宝石少年の旅記録

宝石の体を持つ少年の、優しい旅の記録。
小枝 唯
小枝 唯

主と卵

公開日時: 2022年10月31日(月) 20:00
文字数:2,169

 それまで暗闇に溶けるようだった薄青い肌を、白い光が眩しく照らす。卵の中には、何かしらの稚魚と思われる長細い影が、狭そうに体を縮めていた。妙だ。これほど大きいのならば、もう殻を破る力が充分に備わっているはず。それなのに稚魚は破るどころか動きを鈍くさせていた。

 ルルはそっと卵に手を添えた。そこで別の違和感に気付く。先程まで自分を導いていた鼓動が、触れなければ分からないほど小さくなっていた。脈動は絶えず続いている。しかし徐々に音を小さくしていく様子は、明らかに守る命の終わりを綴っていた。

 そうか、攻撃をしてきた声の主の怒りと悲しみは、これが原因なのか。おそらくこの稚魚は主の子供。我が子が弱まっていれば、親の錯乱も理解できる。

 稚魚が驚くように体を跳ねさせる。同時にルルは手を卵から離した。


(手が、ビリビリする?)


 稚魚は数回動きを見せると、再び眠るように大人しくなった。元気に思えるその動きは、見ようによっては痙攣と言う方が正しい。そしてその時感じた拒絶のような痺れには、既視感があった。それは、イリュジオンに来たばかりの夜に知った、森の異変によって壊れた赤黄岩。

 水中で呼吸できないため、あの時のように匂いによる判断はできない。しかし穢れた石に触れた感覚とよく似ていた。

 ルルは心臓がズンと重くなるのを感じた。嫌な気分だ。目の前の命が確かに消えていくこの虚無感。おそらく自然の摂理であったら、その死を看取る事を選ぶだろう。しかしそうじゃない。この侵食は、死ぬ必要ない命を犯している。一体どうすればいいのだろう。自分には何ができるだろう。

 鉱石の耳に、水を通して鈍く鳴き声が聞こえた。見開いた虹の目が白く輝く。今、目の前に居るからこそ分かる。この声は、ただ苦しみに喘いでいるのではない。確かにルルへ向けた救いを求める声だった。


『君だったんだね、僕を、呼んでいたのは』


 以前の彼ならば、ただ消える命に狼狽して泣く事しかできなかった。しかし今この手には阻止する力がある。あの赤黄岩の時と同じように、穢れた場所を新しくすればいいのだ。


『大丈夫だよ。僕が、傍に居る。必ず、助けるから』


 適当な場所を触っただけで異常を感じたのだ。稚魚の弱り方も見ると、もう全体に広がっているだろう。しかし全て均等に穢れに染まっているわけではないはずだ。どこか一箇所に原因となった場所、穢れが濃い場所がある。そこを探し出さなければ。それを見つけるため頼りれるのは音。いつもより心許ないが、視界も嗅覚も奪われればこれしかない。

 急がなければ。怒りに我を忘れた親が来てしまえば、稚魚も巻き込まれる。


 陸地にもあったアメジストの岩がティアラのような台座となって、卵は支えられている。しかし稚魚を傷付けないようにか、鋭さは溶けて滑らかだ。触れてみたところ、卵の周辺には穢れている様子は無い。

 卵の表面は手がかじかむほど冷たく、簡単には壊れなさそうな分厚さだ。きっと本来は、外で生きられる力を持った稚魚だけが壊せる殻だ。丸腰のルルには到底敵わない。


(やっぱり、卵に触ると……手が痛い)


 他は全くと言っていいほど何も感じない。考えられる可能性は、卵本体が穢れているという事。しかしそれを正解だとするには、何故だか頭が受け付けない。言葉にできない矛盾が本能を引き止めている。

 一体その正体が何なのか、明確な答えに辿り着く事はできなかった。何故なら、背後で叫び声が轟いたから。声の鋭さは槍のようで、ルルの思考を粉々にかき乱す。それでも鉱石の耳はルルへ他の音も正確に届けていた。それは、こちらへ向かって水を薙ぎ倒す激しい音。

 音が何かを脳が判断するよりも早く、足が地面を蹴った。直後、何も無い地面にクレーターができる。ギリギリの所で回避したが、きっと瞬きでもしていたら巻き込まれていただろう。


(ダメだ。避けているままじゃ、間に合わない)


 相手を止める事は不可能だ。とにかく少しでも時間を稼がなければいけない。魔法が使えればいいのだが、生み出せるものは鉱石だけ。しかも数秒間は集中する必要があるから、この状況ではあまり向いていない。人間ならば話が別だが。

 一旦離れるべきだ。卵に当たれば稚魚の命に関わる。きっと我を忘れているせいで、敵味方の区別なんてできていないはずだ。

 ルルが横を通り過ぎようと体の向きを変えた時だ。音が耳に届けるよりも先に、暗闇から銀の鱗をまとった尾が凄まじい勢いで現れた。向かう先はルルではなく、守るべき卵。


『ダメ!』


 ルルは考えるより早く真後ろの壁を蹴り、離れかけた道を辿った。親と卵には比較的距離がある。そのため、彼の体は先回って間に入った。しかしその直後、腹部に思い切り尾が叩きつけられる。薄い体の奥から聞こえた骨の軋む音に、ミシリという音が後ろから鳴った。

 押し潰される激痛で反射的に口の中を噛み締める。その時、口内で転がっていた空気石が弾けるように割れた。


(石が……っ)


 命綱が断たれた。さらに追い討ちをかけるように、尾が腹に食い込む。酸素が消えていく苦しみから逃れようと、ルルは口を開き、思わず呼吸しようと水を吸い込んだ。肺に溜まっていた空気も逃げていき、喘ぐ事すらできない。

 重たい水が喉を通ると、意識が遠くなるのはあっという間だった。虹の瞳から光が消え、不思議なほど穏やかな顔で閉じられた。

お読みいただきありがとうございます。話の区切りの良さを見て、短くなってしまいました……すみません。


空気石が無ければ、流石の世界の王と言えど溺れるし死にます。大体の動物たちは王に対して生まれながらに忠誠心を持ちますが、彼らは一体どうでしょうか?


ルルは無事に鱗を手に入れ、浮上する事ができるのか。次週をお楽しみください!

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