今日は早く目が覚めた。
くせっ毛の髪をといて、暑すぎないように、でもラフすぎないような格好。
兄貴にも一応見てもらって変じゃないことは確認したし、これでいいかな?
携帯型の酸素マスクを鞄に入れて、ハンカチも入れて、あとは、カードキーと出雲石の鍵、それからお財布。
あ、携帯電話忘れるところだった。
荷物をよく確認して関係者用のエレベーターで地下の駐車場まで下りる。
扉があくとハセガワと父さんが待っていた。
おはようと挨拶をされたから、挨拶を返す。
父さんとふたりで後部座席にすわる。何年ぶりの外出だろうか。
ふと父さんの方を見ると、ずっと俺の顔を見ていたらしく目が合った。すぐに目をそらされる。どうしたのだろう。
出かけ先は植物園だった。綺麗な花が沢山咲いていた。
しばらく鑑賞していたら父さんの持っていた携帯に何か連絡があった。どうやら俺の少し体温が高くなりすぎていたことを知らせるもので、異常があれば自動で警告してくれるらしい。
すぐに木陰のベンチで買ってもらったアイスクリームを食べる。美味しいのは良いが、やっぱり気になる。なんで植物園に来たの?
父さんに訊ねると凄く申し訳なさそうに話をしてくれた。
「優也が小さい頃、行きたいと言ったんだよ。でもその日、連れて来られなかった場所なんだ。覚えてないかい?」
はて、そんなことあっただろうか?7階で生活する前の記憶って無い箇所が多いんだよね。
「ごめんなさい。よく、覚えてない……」
父さんは悲しそうに微笑んだ。
「無理もないか。あの日から父さんは優也と顔を合わせるのが怖かったんだ」
やっぱり、なんのことなのか分からない。
「俺、父さんに謝られること、された記憶ないよ?」
記憶がない箇所が多いにしても、やっぱり父さんの言うことには心当たりがない。
「拓矢から先日のことを聞いたら、父さんも話をしないといけないとは思っていた。けれど今更どうやって話をしたらいいのか分からなかった。そうしたら電話がかかってきた。この機会を逃したら二度と話が出来ないと思ったから、優也が行きたいと言っていた場所に……」
「ちょっと待って、父さん。やっぱり何の話されてんのかわかんない。俺、父さんに何も酷いことされてないって」
父さんは首を振った。
「優也が家政婦に虐待される原因を作ったのは父さんだ。他人に大事な息子を任せっきりにしてしまった父さんのせいなんだ。父さんがお前を虐待していたのと同じなんだ。……父親なんて、言える立場じゃないんだ」
──ああ、そういうこと。
なんと声をかければいいか分からなかった。
許すとか、許さないとか、そいういった次元の話では無い。
あの頃は毎日が痛くて、苦しくて、悲しくて、怖くて、そして今だから分かる。多分、とてもとても寂しかった。
けして『気にしてない』なんて言えるものじゃない。
だけど、ひとつだけ言いたい。
「父さんが父さんじゃないなら、誰が俺の父親なのさ。馬鹿なこと言わないで」
「それ、は………」
「父さんは自分が虐待したようなものだって言ったけど、それなら俺は…お母さんを殺した人殺しだよ。俺を産まなければ、お母さんは死ぬことはなかった。そう教えられて、少しでもいい子になりなさいって躾をされてた」
家政婦から、俺がずっと言われていたこと。だから生まれつき呪いを受けたのだと、ひとより悪い子なのだと、そう教えられたことを伝える。父さんは言葉が出ないようだった。
「俺の事、人殺しだと恨んでるなら俺の事を虐待したんだと勝手に思ってろ。違うならそんなこと言わないで」
出雲石の嵌った家の鍵を取り出した。自分の目元に近づける。
「少なくとも、殆ど会ってないのに俺の目の色を正確に覚えてたんだ。すごく、よく見てくれてる父さんだよ。あ、でも毎月の検査結果とか見ればわかる?」
父さんは首を振る。
「検査の写真は……目の写真はカラーで撮っていないよ。小さい頃の写真と記憶だけで選んだ。……少しお前の目の方が明るいな。よく見てもいいか?」
「どーぞ、ご勝手に」
父さんが顔を近づけて、じっと目を見てくる。少し恥ずかしい。
「本当に宝石みたいな目だな……綺麗だ」
「医学的な興味でも湧きますかな?」
「そうだな。その目は母さんと同じ目だよ。遺伝子学的な意味で興味は出てくるかもしれないな」
「その時は協力してやるよ。生憎髪は宝石みたいな色じゃなくて真っ黒ですけど」
わしゃわしゃと髪を撫でられた。髪がぐしゃぐしゃになってしまった。
軽く手櫛で整える。もう、折角といたのに。
ちょっとだけ我儘言っても許されるかな?
「ねえ父さん。今度のお休みの日なんだけど…2日連続だったよね、みんなで海に行きたい。連れて行って?」
「任せろ。泊まりでバーベキューでもやるか」
一瞬、理解が出来なかった。
泊まりということは、つまり一度必ず寝るわけで、保険的な簡易酸素マスクでは絶対に足りない。あの機械簡単に持ち運びできるものでは無い筈なのだけど。
「あの、すごく大荷物になりますが大丈夫でしょうか?」
「別荘を使えばいいだろう?時々拓矢も使ってるし、優也も泊まれるようになっているよ」
別荘なんてあったんだ。知らなかった。
理久も誘っていいか訊ねると、むしろ絶対に誘えと言われた。恩人なのだから、と。
携帯でメッセージのやり取りはすごく便利だ。何やらあれこれ手配している父さんの横で、理久へ誘いの文章を送る。
えっと、拝啓理久様、夏の暑さも厳しい中、いかがお過ごしでしょうか──っと。うーん……誘う文章はこんなかんじでいいかな?もう少し?
父さんに画面を覗かれた。
「優也、そういえば言おうと思ったんだ。別に手紙じゃないから要件だけ送っていいんだぞ。それに手紙でも、親しい間柄ならそこまで畏まる必要は無い」
「えっ」
そういうものなの?これ。
それなら簡単だな、うん。要件だけを送る。
理久からの返事がすぐに来た。泊まりになったら俺の呼吸はどうするのかをまず心配しているようだった。
別荘を使う話をすると、作品名は知らないが人物が驚いているイラストが送られてきた。なんだっけこれ、スタンプっていうんだっけ?
しばらく簡単な会話を続けたあと、理久は予定を合わせてくれる事になった。やった、理久と一緒に海にいける!楽しみだ!
浜辺でどんな本を読もうかな?
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