宝石少年の旅記録

宝石の体を持つ少年の、優しい旅の記録。
小枝 唯
小枝 唯

芸術祭開催

公開日時: 2025年4月15日(火) 20:00
文字数:3,853

 アルティアルの夜は長い。時間や光の感覚を知らないルルは、ここを成形している地面の石が歌うのを合図と判断している。アウィンは明日に向けて、普段より早めに就寝している。明日はついに芸術祭なのだ。

 ルルは結局参加を辞退した。本ならばこれまでの国のことを展示するのもいい。しかしこの前、アルナイトと雪の華の洞窟へ行った時の会話で気が変わったのだ。ここで教えてしまったら、製本した時に楽しさが減る。だから今回は、閲覧者として楽しもう。

 次の日を楽しむには、ルルも早く寝るべきだ。分かってはいるが、まだ目が冴えている。しかしこの感覚は知っていた。


(もうすぐ、この国とも、お別れ)


 別れを感じると、まるで少しでも記憶を残したいというように、体がそわそわして落ち着かない。20日間の滞在。本のページも十分に溜まった。本が完成する頃には、自分はどうなっているだろう。

 思い出すは、リッテからの言葉。そしてなんとなく、アウィンたちと交流すると気づいてくる。人々と自分の感覚の違い。個人個人に違うというものではない。突飛して違うのだ。


(だとしても、僕は、僕に従う)


 それがたとえ世界の王からくる思考だとしても。それでもアウィンが言ったように、多くを知って、最後に世界の王ではなく「ルル」で人を救えるように。ルルは本を閉じ、見えないランプを消してその日を終えた。


~ ** ~ ** ~


 子供たちが駆け回る。威勢のいい呼び込みの声が空に響く。太陽がアルティアルに光を与えた瞬間から、芸術祭は始まった。まるでこの日までの国民を労うように、天候は雲ひとつ無い晴天だ。


「ルル~!」


 ルルは賑わう人々に紛れ、こちらに手を振るアルナイトとフロゥの元へ小走りに向かった。午前の催しが始まるまで、2人と一緒に出店を回る約束をしたのだ。芸術祭は、午前の舞台と午後の展示に分かれている。アウィンとリッテ、マリンやファルベは午前。絵画を仕上げたアルナイトとフロゥは午後だから、十分時間がある。アウィンたちは舞台裏で待機していて、午後に一緒に展示を見る予定だ。


『アルナイト、フロゥ、芸術祭まで、お疲れさま』

「へへへ~、ありがとな! オレ、ワクワクしすぎて眠れなかったや」

「……僕も、少し緊張して浅かったよ。いや、今もだけど」


 2人とも高揚している。そして僅かに不安も感じているだろう。この日まで、心を何時間とつぎ込んできたのだ。きっと今日はずっと落ち着かないはずだ。ルルはその日に立ち会えたことを誇りに思った。


『2人にね、渡したいのがあるの』

「んえ?」

「?」


 ルルはカバンの中を漁り、2つのブレスレットを取り出した。淡く透明度の高い紫色の石で繋がれた中、艶のあるオレンジ色をしたカーネリアンがアクセントになっている。


「わ~、綺麗だなぁ」

「この石……もしかして、ピンクローズで売っていた……?」

『うん。別のをファルベに、置いてもらっていたの。これ、あげる』


 左右でそれぞれ差し出された2人はキョトンとしたあと、同時に「えっ!?」と声を上げた。驚愕のせいで2人の声は、人混みを押し除けて響く。ルルはなんだとこちらに注目する人々から隠すように、しーっと息を吐いた。混乱する2人は、言われるままに手で口を覆って息を潜める。

 どうして急に贈り物を? そう小声で戸惑いを呟く2人に、ルルは虹の目を緩やかに細める。


『2人にだけじゃ、ないよ。ファルベたちにも、渡してる』


 カーネリアンを囲んでいる石は、ルル自身の髪の毛を溶かして加工したもの。だから今日、そしてこれからに勇気を与える道標になってほしいという思いを込めた。


『僕らは、今日が終われば……もう発つ。だからお守り。きっと全て、上手くいく』


 アルナイトとフロゥは、少しだけ迷うように互いの目を見合う。しかしすぐ、ほとんど2人一緒に受け取った。ブレスレットは不思議とぬくもりを感じ、緊張は自然と解けていった。

 アルナイトはフロゥとルルの間に入って、彼らの手を握る。


「よし、じゃあ今日はたくさん遊ぶぞ!」

「ちゃんと時間を見ないと」

「分かってるって~!」


 ルルは2人の掛け合いを聞きながら、ふふっと可笑しそうな息を吐いてアルナイトの手をぎゅっと握り返した。


~ ** ~ ** ~


 舞台の裏に用意された、大きなテント。そこでは、自分の出番を待つ人々の控えになっている。舞台の邪魔にならなければ、比較的中では自由に過ごせる。皆興奮を抑えるため、あえて練習する者は居ない。ほとんどが落ち着きを保とうと、仲の良い者同士で会話をしたり、好きな茶菓子を嗜んだりとしている。そんな中、アウィンは自分が一際緊張を隠せずにいるのを、理解していた。

 アウィンは母国、リベルタの紅茶を飲んでいる。だがこれで2杯目だ。いつもなら、一杯目をじっくり時間をかけて飲むものなのに。


(1人で居ると、無駄に思考が動いていけませんね……)


 一緒に出場するリッテは、オーアトーンの調整のためそばに居ない。そしてルルも。アウィンは縋るように、彼から貰ったお守りのブレスレットを手で包む。

 喉は万全だ。仕上がっている。しかしどうしても、頭が過去に体験した燃えるような激痛を反芻させた。

 その時、震える息を深く吐くアウィンの肩を、誰かがトンと軽く叩いた。アウィンは想定していなかった感覚に、大げさにびくっと体を跳ねさせる。驚いて振り返ると、そんな反応をされると思っていなかったのか、同じく目をパチクリさせるマリンとファルベが居た。


「ごめんよ、集中を邪魔したかな」

「い、いいえ、すみません……少し考え事をしていたので」


 声色が硬い。マリンとファルベは視線を交わらせると、アウィンと向き合うように座った。


「いい香りの紅茶だね」

「懐かしい匂いだ」

「あ……ええ、リベルタの茶葉です。お2人もいかがですか?」

「貰おうかな」

「ありがとう」


 いくつか持ってきておいて良かった。アウィンは慣れた手付きで紅茶を淹れる。しかしやはり、どこかぎこちない。それは気のせいかと思うくらいだが、共に激戦を潜り抜けたマリンたちにはよく分かった。だが2人は何も言わない。ただ礼を言って、カップを傾ける。


「ん、美味い」

「リッテが持って来たのか?」

「ええ。おかげで故郷を思い出せます」


 アウィンは穏やかな笑顔を浮かべながらも、視線の先はどこも見ていないように思える。マリンはしばらく考えていたが、降参だと言うように笑ってため息を吐いた。


「やっぱり無理だねぇ。ルルみたいに、さり気なくできるほど器用じゃないみたいだ」

「私もだ」

「どうなさったのですか?」


 眉を下げて笑い合う2人の会話が理解できず、アウィンは濃い空色の目を瞬かせる。


「元気、ないだろ? 僕らの緊張とは、少し違う」


 アウィンは細い目を驚いて丸くさせる。いつも通りを装ったつもりだが、不安を悟られるだなんて。そういえばリッテが調律に離れる時も、本当に1人でいいのかと最後まで尋ねられた。五大柱として身につけた表情の隠し方を、旅をする間にすっかり忘れたようだ。

 アウィンは申し訳なさそうに眉を下げて笑った。紅茶で唇を潤しながら少し言い淀んだが、小さく口を開く。具体的なことは簡単に言えないが、それでも気持ちを吐く気にはなれた。それは二度と会えないかもしれないのに友となった、曖昧で奇妙な縁で結ばれた彼らだからだろう。

 昔、人の手によって歌えなくされたこと。リッテのおかげで、声を取り戻せたこと。体に後遺症はなかったが、どうしても形式のある舞台には竦んでしまうことを。


「ですが、辞退する気はありません。芸術祭で歌いきれたら……きっと、整理がつくはずです」

「なるほどね。キミが普通の貴族より肝が据わってる理由、なんか分かった気がするよ」


 旅人で、人間の悪意に触れて来たマリンとファルベ。そんな彼らが思い浮かべる貴族の姿は、理性で分かっていても欲望に溺れる者たち。実際、アウィンやリッテのような貴族は少ないだろう。

 やっぱり悩みを払拭させるような、気の利いた言葉をマリンは思いつかなかった。きっと性に合ってないんだ。しかし背を押すことはできなくても、隣に立つことはできるかもしれない。そう思いながら、隣に座ったファルベの肩を抱き寄せる。


「実はね、僕ら、2ヶ月後に祝言を挙げるんだ」

「そうなのですか? あぁそれは……少し早いですが、おめでとうございます」

「ありがとう」

「それでなんだけどさ、アウィンたちはもう旅立ってしまうだろ? だから今日は、僕らのために歌っておくれよ。そうすれば、意識が違うんじゃないかな」

「それは無理があるんじゃないか?」

「そうかなぁ?」


 いい案だと思ったんだけどなと言うマリンを、ファルベは仕方がなさそうに嗜める。アウィンはそのやりとりを呆然と眺めていたが、やがて頭が遅れて理解したのか、耐えられないと言うように吹き出した。この2人を心から祝福したい。そう思う彼の中に、もう恐怖心は消えていた。

 気休めではない。アウィンは歌に込めた願いを思い出したのだ。それは祝福。この先の、アルティアルの幸せを願った。そうだ。歌を披露するだけじゃない。彼らに感謝を歌うんだ。相手を思う気持ちを伝える方法が、自分にとっては歌。評価される場ではなく、聴いてもらう場なんだ。それに気づけば、全く怖いものなどないじゃないか。


「ありがとう、マリン殿、ファルベ殿。貴方たちのために、そしてアルティアルのために歌いましょう」


 そう約束するアウィンの表情は、蟠りが解けたような笑顔。マリンとファルベは顔を見合わせ、安心したように、嬉しそうに笑った。

お読みいただきありがとうございます!


ついに芸術祭が開催します。今回はその裏のひとときを。

アウィンにとってトラウマになっているもの。しかし彼にとって歌は命と同じなので、発表の場は切っても切り離せない。きっととても怖いと思います。私だったら無理です。

マリンは器用じゃないと言いますが、そんなふうに機転を効かせるのも、充分器用だと思いますね。次回は芸術祭の様子と、次の国宝への繋ぎを。

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