宝石少年の旅記録

宝石の体を持つ少年の、優しい旅の記録。
小枝 唯
小枝 唯

アルナイトとジオード

公開日時: 2024年12月9日(月) 20:00
文字数:6,052

 全員無傷に済んだと、安堵の息を吐いてルルはアルナイトたちへ歩き出す。それにフロゥたちも我に返ったようにハッとし、駆け寄った。

 アルナイトは泣きながら、ジオードの胸をポカポカ殴る。ジオードはいつもの癖で背中を撫でようとした手を、迷うように空中で留めた。ただ泣き喚く彼女を、ボヤける世界で見つけるしかできない。そうしていると、目の前の石をルルの新しい靴が踏んだのが、視界に入った。


『ジオード』

「……ルル……お前はやっぱり、世界の王なのか」


 ほとんど視力と色を失った目にも、ルルの虹の瞳は鮮やかに美しさを見せた。ルルは目を笑うように細くする。世界の王だと予想されていた事に、驚きは無い。マリンから聞いていたと予想できるから。それよりも、初めて「旅人」以外の名前で呼んでくれた嬉しさの方が勝った。


『貴方はまだ、生きなくては、いけないよ。どれだけ過去に、苛まれても、生かされたんだ。そして……貴方の生を、望む者のために』

「だが、俺は……俺には罪がある。弟子を巻き込んだ、最悪な罪が」

『うん。全てを、聞かせて』

「……アヴィダンの画材を買ったのは、フロゥを勝たせるためだ」

「えっ!?」


 つまりジオードは、ただいい画材だから買ったのではなかったのだ。どうしてもアルナイトを負かしたい。それは彼女が記憶を取り戻す要因となり得る国宝から、遠ざけたかったからだ。なんとしても防ぎたかったジオードの前に、アヴィダンもとい、シナバーが現れた。

 2人の弟子の差を埋め、1人を勝たせたい。そう相談した。今思えば、どうして初対面な彼にそんな事を頼んだのか不思議だ。するとシナバーは、効果が違う2種類の筆を差し出した。アルナイトに渡した筆は、持っている間、持ち主の気力を奪う。フロゥに渡したのは、使えば使うほど、生きているかのような鮮やかな色を出す。

 だがまさか、どれも呪具の類で傷付けるとは思わなかった。しかもフロゥに至っては、筆に思考を奪われて他人の命を使おうとするなんて。


「この混乱は、全て俺が巻き起こした」

『貴方の思いを、弄んだのは、アヴィダン……シナバーだ。貴方の罪は、別にある』

「なんだって……?」


 深く項垂れていたジオードは、驚いて顔を上げる。彼が誘惑に手を伸ばす原因となったのは、己の罪があるから。ルルは答えより先に、鼻をすするアルナイトを見る。


『アルナイトの記憶を、彼女の言葉無しに、決めた事。それが全て、貴方を罪に、導いた』


 ジオードにとって、アルナイトの記憶を取り戻させないという行動は、守るためのものだろうと分かる。しかし今は、彼女を愛する人々が近くに居る。だから挫けそうになったとしても、支えられ、彼女自身で立ち上がるだけの力があるはずだ。ジオードもそれは理解している。


『……家族という檻に、鍵をかけてはダメ』

「!」


 無意識なのだろう。アルナイトが自分の側から離れていくのを、ジオードは恐れたのだ。彼は目の持病も患っている。それも加わって、自らこのままがいいと騙し続けた。

 当の本人は、涙で濡れた目をキョトンとさせて首をかしげる。


「オレの記憶が戻ったら、先生ヤなのか?」

「……お前は、取り戻したいのか?」

「うん」

「いいものじゃない。暗闇がまた怖くなるかもしれない、その目を恨むようになるかもしれない」

「それでも、オレの記憶はオレのだもん!」


 さっきまで泣いていたとは想像できないほど、アルナイトはにこっと明るく笑う。彼女は「それに」と続ける。


「もしそうなっても、先生やみんなが居てくれるなら、オレはたぶん、大丈夫だよ」


 アルナイトの笑顔は変わらず、太陽のように眩しい。今のジオードにとっては目も眩むほどで、虚勢だと言い張って、雲で隠す事なんて到底できそうになかった。癖で寄せたせいでシワが深くなった眉間をふっと緩めると、大きな手をぽんとアルナイトの頭に乗せる。


「でも本当に国宝で記憶を取り戻せるのかい?」

『……アルナイトは、国宝の新しい光を、近くで浴びた。でも、取り戻せなかった』


 単純に、意識していなかったというのもあるかもしれない。試しにルルは、アルナイトに国宝クリソベリルを差し出した。意図を察したアルナイトは、恐る恐る国宝を受け取ると、祈るように両手で包んでみる。ぎゅっと目をつぶり、記憶の事を願った。

 国宝は、常に不思議な光を纏っている。生命の源なだけある熱も感じた。しかし脳は、目を閉じた薄暗さ以外、見せようとしない。アルナイトはむむむっと体に力を込める。だが体に起きた変化と言えば、散々動き回った疲労が取れたくらいだ。それも凄いのだが。

 力むと一緒に息を止めていたのか、アルナイトはぷはー! と吐き出す。


「全然ダメだ~!」


 ルルは国宝を受け取りながら、思考を巡らせる。そう言えば、過去に訪れた国でも記憶喪失者がいた。無邪気な乙女が、そんな相手に頭をぶつければ治るのでは? などと提案していた。しかしそんな乱暴はしたくない。

 本で読んだ事があるが、たしか長期にわたる記憶喪失は、そうなった原因が取り戻す際に重要らしいが。たとえば恐怖で消えれば、似たような経験をきっかけに思い出す。アルナイトもそうであれば、彼女が未だ恐る暗闇だろうか?


「あ! そーいえばな、時々、知らないけど懐かしい映像が、頭にざざーって流れたんだ」

「それはどういった時なんだ?」

「んー……眩しかったかなぁ。シナバーと、地下で会った時だった」


 暗がりの地下で、彼女とシナバーという状況は、一度しかない。マリンが捕まっている部屋を探す時だ。


「まさか【ルルの石】の光か?」

『ジオード、アルナイトの記憶は、なぜ、失われたの?』

「記憶喪失は、事故じゃない。俺が【ルルの石】を使ったんだ」


 ジオードは難しそうな顔をして「だが」と呟き、自分の記憶を辿る。ずっと昔、アルナイトは覚えていないはずの母を求めて、毎晩泣いた。ジオードはその姿に耐えきれず、やはり記憶を返そうと【ルルの石】を見せた事があった。虹の宝石を見つめて泣き止んだが、アルナイトはただ「綺麗な石」だと感想を言って、記憶は戻らなかった。


『その石、まだある?』

「? ああ。俺の工房に置いてある」

『じゃあ行こう』


 アルナイトの証言を考えると、一つ試す価値のある仮定が頭にできた。必要以上に語らないルルは、背中を向けて歩き出す。唖然と背中を見ていたジオードは、マリンに腕を引かれて、ふらふらしながらも立ち上がる。そして、絵の具の匂いが染みついた手を、アルナイトが握った。


「行こ、先生」


 笑顔のアルナイトに、ジオードはぐっと唇を噛み締める。白く濁った目は硬くつぶられたが、すぐに開かれた。彼は小さく「歩ける」と言うと、ルルたちに続いた。

 アウィンと一緒に、ルルを挟む形で歩くリッテが、こそっと鉱石の耳に囁く。


「確かに事件の原因はシナバーですが、巨匠殿も全くの無関係というわけではない。このまま見逃すおつもりで?」

『リッテは、罰がなんのために、あると思う?』

「相手を懲らしめ、悔い改めさせるためでは?」

『そうだね。でもね、時には救いに、なるべきなんだよ』

「救い……?」


 ジオードの頭の中に巣食う闇。ここに至るまでの恐怖を、取り除かなくてはいけない。まだ彼は、過去に縛られている。まず彼は心で、今のアルナイトを見る必要があるのだ。


 ジオードは工房の隅にある棚を開ける。中には、オルゴールのように上品な小箱があった。手の平に収まる程度の箱を持って来て、アルナイトに差し出す。アルナイトはジオードと箱を見比べ、恐る恐る受け取る。

 開けると、小さなクッションに【ルルの石】が眠っていた。これに、アルナイトの記憶が入っている。冷や汗が出る。心臓がバクバクと、今にも破裂しそうに鳴っている。知らない記憶に、体が怖がっている。

 そっと、肩にルルの手が置かれた。彼はアルナイトを抱きしめるように、傍に身を寄せる。小箱に入っている【ルルの石】と同じ虹の全眼は優しくて、アルナイトは背を押されるようにふぅっと震える息を全て吐いた。

 怖い。ジオードが頑なに見せなかったのだから、それなりの理由がある。しかし、一瞬だけ脳裏を駆けたあの映像。絵を描く優しい女性の笑顔。彼女の事を思い出したい。どれだけ怖くても。

 アルナイトはルルに頷くと、そっと石に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、虹の表面に亀裂が走り、部屋が眩しい閃光に包まれた。


~ ** ~ ** ~


 淡いピンクの、ウェーブを描く長い髪が風に揺れている。彼女は背筋を正しながら、キャンバスと向かい合っていた。アルナイトはその背中が好きだった。


「母様!」


 そう呼んで駆け寄るアルナイトに、母は振り向いて微笑んだ。彼女はアルナイトを抱き上げ、膝に乗せる。キャンバスに描かれていたのは、花畑の中に居るアルナイトだった。そういえば先日、庭の花畑で遊んだっけ。

 母の絵は、まるで生きているかのようで、それでいて鏡より輝かしい。


「母様が描いたわたしは、わたしよりも綺麗だね」

「あら、今私の膝に乗る花の妖精より綺麗なものなんて居ないわ。私の可愛いアルナイト」


 ぎゅっと抱きしめられて、アルナイトは嬉しそうに笑う。

 ペルゼン国。自然も人々の笑顔も豊かな小国。かつて存在したそこで、アルナイトは五大柱の令嬢として生まれた。彼女は、人々が判断できない色も見る力があった。人が1色を見つければ、アルナイトはその中に様々な色の違いを見出す。そして母によく似たのか、絵に興味を持ったアルナイトは、幼い頃から筆を遊びに握る事が多かった。

 しかしあくまで遊びだ。画家になりたいなんて、口が裂けても言えなかった。理由は父親にある。


「サファイア、そこにアルナイトが居るな?」


 低い声に、アルナイトはびくっと肩を跳ねた。母、サファイアは優しく頭を撫で、立ち上がると彼女を隠すように椅子に座らせる。声をかけたのは父、ディアマン。ペルゼンの五大柱の1人だ。しかしサファイアは20をすぎたばかりの若々しさだが、ディアマンは初老になったのが分かる容姿だ。

 ディアマンは椅子から微かに見える明るい灰桃色の髪を、ギロリと睨む。


「アルナイト! また部屋から抜け出したか!」

「っ!」

「ディアマン、大きな声を出さないでください。少しは休息が必要ですわ」


 ディアマンはサファイアの言葉を無視し、椅子の前に回り込む。アルナイトは小さく体を震わせながらも、明るい灰色の目でそろりとディアマンを見上げる。


「ひ、必要な勉強は、もう終わらせました」

「だからなんだ?」

「だから」

「なぜ許可を取りに来ない?」


 部屋から出る時、必ずディアマンの許可が必要だった。山ほどの課題を用意され、3日かけて終わらせた。最低限の睡眠と、数分の休憩だけが用意される地獄の時間。終わった事を知らせれば、また次を追加してくる。外出をねだって、許された事なんてない。それが分かっていたから、アルナイトはそっと抜け出して来たのだ。

 アルナイトは意を決したように、それでも怯えながら口を開く。


「許可、なんて……くれた事、ないのに」


 小さくとも、ディアマンの耳には届いた。反抗にも満たない、ただの事実の訴え。しかし彼は顔をしかめると、手をかかげる。振り落とされると分かったアルナイトは、咄嗟に目を閉じて体をこわばらせた。しかし痛みは来ない。目を開けて見れば、サファイアが立ち塞がっていた。ディアマンの手は、彼女に触れる直前で止まっている。

 サファイアは睨むように、まっすぐディアマンを見つめる。ディアマンは鼻を鳴らすと、手を下ろした。


「部屋に戻れ。まだお前のやる事は残っている。1週間は出られると思うな」


 そう言い残して、ディアマンは去っていく。彼がバルコニーから消えた頃、アルナイトの大きな目から、ポロポロと涙が溢れた。

 部屋から出たのは、たったの数分だ。それなのに、罰があまりにも見合っていない。これから1週間、ずっと部屋の中で監視され続けるのか。サファイアと会えない。息が詰まる。


「大丈夫よアルナイト。そんな事させないわ。父様と話をしてくるわね」

「で、でもそしたら母様がひどい目に」


 先ほど手を止めたように、ディアマンはサファイアには手を出さない。しかし矛先は、彼女が描いた絵に向けられる。それを理解しているアルナイトは、小さく「ごめんなさい」と泣いた。自分が部屋から出なければ、分かっていても許可をもらいに行けば良かった。

 サファイアはアルナイトを優しく抱きしめる。


「いいえ、あなたが謝る事なんて一つもないのよ。母様が、あなたを守るから」


 サファイアは画材を片付けると、アルナイトに自室ではなく、この部屋に居るよう言った。今日は彼女の絵の先生が来る。アルナイトもよく懐いていて、彼に会う日は笑顔が絶えないほどだ。

 サファイアが部屋を出ていき、アルナイトは言われた通りソファに腰を落ち着かせる。豪華絢爛な柱時計が、低い音を鳴らす。すると大きなドアがノックされた。はやる気持ちを抑えながら「どうぞ」と言うと、画材を背負った男が入ってくる。


「ジオード先生!」


 アルナイトは耐えられず、ソファから立ち上がると男へ抱きついた。ジオードは分かっていたのか、急いでドアを閉めると受け止める。


「アルナイト嬢、母上様は?」

「……アルナイトがいい」


 むすっとした顔で呟くと、ジオードはやれやれとため息をつき、アルナイトと視線を合わせるようにしゃがむ。


「仕方のないヤツだな。それでアルナイト、サファイアはどこに?」

「…………父様に」


 ジオードはそれだけで理解したのか、表情を苦々しそうに歪める。小さく「あのくそジジイが」と呟いた。と言ってもディアマンは柱の1人。しかも雇われの宮廷画家には、何もできない。

 アルナイトは画材を準備するジオードをじっと見つめ、用意された小さな椅子に座ると思いついたように言った。


「先生が母様と結婚すればいいのに」

「何バカな事を言うんだ……!」

「だって、そうしたら先生を父様って呼べるし、母様も先生も幸せでしょ?」


 ジオードとサファイアは同じ貧村出身の幼馴染だった。そして絵という趣味も同じで、お互いに惹かれあっていた。しかし許されなかった。

 ディアマンがサファイアを嫁に見初めたからだ。それも、嫁げば村に補助金を約束するという条件付きで。もし断れば、即刻村を開拓されるという裏の条件もある。サファイアには飲むしかない、決められた結婚。しかもディアマンへの心はない。


「……まだ、待ってろ」

「え?」

「宮廷画家はルナーになる。村がもう少し力を持てば」

「一緒にいられるのっ?」

「上手くいけばな」


 ジオードは絵を売ったルナーを兵士を雇う分として半分村に渡している。もう半分は、サファイアたちを連れて逃げても、不自由なく暮らせる分に貯めていた。ジオードには、村へのいい思い出はそこまでない。しかしサファイアが守ろうとしている物を見捨てられるほど、嫌な性格はしていない。

 アルナイトはその言葉に、今日で1番顔を明るくさせる。これは2人だけの内緒だ。アルナイトは嬉しそうに口を手で隠し、頷いた。

いつもお読みいただきありがとうございます!


ジオードがアルナイトに頑なに記憶を戻さなかった訳は、彼女の命や悲しみが理由でありました。ジオードが巨匠となったのは、単に絵を愛しているだけではありません。愛した人とその娘を救う手段に繋がるからです。

過去はもう少し続きます。全てを聞いたアルナイトは何を思うか。そしてルルは、どんな裁きを下すのか。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

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