実のところ、私は芸能界音痴である。楽譜も読めない。まともに演奏した曲は『ネコ踏んじゃった』だけで、それも三十年前だ。ちなみに右手人差し指だけで行った。最初の一小節だけ。
そんな私が音楽を題材にした、ましてイギリスを舞台にした本作……今これを書いている段階、つまり2020年10月18日現在で二十万字を越えている……を一気読みするとは。
本作の最大の魅力は、いうまでもなく弱が強になる成長物語である。ただし、それはヒロインについて言えることでありヒーローに対してではない。
デブオタはほとんどステレオタイプなデブオタであり簡単に把握できる反面、誰もが(一握りの成功した人々を例外として)大なり小なり抱える、または抱えたことのある劣等感の陰画であろう。その点ではデブオタが育てるアイドルも変わらないが、彼女が羽化を控えた蛹なのに対しデブオタは雑木の枝である。ただ、彼女はその枝からしか羽化できない。
デブオタの課す数々の特訓は、笑いあり涙ありで十分以上に読み応えがある。インターネットをフルに活用してゼロに等しい経費を踏まえるプロデューサーぶりはゲリラ戦術そのものだ。そこにデブオタを絶望せしめた日本のアイドル興行の現実がかかわるのは皮肉を通り越してもはや伝説だろう。
対するライバル勢も、鼻持ちならない高慢ちきな人間が努力の大切さを思い知り、常に本人を見守る(デブオタとは好対照の)プロデューサーが陰に陽に支えていく王道を踏まえて非常に力強い精神美を描いている。デブオタ勢と違い、こちらはオーソドックスで伝統的な訓練と施設ながら当人がやる気を出すまではいささか宝の持ち腐れな印象もあった。陳腐ながら、どんな環境であれ当人次第ということか。
そして、登場人物がただの一人もデブオタや彼のアイドルを甘やかさない。そこに横たわる冷酷な現実は物語の必然性をいやが上にも盛り上げる。
最後に、作中でもほんのほんの少しだけかかわった『ロッキー』で、ロッキー本人の台詞を紹介しておこう。曰く、『もし最終ラウンドまで立っていられたら、俺はただのチンピラじゃなかったと証明できる』。
必読本作。