昼食は持ち帰り用の焼きそばにした。というか、あまり食欲もないしハセガワのものを少し貰ったのだけど。
小さいパンに挟んでもらい、焼きそばパンにして食べる。ハセガワから半分凍ったオレンジジュースを貰った。
「優也君、理久君と喧嘩したんですか?」
「べつに……」
「優也君はいつも我儘で、自分が中心になって周りを動かします。今日だってそう。頭がいい代わりに、頑固で、頭が悪い」
「うるさい」
「おやおや、これは失礼」
理久が俺を心配してくれてることくらいわかってる。でも、俺も理久のことが心配。なのにわかってもらえない。
「理久がわからずやなんだよ」
ハセガワが少しだけ微笑んで「理久君と出会ってから、優也君は変わりましたね」俺の隣で炭酸飲料の缶をあけた。
ハセガワってよく甘いものを飲むんだよな。コーヒーとかすごく沢山砂糖を入れてるし。
「人と関わらなければ衝突することもありません。衝突することがなければ傷つくことも無い。まさか優也君が誰かと喧嘩をすることがあるなんて、夢にも思いませんでしたよ」
頭を撫でられた。返事はしない。代わりに氷の部分だけになったジュースを押し付けた。
「少し遊んでくる」
「あまり遠くには行かないでくださいね」
「わかってるよ」
そういえば、初めて会った時も理久と喧嘩したな、なんて思った。
ゆっくり歩いて、海水浴場の端まで来た。
ここは、階段に近いほうの端。
誰もついてきていないことは確認したから、多分『他の契約者』に襲われたりもしないと思う。見通しも、とても良い。
ペンダントを外し、足元に置いた。
1歩下がる。海水浴場の方を見るが『迷魂』の姿は無い。
一般人に取り憑いていなくても、剣で直接突き刺せば回収出来る。
しばらく周囲を警戒するが『迷魂』は現れない。
ペンダントを拾い上げ、来た道を戻る。
ハセガワが荷物番として居るはずだが、荷物の場所には誰もいない。トイレかな?
仕方が無いので俺が荷物番になる。
数分待っても帰ってこない。混んでるのかなぁ。
仕方ないからバッグから携帯を取り出して、連絡を……通知の量に驚いた。全部兄貴からのもの。
メッセージを確認して、俺は後悔しながら海の家へと走った。
海の家では理久が『迷魂特有のモヤ』を纏った状態で寝かされていた。
一般人にはモヤが見えないから、理久がただ苦しそうなだけに見えるのだろう。
懸命に父さんと兄貴が理久を介抱している。
理久に近づいた。名前を呼ぶ。返事は無い。
何故気付かなかったのだろう。
『契約者に取り憑いた迷魂』は瓶が割れるまで移動することは無い。
今まですぐ俺のもとに引き寄せられていた『迷魂』が来なかった理由。
俺の瓶の規格がおかしいだけで、本来『人間を生き返らせる』という願いは最大級の大きさといっても過言では無い。
理久のペースが速すぎるだけで、数年かけて少しずつ貯まっていくような願いだ。
この周囲にいる『契約者』の中で俺を除外すれば理久の瓶の大きさが最大となるのは必然だった。
「ごめん、ごめんね、理久……」
何がいけなかった?どうしてこうなった?俺が意地を張って、理久から離れたから?
手を握ると、理久がうっすらと目を開けて微笑む。
「ゆ、や……ご、め…………な」
硝子が欠けるような、嫌な音が聞こえた。理久が苦しそうな声を出し、気を失う。
「嫌…嫌だ!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!理久!!理久!!!しっかりして!お願いだから!!」
また、硝子の砕ける様な音が聞こえる。
やめて、お願いだから、やめて。理久の瓶を壊さないで。これ以上、理久を苦しませないで。
理久に抱きつこうとして抱きつけなかった。腕を強く引かれ、振り返るとハセガワが初めて見るような怖い顔をしていた。
「優也君。邪魔になる。離れなさい」
「嫌」
「そうか。解った……ごめんな、優也君」
頬を強く叩かれた。そのまま身体が床へ叩きつけられる。
「いたっ……何す…」
タオルのようなもので目を塞がれた。
ハセガワが耳元で囁く。
「動くな」
何が起きたのか理解ができなかった。
突然息が上手く吸えなくなった。身体に力が入らなくなった。ものすごく、ものすごく怖い。
動いちゃいけない、体がいうことをきかない。なにも考えられない。
拘束されていないのに、体を動かせない。
寒くもないのに、震えが止まらない。
───怖い。
ハセガワは父さんと話をすると、俺を抱え、歩き始める。目隠しはされたままだ。
足音が木材から砂に変わった。恐らく、理久から離れていっているのだろう。
やめて、理久から離れたくない、まだ、謝らなきゃいけないことあるのに。やめて、引き離さないで。
身体が動かない。声が出ない。息が吸えない。
「ものすごく怖いでしょう。ごめんね優也君」
ハセガワの声はいつもの声だった。真っ暗な世界。なにも考えられない。
何か、言われたことに対して逆らってはいけないという恐怖心に縛られて、身体が動かない。
荷物を置いていた場所に着いたらしく、目隠しは外してくれた。視界が明るくなると息も吸えるようになったけど、身体は力が入らない。
「俺に……なに、した、の…?」
ハセガワは目を伏せる。
「こたえ…ろ。俺、に、何…を……した?」
何とか声を出すが、かすれた声になる。
「医院長…優也君のお父さんから……優也君が7階で生活しはじめた頃から、許可は貰っていました。家政婦が自白した『いうことを聞かせる方法』です」
「なに、それ…………」
「知らなくて当然です。物心着く前から少しずつ、そして『寝ている期間』に、自分たちに都合がいいように優也君を動かすために仕込まれた『教育』のひとつでしょうから」
今までハセガワには沢山我儘を言ってきた。その度にハセガワは、可能な限り叶えてくれた。時には叱って、時には心配してくれた。
ハセガワは俺がどんなに我儘を言って、いうことを聞かなくても家政婦達が俺に仕込んだ『言う事を聞かせる手段』を知っていて、それでも使わずに今まで接してくれていたことになる。
「彼女たちは、繰り返し行うことで優也君の体は勿論、意識や思考も全てを思い通りにしていたようです。覚えていませんか?」
「わかんない、よ……」
「本人は操られているという感覚が無いのでしょう。優也君の目の前にいる私は、凄く恐ろしい対象に見えているでしょう?」
酷く悲しそうな顔をするハセガワ。あれ、でも全然怖くないよ?
「ひとつだけ、聞いていい?」
「なんですか?」
「ハセガワは、理久から出るモヤ、見えてたんでしょ?」
「なんのことでしょうか」
「一般人にはモヤは見えない。あそこは食堂だよ?多分、父さんや兄貴は食中りと判断して応急処置をしてた。でもハセガワだけは理久が意識を失って、慌てて俺を引き剥がした。普通なら引き剥がす必要は無いんじゃない?」
「優也君が正気を失っていたから、連れてきただけです」
「それだけじゃないんだ。俺、今日を何回もやり直してるんだよ。その度に不思議だったけどハセガワは必ず、理久が助からない前提で動く。状況が定かでは無い時でもそう。だから思うんだ。ハセガワは『契約者』だよね」
ハセガワは暫く黙っていたが、ため息をついて「優也君には敵いませんね。その通り、見えていました。しかしあれが何なのかは分かりません。何か危ないものに見えましたから、理久君から引き離しました。それから『契約者』とは何の契約でしょうか」苦笑した。
クリスに確認する。
すると『契約者』だからモヤが見えるのではなく『契約者の素質がある魂の持ち主』だから見えるのだそう。
つまりハセガワは何かを強く願ったことがないだけの『契約者に近い一般人』ということになる。
「そっか、そうだったんだ」
直感的に危険なものだと判断したから、自分が嫌われる事を覚悟で無理矢理俺を引き離す。
そんなこと簡単には出来ないと思う。
「ねえハセガワ。俺さ、ハセガワのこと怖くないみたい」
何とか動くようになってきた両手で、ハセガワの手を握った。裾から服の中に手を入れさせ、胸元に持っていく。
シャツの中に入れていたペンダントに、そっとハセガワの手を触れさせた。
理久が瓶に触れた時や、繰り返した時の中で襲ってきた男たちに触れられた時とは、また違う感覚が全身に広がる。
暖かく、優しい何かが、そっと全身を包み込んでくれているような感覚。
「……うん、怖くないよ。凄くびっくりして怖かったど、ハセガワは怖くないみたい」
自然と笑みが出た。
ハセガワは泣きそうな顔をしながら「ごめんね、優也君」俺の頭を優しく撫でてくれた。やっぱり、ハセガワの手も怖くないや。
「ねえハセガワ、ひとつだけ謝らないといけないの」
「なんでしょうか?」
「ハセガワが近くに居た時って今回以外に無いんだよね。カマかけたの。ごめんね」
舌を出した。俺を叩いた仕返しです。べぇー。
「優也君のことですから、予知夢的なものの話かと思いましたよ」
「俺、よく寝るけどそういう能力はないよ?」
小瓶を召喚する。
今度こそ。理久を助ける願いを口にする。
「《時間を巻き戻して》」
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