家を出たアルナイトは、居ても立っても居られず走っていた。やっと絵が完成できる。描くべきものが見えた興奮で、胸が踊る。早くルルにこれを伝えたい。
ルルも絵が進んでいない事に心配してくれていたのだ。きっと彼なら、自分の事のように喜び合ってくれる。もちろん、描かせてもらいたい旨も伝えるが。
ルルとアウィンが宿として使っている空き家の位置は、住宅街として奥まってはいるが覚えている。そり立つ壁の近くで、土台が綺麗なラピスラズリ。
アルナイトは、辿り着いた木製のドアをノックする。ドアにはめ込んだ曇りガラスの窓に、人影が立った。しかし彼女を迎えたのは、深い赤をしたガーネットの瞳の人物。リッテとアルナイトは初対面だ。
アルナイトは家を間違えたかとも思ったが、すぐ否定した。アルティアルの家は個人で作られるため、外見に少しずつ個性がある。土台に大胆にラピスラズリが使われているここは、間違いなくルルたちの泊まっている家だ。
「じゃ、じゃあ不審者……!」
「じゃあとはなんだ」
「リッテ、お客様に失礼ですよ」
なんの騒ぎだと、後ろから顔を覗かせたのはアウィン。リッテは目線だけでアルナイトを示す。
「おやアルナイト、久しぶりですね」
「なんだ、知り合いか?」
「国に案内してくれた子です」
「不審者じゃなかったぁ」
「失礼なやつめ」
リッテはふんっとそっぽを向くと、アウィンと入れ違う形で部屋の中へと戻って行った。自己紹介でもすればいいのにと、アウィンは仕方なさそうに笑う。
「友が失礼をしましたね。何かご用ですか?」
「オレこそごめんな? 今日はルルに会いに来たんだ」
「あぁ、生憎ですが、出かけているんです。なんでも、国を調べるのだとかで……ここ数日は日が出ている時は外出していますよ。芸術祭の出し物が決まったみたいです」
ルルはあの本を展示すると言っていた。本の中を埋めるために忙しいのだろう。
帰るまで待つかとお茶に誘われて嬉しかったが、今日は我慢する事にした。国は比較的小さいから、外で探した方が早く会えるのだ。
「そういえば、アウィンは何で参加するんだ?」
「私はさっきの友と一緒に、歌で参加します」
今二人で楽譜作りをしているのだそうだ。そういえば、ルルからアウィンの歌が素晴らしいと聞いていた。アルナイトは歌があまり得意ではない。だが聞くのは大好きだから、目を輝かせる。
「すげえ! あ、今度喉にいい茶葉持って来るな!」
「それは嬉しいです。ありがとう。アルナイトの絵も、見れるのを楽しみにしていますね」
「おう! じゃあまたな~」
アウィンは、転ぶのではないかと思えるほど大きく手を振るアルナイトに、微笑んで手を振り返す。彼女の活力に溢れた姿を見ていると、こちらも触発されてやる気になった。
「アウィン、戻ってこい。さっさとやるぞ」
「ええ、今戻ります」
彼女の人間性にはとても興味がある。今度は時間を作って、ちゃんとお茶会に誘おう。そう思いながら、アウィンは急かすリッテの声に部屋に引き返した。
小さな鼻歌が聞こえると、住人はさり気なくそちらへ視線を向ける。そして納得するように微笑んだ。
歌声はアルナイト。別にいい事があってもなくても、彼女はいつも鼻歌を口ずさむ。上手いものではないが、聞いている側の気持ちも自然と明るくなれた。独特なリズムを刻み、彼女の足取りがそれに合わさる。地面の石で、小さい物は踏んではいけないみたいな遊びが始まった。
ジャンプし、大きな円を描く石畳に着地する。そこで、家のベンチで編み物をしている女性と目が合った。
「ご機嫌ねアルナイト。今日は何をしているの?」
「へへ、人探してるんだ。紫のマント着た人見なかったか?」
「あぁ、あのフードの? 祭壇広場へ行ったわよ。新しいお友達?」
「そ、友達! 教えてくれてありがとな!」
祭壇広場。それは名前通り、中央に国宝を祀っている祭壇を拝める、大きな広場だ。アルティアルは壁沿いが住宅地。家に寄るが、窓から祭壇が見えるように、広場は国の中心にある。
言われてみれば、ルルはオリクトの民だ。国宝を気にして一度は見に行くだろう。
「お、居た。る──」
石膏でできた柵越しに、ルルを見つけた。広場に足を踏み込んだ時、呼ぼうとした口が止まる。
フードからほんの少しだけ横顔が見えた。隠れているのに完璧な形をしているその横顔は、じっと国宝が入っている箱に向けられている。石で掘られた箱は細かな掘りで、洒落たオルゴールのよう。あの中に国宝が眠っているのだ。
なんとなく、声をかけてはならない気がした。まるでルルは中に隠された国宝自体を見つめていて、会話しているかのようだ。
(綺麗だなぁ)
アルナイトはその場でおもむろにスケッチブックを開き、ルルを描き始める。本当は許可なしに描くなんて失礼だが、描かずにはいられなかった。
国宝の箱を愛おしそうに持つ、美しい女神像。ルルの薄青い手が、労るようにそっと撫でる。そこで、すっと顔がアルナイトへ向いた。
『アルナイト?』
「あ」
強く紙面にペン先を入れたせいで、音がしたのだろう。小さかったが、二人しか居ない今は、ルルにとって充分に聞こえる音だ。
アルナイトは少し申し訳なさそうに頭をかきながら、広場に入る。
「へへへ、バレちった」
『何か、描いてた?』
「ルルを描いてたんだ。ごめんな、黙ってて。綺麗でつい」
『いいよ。見ていい?』
「もちろん!」
正座する女神像の膝下に、石造りのベンチがある。二人はそこに座った。ルルはアルナイトが描いた速写をなぞる。
ルルが描くのは上半身、主には肩から上が多い。触らなければいけないから、相手が嫌がったりする場所は書けないのだ。オリクトの民には無いから感覚が分からないが、人は生殖器に近い部分を触られたくないのは知っている。だから本にある服を着ている絵は、頭にある体の知識と触れた場所を組み合わせた想像だ。
ルルの唇から、ふふっと笑ったような息が聞こえ、アルナイトは不思議そうにする。
「どうした?」
『面白いなって』
全身描かれている絵が新鮮なのもそうだが、自分が描かれているという感覚が面白かった。自分の事は好きに触れるから、手が届く範囲は知っている。それを第三者目線で、しかも服を着ている状態が珍しい。
『服は触ると、シワができるでしょ? それは自然では、ないから』
「はえ~確かにそうだな。ルルの視点も面白いな!」
アルナイトは代わりに、紺の本を捲る。視力に頼る自分では思いつかない空間を知る方法や、感じ方、表現の仕方があって、芸術家としてとても興味深かった。
『アルナイトは、休憩中?』
「あ、そうだった! ルルに会いに来たんだよ」
『僕に?』
アルナイトは行動力があるが、目移りもしやすい。彼女にとっては楽しい事ばかりだから、仕方ないかもしれないが。今も、ルルに会いに来た本来の目的を忘れかけていた。
「ルルを描かせてほしいんだ!」
『いいよ』
「あ、えっとな、その、本番の絵で」
キョトンとしたルルに、アルナイトは自分の絵を完成させる過程を説明した。あくまで感覚から生まれるものだから表現しにくいが、なんとか言葉にする。
まず頭の中で絵のイメージを完成させる必要がある事。今まで本番の絵にはモヤがかかっていて、中々手をつけられなかった事。そしてようやくさっき完成した中に見えたのが、ルルであった事を。
「あ、えっと、服装とかは……イヤじゃなかったら、ピンクローズでオレに選ばせてほしいんだけど。その、できたら仮面も、取って……ダメ?」
アルナイトは両手の人差し指をちょんちょんと触れ合わせながら、恐る恐ると言ったように上目遣いになる。
ルルはしばらく考え込むように、口元に指を当てる。そして申し訳なさそうに頭に呟いた。
『締め付ける服は、苦手なの』
「服はそーいうんじゃないから、大丈夫だと思うぞ」
『そう。なら、いいよ』
「ホントッ?!」
アルナイトは嬉しさのあまり、ルルの両手を握る。ルルは微かに笑ったような息を吐き、頷いた。
アルナイトの絵の完成に携われるなら、喜んで手を貸す。この姿を見せるのは、信用した人物だけ。彼女になら、全部見せても後悔しない。何も見られない自分を、全ての色が見える瞳を持つ彼女がどう描いてくれるか、今から心躍った。
「あ、もちろんタダじゃないぞ」
『ルナーは、たくさんあるよ』
「物じゃなくて、オレもルルの頼み事を聞くってやつ! 無条件で色々やるのは、親切心でも良くないって、先生がいつも言うんだ」
『ジオードは、君を大事に、想っているからだね』
彼の言う通り、いくらその相手が良心に溢れていても、無条件で与えればいずれ搾取してくるようになる。人は見返りを求めるなというが、いい関係を保つには優しさの安売りはしてはいけないのだ。
ルルもそれを教わっているから、断らない。
『じゃあ、この国の探索を、手伝って』
「分かった! オレが知ってる綺麗な場所も案内するぜ!」
『ありがとう』
とは言え、もう芸術祭まで残り13日と少ない。ルルの本とアルナイトの絵の作業を五日間で分け合い、残りの三日で仕上げをする事になった。アルナイトの分の五日の間には、顔料に混ぜたい鉱石を探すのも含まれている。
「んじゃあ、さっそく探索!」
『そうだね』
アルナイトは勢い良く立ち上がり、ルルに手を差し出す。ルルはふふっと楽しそうな息を吐き、手を取った。
お読みいただき、ありがとうございます!
作者は後ろ向きな事が多いのですが、アルナイトを書くと自然とポジティブになれます。もちろんルルを書いている時もですが。
「見返りを求めるな」というのは最もだと思います。人は与えられ続けると、それが当たり前になってしまう生き物です。
まあ、優しさの安売りをしないというのは、結構難しい事ですが。
私はよく、自分がこうしたい、こうありたい、言われたい。というのをキャラの行動やセリフにします。この子たちには、いい関係でいてほしいものです。
自分語り、失礼しました。次回も楽しみにしてくださると嬉しいです!
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