再設置される。
そもそも『理久が借りた器』にはもう出番がないはずで、再設置されたこともおかしいし『器』が『契約者の記憶』を得るなんて、聞いたことがない。
だから彼の言うことは理久の記憶でも、感情でも、何でもあるはずがない。
「じゃあ、俺の事は『ユウヤ』って呼んでよ。あんたの名前も教えて欲しい」
とりあえず今は理久の記憶がどれほどあるのかを確認すべきだし、どうしてそんな状況になっているのか確認すべきだと思う。この変化は今回だけなのか、それとも今まで起きていたことなのか。
「わかった。僕の名前は『クロウ』だよ」
クロウは自分の中にある他人の記憶──理久の記憶について話してくれる。
どうやら理久の記憶の殆どが頭の中にあるらしいが、ここが本の中の世界であることを含め『契約者』としての記憶は存在しないようだ。
前世、なんて言い方をしているし時々ラノベだのなんだの言ってるから多分そう。理久ってそういう、オタク的なところあるよなぁとは思ってたけど。
それよりも、話を聞く限り俺が『寝てる間』に兄貴と凄く仲良く過ごしてるみたいなんですけども。え、ふたりで遊びに行ったの?なんかずるい。
これは今度兄貴を問い詰めないといけないと思いつつ、クロウの話を聞く。うん、やっぱり理久と仲良くふたりでお出かけなんて、兄貴許すまじ。
昼を告げる鐘が鳴り、かなりの長時間話していたことに気づいた。クロウがしまった、という顔をする。今日家賃の支払いができなければ追い出されてしまうらしい。
そういえば冒険者稼業ってその日その日で生活してたりするんだっけ。世界が違うけれど、以前理久が借りていた『ビレー』は結構しっかりと稼いでいた冒険者なのかも。
いくら滞納しているのか聞いたら、先月も滞納しているせいで小銀貨4枚らしい。半分くらい足りないんだとか。
宿の相場は分ちょっと俺には分からないけれど、2ヶ月で4万と考えると、安い方なのかな?でも、今日1日頑張ったところで巻き返せるのかは微妙。
頭を抱えるクロウ。つんつんと脇腹を突っついて、ポケットから取り出した換金前の小さい魔石をひとつ渡す。
「これ、足しにして欲しい」
「え?なにこれ、魔石?嘘でしょ?」
魔石自体が高価なものではあるので小銀貨3枚くらいにはなるはず。
「今この場所追い出されると俺も困るし」
「ありがとうユウヤぁ~~!!」
これで足りると歓喜するクロウに抱きつかれた。うーん。理久の方がいいなぁ。
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